移民の受け入れと気質

 フランスのパリで起きたイスラム過激派ISによる同時多発テロ(2015年)が、世界の国々とりわけ欧米を震撼させた。テロの実行犯に移民の子孫でフランスやベルギー国籍を持つ人物がいたり、難民に紛れてテロリストが入り込んだことから、移民や難民の受け入れにも影響を与えることになった。折しもシリアを中心とした大量の難民が欧州に押し寄せているさなかでもあり波紋が大きかった。

 事件に絡んで、なぜフランスで起きたのかとの問いから、各国の移民の受け入れ姿勢の違いもテレビの解説などで取り上げられることになった。フランス同様に移民を大量に受け入れてきた国は、イギリスを始め他にもある。その中フランスが狙われたのは、移民受け入れ政策の違いが影響したのでは無いかという話である。

 フランスでの移民の受け入れは、フランスへの同化が基本である。フランス語を話し、フランスの文化に溶け込むことが求められる。とりわけ世俗主義の受け入れが大きな柱になる。世俗主義とは簡単に言えば政教分離である。政治に特定の宗教を持ち込んではならない。これはイスラム教徒にとっては、なかなか受け入れがたい事だという。なぜならイスラム文化は、政治や社会もまたイスラムの教えに従って行われることが基本だからである。女性が髪を隠すブルカの禁止法や学校でスカーフをつけられないのは、イスラム教徒にとっては精神的な圧迫を感じるのだろう。

 フランスが世俗主義を強く求めるのは、国の成り立ちに理由がある。フランスの自由・平等・博愛の精神とは、それまでの国王や貴族による統治を一般民衆が武力で打倒したことにより成立した建国理念である。その打倒すべき勢力には、当時のキリスト教の教会勢力も含まれていた。このことから、どんな宗教であれ、宗教が政治に絡むことを許さないのが国是となっている。

 同化を求めながらも、目に見えない差別が厳然として存在するのが欧米である。国籍は同じでも同じ国民として扱われず、なおかつ個人的な信仰である宗教の行為にまで制限が加えられる、そんな反発がイスラム教徒の移民に多く生まれるのは無理からぬ事なのかも知れない。たとえばフランス全体での失業率が10%なのに、イスラム移民が多く暮らす地域では17%である。ここにも見えない差別が現れている。


 移民に同化を求めるのはフランスだけではない。ドイツもドイツ語を話し、ドイツに溶け込むことを強く要求する。それに対してイギリスは、フランスとはすこし違うとされる。専門家は、フランスが同化を求めるのに対して、イギリスはコミュニティを別々にして関わりを避けるのだという。だが特定地域に同じ出身民族があつまるのは、世界共通である。ベルギーでテロの巣窟とさえ呼ばれる地域の存在は、その典型例であろう。フランスでも同じであり、結局は隔離政策かどうかでは無く、生み出される差別感への反発の度合いが問題なのだ。イギリス流は、強く同化を求めるのでは無く、悪く言えば従属を求めるのだろう。そのことはイギリス内での地域差別の存在を、当のイギリス人が語ることからも明らかである。国内に民族対立問題を抱えた国は、極端な同化政策はとらない、いやとれないことになる。だからといって差別がないわけではない。



 さて、気質の話である。民族の優越論や反欧米主義と取られかねないので、言葉を慎重に選ぶ必要はあるのだが、これら一連の移民に対する欧米の国々の接し方を見ていると、どうしても気質や体質の影を感じてしまう。

 移民と奴隷制と何の関係があるのかと言われるかもしれない。が、西欧の歴史において両者にはつながりがあり、そして奴隷制への態度には、体質や気質を感じるのである。奴隷制度の底にある差別意識は、人類の普遍的な心情であろう。だが、それが歴史の表舞台で大きな特徴となる国(文明とも)とそうで無い国とがあるのもまた事実なのだ。ここには、それぞれの民族の体質が影響しているように思えてならない。

 古くから有る奴隷制度であるが、ここで注目したいのは、近世以降の欧米による大規模な奴隷制度のことである。これらの目的は、安価な労働力すなわち経済的利益(金儲け)である。それだけのために、同じ人間をモノや家畜と見なすことが出来る感覚は、正直日本人には理解不能である。戦争捕虜とか、借金の形とか、宗教的な違いとか、およそ理由らしきものがみじんもないのだから。

