災害と気質 緊急時に不向きな集団農耕型

 4月14日から続く熊本を中心とした地震。過去に例が無く、予測も聞かず、気象庁でも半ばお手上げの状態にある。縄文時代から現在までの歴史でも1万5千年以上の長さがある。その中で災害の確かな記録など微々たる物であり、それを過去の例などと考える事事態が、科学万能主義に毒された傲慢さ以外の何者でもあるまい。謙虚に、謙虚に自然と向き合う姿勢が改めて問われている。

 それはさておき、日本人の気質を形作ったのが、この日本列島の自然環境である事は言うまでも無い。近代科学に毒される前の日本人は、災害はいつでも予告も無くいきなり来ることをよく知っていた。そこから日本人の精神基盤の奥底に有る「無常感(観)」も生まれてきたのだろう。

 緊急事態においても冷静沈着で騒がない、攻撃的にならない、他人を思いやるさまざまな気質が日本人の気質の長所である。しかしここでは敢えて、問題となる気質を指摘したい。災害多発時代にすでに入っている日本においては、これからも起きるであろうさまざまな災害に対して、気質の問題点を理解した上で対応策を講じておく必要がある。

 本文で日本人の気質型として、孤高武士型と集団農耕型がある事は説明している。それぞれの特徴(利点、欠点)も。そのことと、いま熊本を中心として異常な地震多発の状況下で、問題となっている被災者支援の在り方との関係を見ておきたい。

 土砂崩れや、家屋の倒壊により閉じ込められた人々の救出については、過去の多くの発生例により警察や消防をはじめとして。さまざまな形での専門部隊が結成され、専門家も育成されて、それなりの成果も見えてきている。しかし、被災者が逃げ込んだ避難場所の運営や、被災者への支援は、今回特に問題とされている。日本が、ロジステックとよばれる物流や兵站補給が弱点であるとは、すでに神話化するほどに一般的な認識となっている。そのために戦前の日本軍の敗北も、兵站補給の不備から指摘する論説もおおい。あまりに多すぎて、逆に、それが真実なのかという論説も出てくるほどである。

 今回の群発地震において、自治体からの要請を待たずに支援物資を送り出すという決定を下すほどに、安倍総理大臣は危機感を持って、対応しようとしている。にもかかわらず、ネットやメディアでは、支援物資が不足している、届いていないという報道が溢れている。なぜこのような事が起きるのであろうか?

 簡単にいえば、大きく三つの原因がある。
 ・どこに避難している人がいて、何を求めているのかの情報収集が欠如して、現状把握が出来ていない。
 ・支援物資の集荷場所には膨大な物資がありながら、そこから末端の被災者に届かない。
  仕分けをする人、荷出しをする人の圧倒的な不足。
 ・避難場所への配送の確保が困難。
  配送車、運転手、道路の混雑、道路の障害等の情報不足などが、かさなっている。

 市町村をまたぐ自治体の壁など、他にも具体的な問題点は多々あるが、その多くはこれまでも大きな災害のたびに指摘されてきた。では、なぜそれが改善されないのであろうか?そこに、日本人の気質を見ることが出来る。


 戦前の日本軍や、戦後の災害対応における政治家や行政の不手際を見ると、日本人は緊急時に対応する能力がないかに見える。だが、それは誤りである。戦国武将を見ればわかるように、名だたる武将達はみな情報収集と状況の変化に対する柔軟な対応策を持っていた。ま、そうでなければ滅びるだけなのだが。豊臣秀吉が、信長の変事を知り、直ちに大軍を京都に戻した「中国大返し」は有名であるが、万という軍勢の装備とともに食料を補給しながら強行軍をなしえたのは、日本人が危機に弱いわけで無いことをよく示している。

 役人、公務員などに多い、というか日本人に多い集団農耕型気質は、災害などの危機にじっと耐える力は強いが、現状を打破する柔軟性に乏しい。「指定避難場所では無いので支援物資は届きません」などは、まさにお役所仕事の典型であり、決められたルーチンワークは、そつなく「改善」しながらやっていくのだが、決められていない事態への対応は、孤高武士型気質の人間で無いと向いていないので有る。

 霞ヶ関の役人がいくら机上ですばらしい支援案を作成しても、それを実行させる事が出来なければ、まさに絵に描いた餅であり、戦前の参謀本部の無能さに通じてしまうだろう。すべての自治体に孤高武士型の人間が配置されていることが望ましいのだが、それは無理があるだろう。ならば、それを補う仕組み、システムをあらかじめ用意しておく必要がある。


 烈風飛檄(日本改革私案)では、防災に関する提案を数多く行って来た。とくに、防災省と情報省の創設は、喫緊の課題と述べてきたが、今度こそ実現してもらいたい物である。具体的な提案は、別途述べたいが、ここでもひとつだけ提案しておこう。

 被災地の自治体では多くの公務員などが、批判されながらも賢明な努力を続けている。その事には頭が下がる思いである。彼ら彼女らは、死にものぐるいで頑張ってくれているのだが、大規模災害対応の専門家ではあるまい。気質だけでは無く、専門の訓練が必ずしも十分でない役所の人達に多くを求めるのは酷な話でもある。だからこそ、常時迅速に動くことの出来る専門家集団を抱えた防災省が必要なのである。

 地震だけではなく、あらゆる災害に対して的確な対応が出来るプロ集団。200人ほどいつでも動けるようにしておく。今回で云えば、災害発生と同時に情報入力端末を携えた専門家が災害自治体に駆けつけ、的確な情報収集と本部との連絡を取り持つ。政府が、生活支援チームなるものをすべての省庁から人を集めてつくったが、素人をただ集めて現場に送っても、足手まといになりかねない。それよりも、情報を正しく迅速に集めて、防災省から支持する形で各自治体に何をするべきかを伝える方が、大規模災害時にはとくに有効である。市町村の壁や区分など、災害に笑われるだけであろう。

 支援物資の大規模集荷場所から、どこに、何を、どのルートで配送するか、を的確に指示できれば、上述の人手不足も緩和されよう。なにより、被災者の不安や不満も収まるであろう。炊き出しを受けて喜んでいる図を見せられるだけで、水すら無い被災者の怒りと絶望は、社会不安の元凶ともなる。被災者格差は決してあってはならないのだから。


 このように気質を理解したうえで、あらかじめその気質に合った仕組みを整備しておくことが、現在社会の日本には強く求められている。

平成28年4月18日(月)

 

2016年04月18日|気質のカテゴリー:外伝