内部留保463兆円を使わないのも気質

政府がいくら音頭を取っても、指導しても、一向に内部留保を使わず、唯溜め続ける大企業の経営者達。

リーマンショックに懲りたから、来たるべき時に備えるため、言い訳は所詮言い訳に過ぎない。彼らが、内部留保を労働者に分配もしなければ、新規への投資もしないでいるのは、まさに集団農耕型気質のなせる業である。

失われた平成の30年は、日本企業が社内での教育、すなわち人材育成も、新しい事業などへの挑戦を全く都言って良いほど行わなかった時代でもある。デジタルトランスフォーメーション(DX)などと言う小難しい言葉を使わずとも、要は何もしてこなかった結果、世界のデジタル化の潮流の中で取り残されてしまったという事である。

欧米からはもちろん、追いつき追い越された中国だけでは無く、今ではアジア諸国からも2周遅れになった日本企業と言われている。このような危機感を持った報道やコメントは聞こえてくるのに、なぜ彼らは動かないのであろうか?

そこには、くくりへの病的撞着のレベルに達してしまった日本企業の姿がある。集団農耕型人間達が支配する組織(くくり)は、そのまま10年も続けば自滅の道を進む。デフレと人件費削減によって、かろうじて30年持ちこたえて来たに過ぎない。アベノミクスによってたまたま為替変動などのあぶく銭を手にしたのが、今の内部留保で有り、経営者達の積極的な経営の結果ではない。

くくりという企業組織に病的な撞着をしてしまった経営者や社員達にとって、最大かつ唯一の目的はくくりの維持すなわち現状維持なのである。なまじ内部留保など増えれば、かえって自分たちのやり方が正しいのだと現状維持に突き進む。他の事は論外なのである。

自分の属するくくりにだけ目をむけ、くくりの外にある現実からは目を背ける。たとえくくりの外が火事になっていても、自分の所は安全だという不思議な共同錯誤をもつ。社員達も付和雷同気質だから、誰かが行動しない限りは自分も動かない。さらには、くくりの中で自分だけが違う事をやって目立ちたくないという気持ちがくくり内に蔓延して、誰一人動かず丸焼けになる。ゆでガエルよりももっとタチが悪い深刻な問題がここにある。

自分たちのくくりの外の現実を見ようとしない上に、企業で言えば自分が経営する間は、社員は自分が務めている間くらいは大丈夫だろうという甘い考えで、何も行動を起こさない。官僚が問題を隠蔽したまま、時間稼ぎをするのと同じである。そこには自分だけよければ、その先など考えようともしない利己主義が根本にある。ましてや、社会や国の事など眼中に無いのである。国を売る政策を平気でやる外務官僚の存在は、その一例に過ぎない。

公に奉仕するという考えが皆無なのだから当然かも知れないが、自分たちが人を教育して育てるという感覚はまるで持ち合わせていない。出来る人間を雇えば良いという欧米のある一面だけを真似して自己満足を得る。これでは、世界や時代の新しい流れに取り残されるのも当然であるが、周囲を見ると取り残された人間ばかりなので、そこでまた安心してしまうのであろう。危機意識は薬にしたくも生まれてこない。

未だに日本ブランドが生きているとか、日本は技術力が高いなどという消え去った幻想にしがみついているのも、くくりが完全に破壊されないからである。集団農耕型が恐れる「破壊」がくくりに起きない限り、自律的に彼らが変わる事はないのだろう。

令和元年(2019)10月5日(土)

 

2019年10月05日|気質のカテゴリー:外伝