部下より低年収なんておかしいだろ

人生は迷路かな⑥ 部下より低年収なんておかしいだろ 残業月200時間超え部下         数ヶ月でやめた後輩

 前回、と言っても何年前のことやら...時期がわからないよう時節のニュースは取り上げないと書いたのだが、またまたそれを破ることに。成果で報酬を決めるための新労働時間制度の議論が大詰めを迎えているとか。導入反対派のいう「残業代ゼロ法案」である。「新労働時間制度については政府の成長戦略で年収が少なくとも1000万円以上で高い職業能力を持つ労働者を対象」なのだそうである。

 この話、自分の経験と「日本人の気質」両方に照らし合わせてみると、なかなか複雑で奥深い話となる。が、最も単純に感じるのは、「今頃残業代の話?」というものである。すでに会社勤めを辞めて、いや辞めさせられてから長い年月を経ている私の古びた経験から言っても、時代がどこかで止まっているような話に聞こえる。

部下より低年収

 私自身、確か30代の初めにはすでに管理職扱いとなっていた。SE兼プログラマーの仕事に残業はつきものであった時代でもある。いまでもIT技術者の待遇が変わらないというのは、日本社会の「時代遅れ」以外の何物でもないと思うのだが、それはひとまず横におこう。

 会社員にとって、確かに残業代は魅力がある代物である。実際、多額の残業代を手にすると、とんでもない余裕が生まれたような気がしたものである。それが、やることも変わらずに、いきなり残業代を召上げられたのである。労働者としては、非常に腹が立ち、しばらくは、定時で帰ろうと努めたほどであった。さらに腹立たしかったのは、さして年の変わらない部下や後輩が、残業代により年収では私を上回っていたことである。管理職になってなまじ部下の給与を知っても、これではやる気も失せる。すずめの涙の管理職手当は、営業職の営業手当程度で結局、若い社員より安い給与だったのである。その後、転職と会社の経営母体の変化により多くの会社に勤めることとなったが、以降一度も残業代はもらうことなくサラリーマン時代を終わったのである。

残業月200時間超え部下

 管理職や外資系企業で、およそ残業代に縁のなかった私には、いまだに残業代でもめている日本の社会が奇異に見える。同じ仕事をしても、夜や休日にやると給料が良いというのは、どこかおかしいとも感じるし、とんでもない社員を経験すると、いわゆる企業側の立場も理解できてしまう。

 毎月これだけの残業はすると決めている社員は、結構いたものである。元々の給与が低すぎるかどうかはさておき、こういう意識をもって働く人間はあまり好きではない。少なくとも、武士は食わねど高楊枝でいたかった。月20時間の残業なら、かわいいものであろう。長時間の残業をする社員が会社全体で問題になった経験は何度かある。自分の部下にもそれがいたから、たまらない。管理不行き届きで、こちらの評価が下がるのだから。
 そのつわもの、なんと月に200時間を超える残業をしていたのである。残業代もさることながら、労働基準監督局ににらまれるのではと、人事などでは大騒ぎをしていた。いかに週休2日の会社でも、月200時間を超える残業をするには、ほとんど会社にいなくてはならない。

  土・日に8時間x4回=64時間
  平日7時から11時まで毎日(月22日として)=88時間  計152時間

 まだ足りない。そこで、週に何回も徹夜をしていたのである。いかに仮眠時間3時間があろうとも、徹夜明けのまま翌日勤務するのは非常につらい。プログラミングなど頭が動かないし、実際それを何回もやるなど不可能であろう。そう言わせないために彼は狡猾だった。時々、休日の徹夜にして翌日休んだり、徹夜の翌日は午前中半休をしたのである。この状態が何か月も続き、やめさせるのに苦労したのだが、何とか異常な残業はやめさせた。

逆恨みの告げ口

 そのためなのか、彼は、ま彼だけではないのだが、私の追い落としをはかり嘘八百を社長に告げ口して、私は会社を退職した。この事実は会社を辞めてから、他の部下とあった時に始めて知った話である。権力闘争に興味のない私が甘かったのであろうが。男の嫉妬や権力争いの醜さは、男女差別以上に陰湿で激しいものがある。

