欧米が風力・太陽光発電をやめ始めた理由
欧米特にヨーロッパで、これまでひたすら自然エネルギーへの切り替えで、二酸化炭素の排出削減をすると騒いでいたが、その雲いきが変わった。とくに、これまで推進していた風力発電と太陽光発電は、削減の方向に動き出しているかにさえ見える。そして例によって、そのツケを日本に回そうとしている。欧米のものまねと目先の利益しか追わない政財官の癒着が、それを推進する。さらに進歩的を自認するだけで、実は認識不足の大方のメディア、文化人等が、それを後押しする。
この日本の課題は、切りが無いので取り敢えず脇に置いて、現状と何が問題なのか簡単にまとめて見よう。個々の問題の詳細はネット検索で充分理解出来る。ただ、検索結果に自然エネルギー推進派の発言ばかりが目立つのは、SNSの偏向もあるのかもしれない。
前置きが長くなったが、風力・太陽光発電だけではなく、実は2050年カーボンニュートラルの目標そのものの達成が、危ぶまれてきたのである。これをロシアのウクライナ侵略が原因だとする発言も多い。それは半分正しいが、本質ではない。ただ、これが問題をより鮮明にさせ、事態を深刻化させたのは事実だろう。より本質的な問題は、数年前からはっきりしていたのである。それは、CO2削減の切り札である自然エネルギーによる発電の、力不足が明らかになったことだ。
力不足という意味は、大きく二つある。一つは、自然エネルギーによる発電の効率の悪さ、ベース電源として全く使えない力不足の問題。そして数年前から明らかになった、より大きな問題は、風力・太陽光発電という、これまで欧米が積極的に進めてきた発電で特に判明した鉱物資源問題である。
風力発電で使う風車、太陽光発電で使う太陽光パネル。この製造には多くの銅が使用される。もしこのまま、これらの発電による削減目標を達成するには、現在の世界の銅産出量を何倍にも増やさなくてはならない。それには多額の開発資金が必要になる。それだけではない、多くの鉱物資源は、資源国と呼ばれる特定の国に偏っていることが多い。銅で言えば、2021年の銅生産量の上位国は、チリ、ペルー、コンゴ、中国、アメリカの順になる。埋蔵量ではチリが圧倒的に大きい。
生産量の多くを占めるチリとペルーだが、いま両国ともこれ以上の採掘には国民が反対をしている。つまり作りたくても、材料の銅が足らないのだ。
銅だけではない、EVのバッテリーは、レアメタルなど希少な鉱物資源を多く必要とする。レアメタルは存在する国に偏りがあり、その中には、東南アジアや中南米、アフリカなど、政情不安などのカントリーリスクのある国や、輸入禁止などの資源ナショナリズムが顕在化している国が少なくない。特に中国は多くの希少資源をおさえている。欧米が経済安保を急に騒ぎ出したのは、半導体不足だけでは無かったのだ。こういう状況が、数年前から起きており、CO2削減が行き詰まり始めていたのである。
二酸化炭素排出実質ゼロのためには、これから多くの資源開発が必要で有り、さらにそこに政治的なリスクが大きく立ちはだかっていたのだが、この事実は一般に広く知られていない。すべての関係者にとっては、一般に知られない方が都合が良いからである。それをウクライナ戦争が、エネルギーや食料が武器になると言う現実を、世界に認めさせてしまったので、もはや資源リスクを隠せなくなっている。
このままでは、CO2ゼロ目標の達成は非常に困難、いや今のままならほとんど不可能な状況にある。欧米では推進派の一部でも、この事実を認めるようになっている。相変わらず脳天気で一周遅れなのは、日本だけ。無知で欧米崇拝の政財官の人達は、利権と自己保身しか考えず、風力発電と太陽光発電に注力するなどと寝ぼけたことを言っているのだ。
日本人は、自然エネ先進国の最新の状況を正しく認識すべきである。遅れているなどとだまされないように。
少し長くなりますが、ここからは、風力発電と太陽光発電をなぜ先進国がやらなくなってきたのか、その理由を簡単にまとめておきます。
いま、ヨーロッパでの自然エネルギーの中心は風力と太陽光です。ですが、早くからこれらを取り入れた経験から、予想以上の大きな問題があることもわかってきたのです。それは、鉱物資源の問題だけではないのです。
いくつかの大きな問題点がありますが、並べてみます。
・発電力の力不足と不安定さ、発電の地域偏り
・環境保護と相容れないことが明らかに
・健康への問題が発覚
・コストが高くて儲からない
・経済安保や人権問題
・廃棄での課題が未解決
・送電線網の整備と地域間融通問題
課題を軽く考えて風力・太陽光に飛びついたのですが、発電の比率が大きくなるほど問題も大きくなり、ついには導入が停滞してしまったのです。
