自己愛人間の親と子
同じ時期に、実は根は同じかもしれない2つの事件がありました。
ひとつは、東京メトロ南北線の東大前駅で、大学生が包丁で切りつけられた事件。もう一つは、東京立川市の小学校で、男2人が暴れて教職員5人がけがをした事件です。どちらも何とも奇妙な事件なのですが。
前者の事件では、犯人がその動機を話しだしたのですが、それがまたなんともおかしな話なのです。というのも、親が教育熱心なあまり自分は中学校の時に不登校になり、自分の人生が変わってしまったそうです。「世間の親に、度が過ぎると子供が犯罪を犯すようになると言うことを示したかった」というのです。
もう一つの事件は、さらによくわからない事件です。というのも小学校に侵入して暴れた男2人は、実はこの学校に通う生徒の母親の知人だったのです。この母親の子供がいじめられたというので、教師との面談をしていたそうですが、満足いく回答が得られなかったのでしょう。一旦、家に戻った母親が、この知人2人を連れて小学校にまた戻ってきた訳です。そして、そこで暴れさせたということです。
要するに、この二つの事件共に親に問題がありそうです。これこそ自己愛人間の親の典型に見えるのです。自己愛人間については、また改めて詳しく述べることにしますが、ネット上では「毒親」というワードで盛んに取り上げられているようです。さらにまた、モンスターペアレントが問題になっていますが、東京都の教育委員会の調査によれば、暴言、恫喝、金銭要求などを受けたと答えた都立公立学校の教師が、22%にのぼるというのです。
表紙のイラストを参照してほしいのですが。イラストには。母親が。子供の面倒を見ています。ですが、この母親は自己愛人間なので。自分のことを中心に子供を見ているわけです。つまり本心は自分好みの子供にしたり、自分の思うようにしたい。あるいは自分の何かを自慢するための道具としての子どもなわけです。本当の子供への愛情なわけではないのです。そういう歪んだ心が本心なのだと表しているのが、母親の後ろの恐ろしい老婆なのです。これは、彼女の本心を表しているわけです。
自己愛は人間に取って必要なものでもありそれ自体が否定されるべきではありません。ですが、それが度を超して自己愛人間と呼ばれる様になると問題なのです。特に親がそうだと。
自己愛人間の母親は、子供に次のような態度を取り、影響を与えます。
自己愛の強い女性は、完璧な母親像を夢に描きます。したがってこどもとの絆は、正常な形ではなくて、あくまでも自分の自己愛の延長であり、特別な気分を味わい、周囲から承認され、称賛される手段である子供を欲するわけです。幻想の中の子供ですね。わが子を完璧とみなすにしろ、ひそかに失望するにしろ、自己愛の母親は、幻想の中の理想的な子供ほどには、現実の子供に強い愛情を抱きません。
妊娠したときも、彼女にとって最大の関心事は、生まれてくる我が子ではなく、自分自身の体験にあるのです。理想の母親像を描き、それにより他からの賞賛を得ようとするのです。
子供が自立を始めようとすると、自己愛の強い母親は子供を失うのではないかと思い、腹を立てるか怖くなります。そして過剰に恥の意識を植え付けて自立の機会を制限するか、子供を支配しようとします。
つまりただ我が子を利用して、自分の自己愛の風船をふくらませたいだけに過ぎないのです。
生後十か月から三年の間に子どもの自己愛を増幅させると、次世代の自己愛人間を作り出してしまうことになります。こうして自己愛人間が、次々と生まれてしまいます。
母親だけでなく、父親も同様に影響を与えます。
母親ということで述べていますが。男の扶養者であっても同様なのです。またそれとは別に、父親が自己愛人間であっても、同じように問題が生じます。それは、父親が母親をどう扱うかによって、父親の自己愛が二歳までの子どもに間接的な影響を及ぼすからです。
自己愛の強い父親としがみつく母親の間に生まれた子供は、生涯にわたって不健全な形で母親に縛り付けられやすいのです。
自己愛人間の親は、自分の欲求を満たすことに夢中で、子供に共感を示せない、あるいは子供が本当に必要としているものを感じ取り、うまく応じてやることができないのです。原因は自己愛人間の親の誇大感や特権意識にあります。
こうして育てられている子供たちは、いつか偽りの成熟を示すようになります。つまり、自己愛の強い親は、偽りの成熟を示す子供と特権意識モンスターの子供を生み出してしまうのです。
いずれにしても本当の自分ではなく、母親か父親の望む人間になったということです。恥の意識に耐えられず、乳幼児期の誇大感と万能感を増幅された子供は自己愛人間になってしまいます。
こうして育てられた子供は、自分もまた自己愛人間になるか、自己愛人間に引かれるようになります。かくして自己愛人間が、何代にもわたり社会に拡散していくのです。
いくつか捕捉させてください。ひとつは、自己愛人間=自己愛性パーソナリティ障害(NPD)ではありません。軽々しく人格障害(パーソナリティ障害)と決めつけてはならないのです。
理由は、人格障害者と普通の人とはグラデーションでつながっているだけのことだからです。社会的に問題を起こしかねないレベルにまで達しなければ、人格障害とは言えないのです。極端に言えば、無人島で一人ならNPDであろうがなかろうが無関係です。私たちは社会を構成する人間だからこその問題なのです。
ネットを見ていて気になるのは、いわゆる毒親のような自己愛人間のことを自己愛性パーソナリティ障害と決めつけていることです。これは明らかに誤りです。もちろん、自己愛人間の度が過ぎて、社会的に問題を引き起こすようなところにまで行ってしまった人たちがパーソナリティ障害として認識されるのは誤りではありません。ですが、自己愛性人間は非常に数多くいるわけで、それらの人々すべてがパーソナリティ障害だということではありません。
大半は、単にちょっと変わった人、性格が少しほかの人と違うということで収まってしまうはずなのです。ですから単純にここからとか、決めつけることは大変に危険です。そのことをまず理解していただきたいと思います。
むしろ、より深刻な問題は、日本社会においてこの自己愛人間が。増加しているように見えることです。世界的に見ても増加しているように見えますが、はっきりとした統計データがあるわけではありません。日本でもかなりの数の人が居り、しかもそれが増えているのです。ここで問題になった親の元で育てられた子供は、そのほとんどが、また自己愛人間になってしまうのですから。まさに、先ほどの東大前駅の事件の犯人の告白と一致する部分なわけですね。
では、なぜ。この自己愛人間が増加すると。社会にとって、望ましくないのでしょうか。それはいうまでもありません。言葉を変えてみれば、すぐわかりますよね。自己愛人間とは要するに利己主義者なわけですから。利己主義の集団は、必然的に自滅の道を歩んで全滅するということは、学問的にも認められていることです。自己愛人間も同じです。自己愛人間が増えすぎた社会は、結局はそれぞれが自分のことしか考えません。なにしろ子供すら自分よりも大事な存在ではないわけですから。なぜ自己愛人間が日本社会で増えたのか、詳しくは弊著などをご参照ください。
令和7年5月13日(火)
イラスト入りの動画は、こちらから。https://youtu.be/D4KkU0dBCk0