集団農耕型気質の職業裁判官
裁判員に選ばれた一般の国民が、勇気を振り絞って合法的とはいえ人の命を奪う「死刑」判決を下しているのも関わらず、職業裁判官による上級審での減刑判決が続いている。しかもこの減刑判決、結局は殺したのが一人ならば、いくら残酷であろうとも死刑にはしないという過去の判例踏襲に従っているだけなのだ。死刑を裁判官が無期懲役に変更する判決が相次いでいる。すでに5件(1件は被告が上告取り下げ)も。
職業裁判官が一般の国民の感覚からあまりにもズレているという事で始まった裁判員制度。初めはおとなしくその判断に従っていたのだが、ほとぼりが冷めたとみるや、自分たちのやりたいように判決を戻している。まさに、役人がよくやる手である。
ここにも集団農耕型の典型的な気質が見て取れる。
・基本は、素人が専門家に口出しするなという、自己尊大な気質。
・前例踏襲という横並び、責任回避の気質。
・人権派に配慮したという自己満足。
・個別の事案毎に真摯に向き合おうとせず、外形だけで事を済ませようとする事なかれ。
・結局は、狭い自分たちだけのくくりへの病的な撞着なのである。
これなら、もはや過去の判例を学ばせたAIによる判決で十分であろう。将来なくなる職業に裁判官を加えておくべきだ。
刑法上も検討すべき課題がたくさんアルにもかかわらず、誰もそれをきちんと発言しない。何か言うと反リベラル、反人権のレッテルを貼るメディアが、それを助長している。
なぜ他国のように、殺人に他の罪を加えた多重刑罰としないのか?常にひとつしか起訴しない。
なぜ、無期懲役と言いながら簡単に出所を許してしまうのか。なぜ、真の終身刑を作らないのか。
終身刑と死刑とでは、どちらがより非人道的だというのだろうか?何も議論されていない。
今回北朝鮮による暗殺で騒ぎとなったマレーシア。殺人罪で有罪となれば、死刑しか刑が無いという。これもまた行きすぎの気もしないではないが、こういう他国の感覚を一概に後進的、反人権と決めつけるのは、思い上がった傲慢な心がなせる業だろう。それが集団農耕型気質でもある。
平成29年3月10日(金)