 奴隷にされた数は延べ1000万人以上にのぼるとも言われる奴隷制度がようやく崩壊した後に、出現したのが帝国主義による植民地支配である。欧米は世界中にその植民地を拡大し、同じように経済的利益を享受した。安価な労働力と共に、幾ばくかの消費市場と豊かな資源を独占したのである。さらにこれも崩壊した後に、生まれたのが移民である。支配していた国から大量の移民を受け入れて、単純労働や3k労働に従事させた。元宗主国という強みで、言語を理解し文化もある程度わかっている労働者は、使い勝手も良かっただろう。

 難民受け入れも決して人道的な立場だけからでは無く、自国の利益を考えてのことである。いま難民といいながら実体は豊かさを求める移民が大量にドイツを目指している。当初は、過去の成功例を繰りかえそうとした勢力によって、受け入れを歓迎していたのだが、そのあまりの多さに受け入れに急ブレーキがかかっている。これまで移民や難民を積極的に受け入れてきたスウェーデンなども見直しを行ない、難民でも一時的な滞在しか認めない、すでに永住権をもっていても家族を呼び寄せることは許可しない、難民でもEUでの各国に割当てられた数以上は受け入れないなどとした。ドイツも難民以外の早期帰国、国境の管理強化、認定条件の強化などを直ちに実施している。

 力こそ正義であり、人道よりも自国の利益が欧米の本質である。そこには、自らの命と引き替えても他人の人権を守るような意識は、いがいに希薄である。あくまで、自己がありその上での他人なので有る。これは個人主義の基本でもある。だが同じ人間をモノや家畜として見ることが出来ると言う感覚は、日本人には受け入れがたいところがある。この気質の違いは大きいだろう。

 人権を尊重し、非人道的な行為を厳しく糾弾する欧州が、むしろアメリカよりも人種差別が根強いことは、一部ではよく知られている。実際、海外での経験のある人は、日本人への差別感を肌で感じる人も多く、平等をうるさく言う欧州でむしろ差別感が強いことも実感している。この隠れた強固な差別は、体質として彼らにしみこんだものなのであろう。何かきっかけがあると底に沈んでいたものが、ふつふつとわき上がってくる。だが、表面上は抑えられるので、かえって陰湿な根深いものになる。建前と本音を日本人にだけ当てはめたがる欧米人は、逆に自分たちの建前と本音を知るがゆえに、批判する相手を欲しているのだとも言えよう。欧州の見えざる根強い差別意識については、私や日本人だけでは無く、当の欧米の知識人が述べているのだから間違いは無いだろう。



 こうして歴史を振り返るとき、自分たちの利益のために移民を受け入れたに過ぎない欧米の多くの国々では、国内に同化せざる民を生み出し、絶えざる紛争や衝突の遠因とも成っている。真に人類はひとつであると言う理想による移民の受け入れでなければ、当然そこには差別的な心情が存在する。そもそも自分たちがいやな仕事をやらせたり、安い労働力の担い手と見なすこと自体、すでに差別によるものである。少子化におびえる日本において、移民受け入れの大合唱が始まらんとしている。それがいかに身勝手な差別感に基づくものであるか、なぜかほとんど指摘されないでいる。このような現状での移民受け入れは、西欧の移民受け入れ意識と同じで、せっかく平等意識の高かった日本人の感性を自ら破壊するものに他ならない。金儲けのために魂まで売ることになる。戦前、植民地支配という欧米のまねをして失敗したように、移民を受け入れてまたも失敗を繰り返すのであろうか。

 最近では単純労働者の移民を排斥し、高度な技術や高学歴あるいは金持ちの移民を受け入れる政策をとる国が目立つようになってきた。日本のマスコミが報道しないだけで、シンガポールやカナダなどその数は多い。これらの国は、もともと単純労働者の移民を受け入れていた国が大半である。つまりどこまで行っても、選別すること自体、自国の利益が目的であり人類普遍の平等性を保証しているわけではない。そこでは差別の体質が色濃く残ってしまうことになる。制度上の問題ではないのだ。時代の流れはすでに、次の段階に入っている。それでもこのように移民として受け入れる人を選別する意識の底に、差別意識がついて回ることは否めないだろう。

 真に民族のくくりが薄められて、人類平等の理想としての人々の移動が当たり前になるには、まだまだ相当に長い時間が必要である。EUの混乱がそれを示している。

平成27年11月25日(水)

2015年11月25日|気質のカテゴリー:外国人気質