目利きという能力
ツイッターで、戯れに「ぼけ老の思い出話」というのをいくつかあげてみました。その中で、「残念な現実。どんなに本人に才能があっても、それを認めてくれる上司あるいは、わからないけどやらせてくれるチャンスをくれる上司に、巡り会えない限りは組織の中で埋もれてしまいます。それが「運」の一つでしょう。」というのを書きました。
人を見る目
日本人の気質ではきちんと触れることが出来ませんでしたが、この「目利き」の才能こそ、日本の変革を進めた大きな原動力なのだと信じています。歴史家の磯田道史が、「戦国を生気抜くために必要な能力を一つだけあげれば、それは人目利き(めきき)である。日本人はこの査定能力が高いとは言えないのだが、戦国や明治期など危機になると日本人にこの能力がどこからともなくわいてくる」と述べています。これこそ日本人の気質で繰り返し述べてきた、危機になるとそれまでの集団農耕型気質から孤高武士型気質に変化して、孤高武士型の人材が輩出する、ということなのです。そしてこの人を見る目、目利きの能力こそ孤高武士型の人が持つ能力の一つなのです。
明治維新で活躍した多くの人材が、それほど身分の高い武士たちではなかったというのも、このことおw証明しています。低い身分のものが殿様や半に変わって行動を起こすことが出来たり、戦の先頭に立てたのも、それを許す上司がいたからに他なりません。西郷隆盛も島津斉彬に認められたからこそ、活躍できたのです。上司でなくても、藩校や私塾で教えていた公明な学者たちは、本院の行動力はさておいても、弟子たちの才能を見極める力が合ったのは、吉田松陰が残した弟子の評価などからもよくわかります。
戦後に起業して大企業を作り上げた経営者たちにも共通しているのが、この人を見る目です。聖徳太子ではないのですから、それは必ずしも100%相手の能力を見極められなくてもかまわないのです。相手の言うことがそれなりであり、やらせてみてもかまわないかなと考えるレベルでも良いのです。物事に成功が補償されたものなどありませんから、100人にやらせて一つでも成功すればよいのです。
集団農耕型気質の人間は、この能力が著しく劣ります。もともとないというよりも、その他の気質が、それをじゃましてしまうのです。たとえば、外来崇拝や自他同水準幻想が強ければ、自然部下の言うことを馬鹿にして取り上げなくなります。そのくせ役にも立たない外国人をありがたがるのです。
また、目利きで重要なのは、その相手の持つ本質的な能力の見極めです。肩書きなどのレッテルを重視する人間では、人を見る目は育たないのです。
様々な会社で様々な人達と付き合いましたが、目利きの優れた人は、ほとんどいませんでした。いっぽうで、外史では外国人上司の見方は面白いものがありました。彼らは目利きましてや日本人の目利きが出来ているわけではないのです、史kし提案に対してはその内容を評価し、失敗したときの損失がどの程度かを見極めてとりあえずやらせる態度でした。だめならすぐに首に出来るのもあるのでしょうが、挑戦はあまり邪魔をしません。このてんが、集団農耕型で凝り固まった国内の大企業との大きな違いです。
私語はすべて人間の力がものを言います。したがって、人を見極める目利きの能力は、非常に重要なのですが、漠然としていることもあり、ほとんど取り上げられることがありません。劣化の平成時代には、それがさらに悪化していったのです。
ではどうしたら目利きになれるのでしょうか。生まれついてのものが大きいと思いますが、相手を何のフィルターも通さずに素直に観察すること、様々な人間の存在を知る上でも読書をすること、などが挙げられるかもしれません。
令和3年1月14日(木)