 もともと異常なこのつわもの、その後も会社ともめて結局首になったそうである。この人物、いわゆる有名大学、それも修士卒で大企業からの転職組であった。この最初の会社も、どうやら同じようにもめて首になったようである。採用時に人物調査はするのだが、日本の大企業は、自分の恥となることは隠して、なかなか話してくれない。そのために、こういう人物がはびこり、多くの人が迷惑を被ることになる。それもまた人生なのだが。

 労働時間や労働内容などさまざまなことを経験し、経営側の立場も労働者の立場も共にいやになるほど知ってしまうと、今の騒ぎがどこかぴんとはずれで、もともと別の意図があるのだろうと思えてしまう。管理職、営業職、外資系、年俸制、非正規社員など、すでに残業代が付かない会社員は相当多いはずであろうに、ここまで政官財が一致して進めようとするのは、腑に落ちないのだが、このコラムの趣旨から外れるので、そこは触れないでおこう。

 残業には、労働時間と効率の問題が常に絡んでくる。技術の進歩は、個人間の能力の差をうずめてくれる。それでも、大きく差がでてしまうことは良くある。ノーベル賞級の発明や発見をすべての人間が出来るわけでもあるまい。ただ日本からは、もっと多くの受賞者が出ておかしくないと思うのだが。なかなか認められないという意味と、多くの日本人には才能を発揮しないまま終わる人も多いという両方の意味で。

数ヶ月でやめた後輩

 私が会社員になりたての時代、コンピュータもまだそれほど発達していなかった。プログラマーの能力差が目立つ時代でもあったのだ。とくに、扱っていたオフコン(office computers)は、機械語に近い言語でプログラムを書いていた。ハードを直接動かせるという柔軟性は、時に暴走も生みやすい。
 入社して翌年には、なぜか後輩が出来た。私と違っていわゆる理系卒であった。教育期間を終わり配属されてきてから、現場教育(OJT)となったので、あるプログラム作成を頼むことにした。むろん、期待はしてないから、出来なければ、私がやるつもりでいたが。いきなり無茶と思う方もいるかもしれないが、企業とはそんなものである。実際コンピュータのコの字も知らない私は、初年度SEとして、何人かの外注さん(今でいう協力会社というやつ)、当然私より年上で経験も豊富な人達を、指示してこき使った、いや、一緒にやらせていただいた程である。

 そんな彼、悪戦苦闘ののちにようやくプログラムを完成させた。だが、動かしてみると動きがおかしい。簡単にチェックしてみたのだが、私にもよくわからなかった。責任感の強い彼は、毎晩遅くまで残って必死で作業を繰り返した。ついには徹夜まで始めた。それでもだめだった。で、とうとう私も徹夜に付き合うことにした。
 プログラムの命令を1行づつ実行していく気の遠くなるような作業である。実行命令がある時、あるところからおかしくなる、勝手に変なところに続いてしまうのだ。(少し専門的に言えば、ジャンプ命令もないのに、ジャンプしてそこから続きが実行されるという事。それも何回も繰り返し実行されたある時だけ。)バグ(プログラム内のミス)の内容はさておき、明け方にようやくその原因がわかった。その後二度と経験しない、偶然のいたずらが重なった信じがたいものであった。(データがアキュムレータにロードされるが、ある時そのデータがジャンプ命令と同じバイナリ―データがロードされて命令として実行、それがまた偶然に正しいアドレスを指していたので、そこから次の命令に。)

 それから一月もしないで、彼は会社を辞めてしまった。自分にはこの仕事が向いていないと言って。偶然のいたずらは、一人の人間の運命を大きく左右した。能力なのだろうか、それとも運なのであろうか。人間の成功など、しょせんは運が大きく影響しており、能力だけではどうにもならないと思うようになった始まりかもしれない。

 この時は、ほかの先輩や上司が面倒を見ないことにかなり腹を立てていたので、自分の責任についてはあまり感じていなかった。それより、向いていない職業には早く見切りをつける方が賢明で正しい判断だと思ったのだ。  会社人間い染まると、会社を辞めることすらできなくなる。ついには自殺という悲しい選択までしてしまう。それよりは、いやなら、だめなら、思い切って野垂れ死にを覚悟してでも、会社などさっさとやめてしまう方が良いのだと思う私は変人なのだろうか。なにせ、私も同じころ上司に辞表を出したのだから。会社員になってまだ1年半だった。

平成25年(2013年)11月1日

2013年11月01日|コラム・エッセーのカテゴリー:人生は迷路かな