田中角栄ブームは日本人が米国嫌いに傾いている証か?
石原慎太郎の書いた「天才」について、ブログでは別の話で触れた。元総理大臣田中角栄の自伝的な小説であるが、小説なのか伝記なのかよくわからない。だが慎太郎ファンは多いようで、書籍のランキングで一位になるなど話題を提供している。私も彼のファンといえるのかも知れないが、ただし小説などの作品では無く、政治家の彼にである。すでに政界を引退しているので、言っても始まらないのだが、どうしてもう少し総理大臣のイスに近づけなかったのかと思う。それはさておき、ここでは彼の話では無い。
いまちょっとした田中角栄ブームなのだそうだ。たしかに、書店では角栄に関するコーナーが作られて平積みされている。石原慎太郎もその波に乗って書いたのかも知れない。
田中角栄と言えば、無学歴ながら総理大臣にまで上り詰めた、「いま太閤」と呼ばれた立志伝の人物である。日本列島改造などのさまざまな政策を実行する一方で、常に金権政治のにおいがまとわりついていたのも事実である。最後には、アメリカのロッキード社から丸紅を通して5億円の賄賂を受け取った罪で、東京地検特捜部に逮捕され、天国から地獄を味わった人物でもある。
彼やロッキード疑獄についてはこれまでも多くの本が出版されている。多くの著作が生み出されるほど実に様々な話題に富む人物なのだが、光と影と言うか、功罪が相半ばした人物と言えるのだろう。
新幹線や高速道路を全国に張り巡らし、東京と地方の格差をなくす、放送事業の拡充、日中国交正常化など、数多くの新しい政策を果敢に実行してきた実行力は、その後の総理大臣たちの政策や実行力のなさと比べても抜きんでているだろう。
しかし一方では、ダムなど発電施設を作るに当たって地元に交付金をだすなど、いわば何でも金で言うことを聞かせると言う風潮を、官僚や政治家達に植え付けてしまったのも彼である。選挙では派閥の議員に多額の金を渡して、自分の権力をより強固なものとする派閥政治を推し進めもした。他に何も持たない彼が、権力の頂点に上り詰めるためには金の力が必要であったのだろう事は理解できるのだが、金がすべてという風潮を日本社会・日本人全体に植え付けたのは、明らかに彼の大罪である。彼に武士の清廉潔白さを求めようとは思わないが、せめて自分の世界だけにしておくべきで、他の多くの人を巻き込むべきではなかったろう。この金まみれのやり方が、結果として自らの人生まで狂わせることになったのは皮肉な事である。
世の中には○○陰謀説という話が、数多く転がっている。政治の世界に絡んでは、とりわけアメリカの陰謀説が色々と流布されている。議員時代には角栄の金権政治を厳しく批判していた慎太郎が、「天才」では、彼の先見性を讃えて業績を評価している。だが結局本当に言いたいことは、ロッキード疑獄はまさにアメリカによる田中角栄追い落としの陰謀だったのだという事であろう。なぜ角栄がアメリカににらまれたのかといえば、一言で言えばアメリカより日本の国益を重視したからである。アメリカの言うなりにならず、中国と国交を回復したのはその典型例である。
戦後の外交に関わるさまざまな機密文書が公開されたり、埋もれていた歴史的事実が掘り起こされることで、それまではネット上のマニアによるばかげた話とされていた陰謀説が、実はかなりの部分で真実である事がわかってきた。それまでタブーであった、アメリカの日本占領・統治の政策も数多く明かされてきた。その流れの中で、ロッキード疑獄もアメリカの強い力や意思によって生み出された側面が否定できないこともわかってきた。かくして愛国者たる石原慎太郎のアメリカ嫌いが遺憾なく発揮され、書かれたのがこの本なのだろう。
数多く書かれている田中角栄やロッキード事件に関する本も、その多くでアメリカの日本に対する理不尽で不当に近い圧力を取り上げている。それがいまの多くの日本人に共感を持って受け入れられている。戦後のアメリカによる日本人洗脳の実体も当たり前の事実として受け取れるようになった若者をはじめ、失われた20年と東日本大震災を経て、多くの日本人の中に自然な民族感情が生まれたのだとも言える。困難な経験をすると、それまでの外来崇拝から自文化尊重へと回帰するのは、これまでも繰り返されてきた日本人の気質なのである。その意味では、いまの田中角栄ブーム(本当にあるとするならば)は、日本人が民族主義的な気持ちに目覚めて、アメリカ嫌いに傾き始めた証のように見える。世界中でアメリカの価値観を一方的に押しつけ、武力まで行使しながら結局は世界を混乱させただけで、その後始末すら出来ないでいるアメリカ外交の姿が、白日の下にさらけ出されてしまった事も、多くの日本人のアメリカを見る眼を変えさせたのだろう。
表面ではきれい事を並べながら、裏では汚い策略や圧力をかけるやり方がアメリカ外交の常套手段だとわかったいま、日本人のアメリカ嫌いがすすんでいる。加えてヨーロッパの難民・移民問題の根は、欧州各国の過去の歴史にも原因があることを知り、人道主義を高らかに謳いながら結局は、自国の利益最優先に戻る姿に、欧州への幻想も冷めてきた。日本人的なあるいは仏教的な考え方で言えば、他人のために自らの命まで投げ出すのが本当の人道主義であり、都合によってかわるのは所詮自己満足や上から目線の行為だと感じてしまうのだ。さらに中国や韓国の誤った反日政策・教育が、逆に日本における嫌中・嫌韓を生み出してしまった。
こうして偶然なのか歴史の必然なのか、世界の情勢が、日本人に自らの誇りを取り戻して民族自我に目覚めることを後押しすることになった。
もう一つ角栄ブームを生み出している理由がある。始まったアメリカの大統領選挙で、左右ともに極端な言動をする候補者が高い支持を得ているのは、アメリカ国民が強いリーダーを求めているからであろう。おなじように、日本においても強い指導力を政治家に期待する空気が社会に満ちている。角栄はその象徴でもある。
時代が混乱し混迷を深めるほど、人々は不安を払いのけるために強い指導者を求め、強い発言を是とするようになる。
これほど日本社会の底流に流れる日本人の意識が変わっているのに、その真の姿に気が付かない人々もたくさんいる。その多くは、既得権者として自分の現状に満足し、それを維持したいと考えている人達である。既存のメディアや知識人・政治家などからまともな話が出てこないのは、そのためであろう。「いま」を変えたくないから、新しい流れなど見たくも無いのである。
期せずして世界中で吹き始めた、愛国主義や民族主義的な風。ほどよい民族主義は誇りを持たせ、自我の確立にも寄与する。だが、いきすぎれば偏狭で排他的な民族主義に堕してしまう。まさに調和こそ最も大切なのである。正しい民族主義は害では無いと素直に認めながら、暴走をしないように歯止めをすることが大切なのだ。
田中角栄ブームという小さな話の裏には、日本人の気質の話が横たわっている。
平成28年2月3日(水)