くくりの動的再編を実戦している若者たち:裏アカ
日本人の気質において、集団農耕型気質の持つ大きな特徴が「くくりへの強い撞着」であることは、本文などでも繰り返し述べてきました。この特定のくくりへの撞着が病的に進みすぎると、大変なことになることも詳しく述べました。
この一つのくくり、例えば勤め先というくくりへの撞着が、行き過ぎないためには何が必要かと言えば、くくりの動的再編(動的移行)が重要であることも述べました。人間は本来様々なくくりの中で生きています。それを時と場合に応じて撞着するくくりを柔軟にかえていきます。これがくくりの動的再編です。会社という組織のくくりにおいては、中間管理職というくくりで自分の行動を制御していますが、家に帰れば、夫とか父親というくくりへ撞着先を変えるわけです。
この動的再編が旨く働くためには、前提として、自分がいくつかの異なるくくりに属していることを自覚する必要があります。種々のくくりへの所属の自覚がなければ、動的再編も行えないのですから。むろん、必ずしも意識的に動的再編を行わなくても、無意識のうちに様々なくくりを自覚しているわけです。
自分がいくつかの異なるくくりに所属しているという自覚を持って自らの行動を決定すること、つまりくくりの動的再編を、今の若者たちは案外うまく行っているようです。
SNSなどでは、いくつものアカウントをもって人を非難したり中傷したりすることがよく起きています。俗に裏アカというようですが、あまり良いイメージではありません。しかし、複数のアカウントを持つことは、必ずしも悪いことではありません。なぜなら、それぞれ異なるくくりでは、アカウントを別にすることはむしろ当然のことなのですから。
ネットでの記事によれば、自分を代表するメインのアカウント、仲良しとだけつながるサブのアカウント、趣味などで広くつながるサブのアカウントなどを持つそうで、まさにくくりへの動的再編用のアカウント群ということになります。これらの異なるアカウントを使用することによって、彼ら彼女らは、くくりへの動的再編を行っているわけです。たとえ、意識していなくても、このような考え方が出来ることは素晴らしいことです。なぜならば、くくりの動的再編が柔軟におこなわれていれば、特定のくくりへの病的な撞着をおこさないで済むからです。
もちろん、アカウントを複数持つだけで、特定のくくりへの病的撞着がおきない補償は全くありません。時には、人に知られないアカウントを使用することによって、他人への攻撃性を強めるなどくくりに病的に撞着してしまう恐れさえあります。それでも、今の若者たちは集団農耕型のくびきを抜けて孤高武士型に変わりつつある証だと、前向きに捉えたいのです。
令和3年1月31日(日)