暴力と気質の関わり
「日本人の気質」ではさまざまな日本人の特徴を取り上げているが、あまり触れなかった項目がいくつかある。その一つが、『暴力』である。
暴力もまた、専門的にはさまざまな種類があり、その原因とされるものも多種多様である。ここでは詳細に立ち入ること無く、一般に広く言われる「暴力」と気質との関係について見てみたい。
本稿を書くきっかけは、大相撲人気が復活してきたというのに、またまた親方による付け人への暴行騒ぎが報道された事にある。できが悪い、言うことを聞かないということから、金属バット果ては金槌まで使って暴行を加え、傷害を負わせたというものだが、「またか」「まだこんなこと」というのが大方の反応である。
警察、自衛隊、スポーツ界、企業といわゆる主従関係や上下関係などが厳しい中で繰り返される暴力は、未だに後を絶たない。これとは異なるがいじめの集団暴行、近親者暴力(DV)のニュースを聞かない日はないほど、いまの日本社会に暴力ははびこっている。暴力事件は加害者の気質等個人的な要因が大きいのだが、これだけ同じような事件が繰り返されると、やはり社会的な問題としてとらえる必要も出てこよう。
また、身体的な暴力以外にも言葉によるものなど実に多くのものが、広義の暴力とされている。ここでは、比較的目に見える物理的な暴力の一部について述べることにして、暴力全般と気質の複雑な関係には立ち入らない。
日本人の気質において重要な因子として「くくり」の概念を提案した。個人的な暴力も、さまざまな例を分類して見ると、いずれもくくりと関わっていることがわかる。
いくつかのくくりの例を図にあげてみた。相撲をはじめとする各種スポーツ等の組織、警察・自衛隊・消防等の実力行使組織などは、くくりが強固で比較的外部からは閉鎖された集団である。またグループ内での特定個人への暴力が殺人にまで発展する例も多く社会問題になっているが、これもグループのくくりは強固で他と隔絶されている。オヤジ狩りをするような数人の集まりも意識としてはかなり強固なくくりとみることができるし、近親者暴力(DV)などは非常に小さな集団であるが、逆に他人が入り込めない強固なくくりである。
つまり、暴力事件を起こすようなくくりは非常に強固で、構成員がそのくくりに対して強固な撞着を起こしやすい、くくりのなかである人間がくくりの私物感・所有感をもつことで暴力などの独善に走りやすい、被害者がくくりから抜けだしづらいなどの特徴が見えてくる。
暴力を振るう人間は、本来自己防衛機構が強く、それが時に暴力として発現しやすい性格を持つこと人間も多い。そういう人間は、自分が閉じこもれるくくりがあれば、なおさらそのくくりを利用して、自己防衛を強めようとする。やくざが組を抜けるものを許さないように、時にはくくりからの離脱者を、拡張自我と見なすくくりの防衛のために暴力で押さえつけたり、殺して排除しようとする。
こうして本来個人的な暴力という問題も、社会的もっと言えば集団農耕型の気質の問題としてとらえ直すことが出来る。いずれにせよ、このくくりと暴力者との関係をみれば、いくつかの対応策も考えられるだろう。
閉鎖的なくくりを作らせないこと
縦割り行政で有名なように、日本人はとかくくくりを閉鎖的にしたがる傾向を持つ。したがって、暴力者と被害者のくくりが成立しないように、常に周囲からくくりを壊す作業を行うことが有益である。クラブの監督が暴力者であれば、クラブのその他の人間が、常にクラブ内に出入りするとか、監督を複数にするとかである。自衛隊であれば、暴力者の上官が、前触れ無く見回ることでも抑止力となる。
被害者のくくりからの脱却を支援する
暴力の被害者は、いつか暴力者に精神的にも支配されて、そのくくりから抜けられない状態になる例が多い。くくり概念で言えば、くくりの動的再編・動的移行が行われるようにすることである。警察組織で暴力上司がいるなら、簡単にやめて別の企業や組織に移る事を考える事である。暴力者のくくりへの撞着を強化させないのと同様に、被害者のくくりへの撞着をより柔軟に他のくくりに意識を変える動的移行を行わせる事である。いくつものくくりに寄って人間は生きている。それをもう少し考えれば、会社人間が企業のために悪事をしたり、暴力で言うことを聞かせるような事も無くなるだろう。
くくりの概念以上に重要な因子は、やはり自律と精神力であろうか。孤高武士型、特に理想像としてのサムライが、集団農耕型の人間と大きく異なる点は、3つの特長を持つことにある。
加害者に暴力などを自制する自律の心があれば、被害者がくくりから抜け出す強い精神力と行動力があれば、暴力行為がもう少し社会的な問題では無くなるのだろう。結局、最後の結論はいつも行き過ぎた集団農耕型から孤高武士型に気質、性格、心のあり方を変えていく事になる。が、言うは易く行うは難しでもある。せめて、暴力問題に、このような視点を加えてもらいたいと思うのだが。
参考までに付け加えるなら、ここで言う精神力とは心が持つエネルギーの量と質の総体である。戦後とりわけバブル崩壊後、この力が日本社会全体で弱まってしまった。そのことが、少し前なら考えられないような不祥事や問題発生の遠因となっていることは疑いの余地もない。日本人の歴史を見ると、この精神力は、自然災害でも社会的な問題でも、何か大きな困難に遭遇すると強化されるという事が繰り返されてきた。いまもまた、そういう時代に入りつつあると言うのが、個人的な見解である。是非そうなってほしい。
さらにもう一つ付け加えるならば、脳科学の分野においても「暴力」の研究は進歩してきている。男性が攻撃的で女性はそうではない(最近怪しいニュースも多いけど)と言うことは、よく知られている。この事とも絡んで、日本の研究者が興味深い発見を行った。
脳の深部にある視床下部からは生殖腺刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH)が分泌されている。筒井和義らは2000年に、生殖腺刺激ホルモンの放出を抑制する別の脳ホルモン(GnIH)を視床下部から発見した。いわばGnRHがアクセル、GnIHがブレーキである。このGnIHに動物の攻撃性を抑制するという新しい機能のある事がわかり、これをうまく使えば暴力的な人間の暴力を押さえる薬が開発されるかもしれないのである。
だがすべての事柄や存在は、何らかの調和によって保たれている。それを一方的に壊すようなものが、どのような結果を招くのかはよくわからない。病気の治療も大切であるが、社会の病気は、出来るだけ教育によって改善していくべきであると信じている。
参考資料
日本人の気質 第4章「くくり」と「撞着」
第5章 くくりへの病的撞着がもたらす社会病理
平成27年9月5日(土)