男と女 共感性

 男女平等という社会における約束事を重大視するあまり、男女はおなじである、いや同じでなくてはならない、という原理主義がはびこっているのが今の日本社会の現実です。そのくせ、男女の同一賃金など本来同じで無くてはならない部分では、男女差が存在したままなのです。不思議なのは、最も重要な賃金などの差については、原理主義者達はそれほど騒いでいないように見えることです。
 つまり本当に社会をより良くするためではなく、自分たちの思想・信条を広げることが目的のようです。

 そもそも、男と女は少し違うところがあるから面白いし、お互いに惹かれ合うのだと思うのですが。時にそれが、いざこざの元にもなるようです。
 心理学的に見ても、様々な項目において、男女での違いのある項目は少ないようです。そのなかで、唯一大きな性差が認められるのが「共感性」です。相手の考えている事や、抱いている感情に共感する(出来る)働きです。
 男女がお互いに共感出来ないというのでは必ずしもないのです。いわば共感した後の反応が違うようなのです。

 これはTwitterなどでも、よくでてきます。
 女性が男性の夫や恋人などに愚痴をこぼしたとします。このとき、女性は愚痴を子バスのも当然だよねと、共感だけしてくれれば良いのです。女性であれば、「そうなんだ」「そのとおり」「それはひどいわね」「わかる、わかる」などと反応してくれます。
 ですが、男性は違うのです。共感だけでは済まないで、その問題点の解決策を提示しようとしてしまうのです。「わかるけど、こう考えられないか」「それはこういうことでは」「深く考えない方がいいよ」などと返してきます。

 ここで衝突が起きるわけです。別に女性は愚痴の内容に対して何らかの解決策や反応の提示を期待などしていないのです。むしろ、そんなものは邪魔で、余計なお世話なのです。単に共感して共鳴してくれればよいわけです。それが望みなのですから。

 男は問題があると、論理的な解決策を求めがちです。ですから、その答えがみつけられないと、自身も追い詰められてしまうのです。女は、吐き出してしまえばそれで充分うさばらしになるのです。特に答えのない問題に関わることはしないのです。だからこそ、わがままな無法者である赤ちゃんなどにも、長時間優しく接することが可能になるのでしょう。

 このように、男女には明らかな違いがあると認めることも、一緒に生活していく上では、有意義なことなのです。男女平等原理主義者に惑わされないで、軽く受け流しましょう。そして、社会的な男女差こそ、少しでもなくすように協力していくべきです。特に賃金において。

令和4年12月26日(月)

2022年12月26日|気質のカテゴリー:外伝