西部邁の絶望とは

 TokyoMXテレビで放送されていた西部邁ゼミナールを時々見ては、その博学にはいつも感心させられていた。熱心な視聴者では無かった上、テレビをあまり見なくなったので、今年になってからは放送されたものを見ていなかった。そこに飛び込んできた訃報、それも自殺のようだという。

 彼の意思でもあったのだろう、番組はすべてネットで無料公開されている。(西部邁ゼミナール http://s.mxtv.jp/nishibe/)その中から、最後に放映されたビデオを見て少し驚いた。あの穏やかな顔つきが非常に険しいそれに変わり、イライラしているような感じさえ見受けられた。さらに発言からは、「絶望」の単語が何度も飛び出し、本当に深い絶望の淵にいるかのごとくであった。

 妻を亡くし、健康上の問題もあって自殺した保守派の論客と言えば、戦後日本の「閉ざされた言論空間」を指摘した江藤淳がいる。彼の場合は、日本への深い絶望よりも身体が動かない事への絶望がより大きかったのであろうが、それにしてもよく似ている。さらに、何よりも日本を愛し日本人を愛しながら、その日本に絶望して死を選んだといえば、もう半世紀近くも前の三島由紀夫が思い出される。

 三島は、天皇を中心とした国体と言う日本文化を核にすえ、西部は「伝統」という価値を核に据え、日本人や日本をとらえていた。そして、それらがもはや壊れて再生もかなわないほどに落ちぶれてしまった事への深い悲しみと絶望が、彼らの心をとらえてしまったのであろうか。


 西部はなぜ絶望せざるを得なかったのか、そしてその中身とは何であったのか?絶望という言葉と共に発していたのが、次の言葉だった。

 言論は虚(むな)しい
 自分の人生はすべて無駄であった、生きてきたのは全く無駄であった
 もはや絶望しかない

 彼は東大在学中には、全学連の中央執行委員まで務めた左翼(共産主義者同盟:ブント)の活動家であったが、仲間内で殺し合う左翼過激派の内ゲバなどに失望したのか、途中からいわゆる保守派に転向した。そして暴力では無く言論活動によって、世の中を変えていこうとしたのであろう。数多くの著作と講演などの言論活動を精力的に行ってきた。しかしながら、その言論活動によって日本社会が変わったという実感を、彼はついに持つことが出来なかったのだろう。それが、先の言論のむなしさ、つまりは無力さを嘆く言葉につながっている。力尽きた感のある自分にとって残された道は、もはや思うように動かない自らの身体を始末することしかできないと考えたとしても不思議ではない。本人は否定するであろうが、これは三島がたどったのと同じ道筋にみえる。同じというのは、私が「三島のジレンマ」と呼んだ内容をさす。

 三島由紀夫は、左翼学生運動が盛んな頃、日本文化と日本人を守らねばならないとして盾の会を結成し、ついには市ヶ谷の自衛隊にのりこんで、日本の真の独立を果たせと檄を飛ばし決起を促した。しかし、果たせずそのまま総監室で切腹して壮絶な最期を遂げた。バルコニーから自衛隊員に呼びかける三島の命をかけた言葉に、集まった隊員達からは聞くに堪えない罵詈雑言が浴びせかけられた。その光景をテレビ画面で見ながら、同時に頭上を飛び交うヘリの音を生で(市ヶ谷の近くに住んでいたため)聞きながら、彼のやるせない心情を思い涙がこぼれそうになったのを記憶している。

 事実上のアメリカの属国から抜け出し、日本と日本人を守れと叫び続けた三島にとって、最後の拠り所とも言える自衛隊員からの罵声には、もはや日本人はいないのかという絶望感を強く感じたことであろう。誇りを持ち、愛し、守ろうとしたその日本人がもはやどこにもいない。一体誰を守ろうというのか、これこそが三島が感じたであろうジレンマである。


 それから半世紀近くが経っても、現状は何も変わらないかに見える。そして西部もまた同じ三島のジレンマに遭遇しているとしたなら、何という因縁であろうか、あるテレビ番組だったと思うが、西部はこんな発言をしていた。
 自衛隊の幹部を育てる防衛大学校で、アメリカの属国から抜け出せという趣旨の講演をしたところ、終わってから二人の隊員にこう尋ねられた。「長いものに巻かれろでなぜ悪いのですか」「寄らば大樹の陰でまずいんですか」と。つまり現状のアメリカ追随の全面容認発言である。西部は、これが自衛隊の幹部になるのですよと、あきらめ顔をして語った。そう、本当に絶望したのかも知れない。ビデオのアーカイブのなかに、日本人とは何かと言う20回にも及ぶ特別シリーズがあるが、その最終回で「日本人は消失している」「日本人の魂は終わっている」とすら語っている。


 したり顔をするなと怒られるかも知れないが、私には彼らの絶望感がよくわかる。なぜなら、私自身全く同じジレンマに陥って悩んでいたからである。だが彼らとは、ほんの少し異なる視点を持っていた私は、日本人の気質を考える事でこの絶望感から逃れることが出来たのである。日本人は必ず日本人的なものを取り戻すと。それが孤高武士型という本質的な気質の上に、集団農耕型という気質が覆い被さった日本人の有り様なのだから。

 本文で詳しく触れているが、バブル崩壊後の日本人が、すでに本質的な姿に戻り始めた日本人をよく体現している。さらにくわえて、科学も知識もすべてを一瞬で吹き飛ばす自然の偉大なる力の行使、東日本大震災などによって、本来の気質がさらにはっきりと目覚めてきた。
 最近よく言われる若者の保守化とは、いうまでもない、日本人の孤高武士型気質への回帰にほかならない。したがって、絶望する必要は無い。だが、急がねばならないのは事実だろう。今この国を取り巻く危機的な状況に対応しないまま放置すれば、気質が変わるまえに、絶滅してしまうかも知れないのだから。

平成30年2月3日(土)

P.S. 短くしかし西部の心情がよく表されたコラムが残っている。特別寄稿「言葉は過去からやってくる」。 胸に迫る最後の一文は、三島の最後の檄に相当するのであろうか!

2018年02月03日|気質のカテゴリー:外伝