「日本国紀」騒動は気質変化の象徴

 作家百田尚樹が書いた「日本国紀」という書籍。10月15日にアマゾンでの予約受付を開始したところ、10日経っても、総合ランキング1位を保っている。楽天でも1位、全国の書店からも予約が殺到しているという。初版10万部に加えて3度の追加で、25万部を初版出版するという。定価が1800円という高額、発売はまだ先の11月12日と、異例ずくめ。ネットでは一種の社会現象として捉えられている。だが、いわゆる新聞やテレビの古いメディアは、産経新聞以外全く触れない。作者が、保守派の作家として有名で有り、ネットの虎ノ門ニュースでは、既存メディアを激しく攻撃している一人だからであろう。

 当然のごとく、旧メディアでは宣伝していなければ取り上げもしないのだから、この驚異的な予約数は、全てネットと口コミによる物である。SNSの力で時の政権が打倒されるように、既存のマスメディアの力を借りることなく、ベストセラーそれも日本通史というお堅い分野で生まれる時代になったのである。これからの作家は、ますますネット依存を強めることになるだろう。

 それにしてもなぜここまでの社会現象のような事が起きたのか、百田尚樹はテレビの長寿番組の放送作家で有るから、いわば人々をあおるのは上手である。実際ネットで、かなり前からこの作品の紹介などを繰り返してきた。それでも本人や周辺の人が言うように、何かわから無い事が起きているという感じになるのもうなずけよう。この理由として、ネットを見ている多くの百田びいきの人達は、間違いなく既存メディアの左よりにうんざりしている人々で、自虐史観とは真逆の日本人を誇れる日本史を待っていたのであろう。

 既存の社会やメディアへの反発と言うことが言えても、それがなぜ生まれているのかについて迄、言及している人はいないようである。しかし、日本人の気質の本編を読んだ方なら、理解出来ているだろう。

 日本の歴史を日本人の気質で見るとき、集団農耕型が優勢な時と孤高武士型が優勢な時とが、交互にうまれている事がわかる。そして日本人はどんなに洗脳されたとしても、いつか必ず本来の孤高武士型に覚醒することも述べた。その大きなきっかけのひとつが、自然災害なのだとも。

 

自著:「日本人の気質と歪んだ社会 ~人格障害症候群~」より

 バブルの崩壊は、自然災害同様に日本人の心を深いところで揺さぶった。そこから自己中の集団農耕型に傾き過ぎた人々の心が、次第に動き始めていた。そして、阪神淡路大震災や東日本大震災によって、いわば完全に目覚めさせられたのである。最近、年代による左翼と保守の違いがいわれるようになったのも、実はこの事が大きく影響している。
 若い世代の保守化と言われる現象が、経済の好転やネットの進展によりオールドメディアから距離を置くようになったことなどを理由に上げている。その通りではあるが、なぜそれが起きたのかについてまで切り込んだ言説はあまり見当たらない。日本人の気質の時代変化という視点は、それをよく理解させてくれるように思う。

 地下水脈のように深いところで流れていた孤高武士型気質の覚醒が、いよいよ表面に現れてきた。日本国紀騒動は、まさにその象徴的な出来事なのではないだろうか。

 この現象は日本の国に取ってすばらしいことではあるが、真の変革時代にはまだまだはいっていない。それゆえに、危惧することがある。ひとつは、未だ社会の実権を握る世代や人々の多くが、この変化を全く理解出来ていないと言うこと。とりわけ、政界や官僚の鈍さは、まさにくくりへの病的撞着状態にある。理解出来ないが故に、さらにくくりへの撞着が、邪悪自我の病的撞着状態に陥り、国を滅ぼすことを平気で実行するようになるのだろう。すでにそれが始まっているように見える。実質移民の受け入れなどの政策は、まさにその象徴であろう。ここままなら自滅するか、突如起きる世界的な問題(大恐慌、軍事衝突、大災害等)に対応不能となって自滅するかしかないかもしれない。

 小さなレベルで言えば、左傾化したままの社会に反発が強まり、戦前の若手将校の叛乱同様、極端な民族主義が生まれる可能性も高い。そこでは、混乱しか見当たらなくなる。

 いま心ある孤高武士型気質に目覚めた人々は、本を買うだけではなく、具体的な行動をおこす時なのだと思う。大規模で民主的なデモが、いま求められているのかも知れない。

平成30年10月25日(木)

 

2018年10月25日|気質のカテゴリー:外伝