電力を自然に頼る事の不安定さをいやというほど思いしらされたのが、ヨーロッパです。風が吹かない、曇っているなどで、ドイツやスペインでは停電等の大きな障害が引き起こされてしまったのです。社会問題にまでなっているのです。ベース電源にならないばかりか、バックアップの発電を用意しておかなくてはならないのですから、ひどいものです。
自然に優しいのうたい文句も、実は過大評価だったと明らかになりました。これまで推進派だった環境保護団体が導入反対に回る騒ぎになっているのです。風車やパネルは、景観を損なうだけでは無く、自然環境を破壊しているのです。
さらには、風車の風切り音(人の耳には聞こえない)が、健康に被害をあたえている事が認められて、陸上風車の新規設置は事実上出来なくなってしまったのです。これまでの陸上から洋上風力に変えたのには、こういう背景があるのです。
原材料などの経済安全保障問題や中国の人権問題が、より大きくなりました。結果、アメリカだけでなくヨーロッパでも中国の太陽光パネルの導入が止められたのです。でも欧米メーカは今更パネルを作る気は無くなっているのです。
巨大風車や太陽光パネルの廃棄に関しては、多くの課題が積み残されたままです。廃棄処分方法も決まっておらず、有害物質の土壌汚染すら一部で見られるのです。この廃棄の方法確立と多額のコストが、これから大きくのしかかるのです。
自然の気まぐれに付き合うには、高度な送電システムが必要になります。突然風がやんだり、太陽がまだらに照りつけたり、自然は人間の都合になど合わせてくれません。不安定な発電は、他の安定的な発電との接続などが不可欠になります。ドイツは、フランスの原発による発電の融通を受けているのです。
これだけの課題が明らかになれば、もはやコストがとても採算に見合うもので無いことは、誰の目にも明らかです。欧米でこれまでこれらに投資していた投資家達は、すでにこれらの投資から逃げ出しているのです。
ウクライナ戦争で起きたエネルギー危機への対応のため、ヨーロッパは、石炭・原子力の発電まで事実上許すことに政策を変えました。この時なぜ自然エネ拡大を大きく言わなかったのか。背景には、こういう現実があったことぐらい、日本のメディアも伝えるべきだと思うのですが。
風力・太陽光発電の先駆者である欧米の状況を正しく認識していたならば、今更日本で積極的に導入するなどとは、正気の沙汰で無いことがわかります。国民の無知につけ込む一部の政治家や経営者達によって、この国はさらに蝕まれているのです。
日本における風力・太陽光発電の問題点
欧米で導入されなくなった風力と太陽光発電。困ったのが機器のメーカーです。風車はヨーロッパ、太陽光パネルは中国が中心です。在庫を大量に抱え困った彼らが目を付けたのが日本です。安売りしてでも押しつけようとしているわけです。それの片棒を担いでいるのが、日本の政治家と一部企業経営者なのですから、やりきれません。
上述した問題点以外にも、日本にはこれらが不向きである独自の理由があります。それはまさに、日本の自然環境にあります。
欧米でこれらの発電が普及したのには、その自然環境に要因があります。たとえば同じ島国でも、イギリスで地方に向かう鉄道に乗れば、その違いがすぐわかります。山がないのです。平坦な土地が続くのです。広大な平地と風が比較的おだやかなうえ、一年中同じ方向に吹きます。ですから、ヨーロッパでは、陸上風力発電が普及したのです。日本は全く違います。国土の7割が山地であり、平坦な土地はほとんどありません。また風も非常に激しく吹いたり無風になったり、変化が激しい上に、吹いてくる方向も一定ではありません。だから、売り込む側も陸上ではなく洋上風車を売り込んできたのです。ですが、日本周辺の海の荒さは、もっとすごいものがあります。いずれその見通しの甘さが露呈するでしょう。
太陽光も同じです。山を削りパネルを設置しても、ちょっと台風が来れば半分近くが飛んでしまうなど、すでに各地で被害が出ています。また廃棄が成されずそのまま放置され、土壌の汚染すら発生しています。取り締まるべき環境省が、これを進めてるのですから話になりません。そもそも、国土の狭い日本です。全土をパネルで埋め尽くしても、今の発電量をまかなえないのに、なぜこだわるのでしょうか?
これが今の自然エネルギー先進国、欧米の現状です。これらを正しく伝える人は、日本では少数です。特にメディアはひどすぎますね。率先すべきNHKなども、ひたすらCO2削減ばかり騒いで、今の自然エネルギーの問題点を伝えません。それでもさすがに、正月にやったスペシャルの中で、両発電の資源問題はとりあげていましたが、深掘りは全く成されていませんでした。
ネットで丹念に追っていけば、隠された世界の現状と課題も見つけることが出来ます。国民の皆さんも、もう少し自分たちの事として関心を持つべきです。ウクライナだけではなく、日本でも自然災害による長期の停電が起きています。もう一度エネルギーが、私たちの生存そのものに関わることを肝に銘じるべきでしょう。
令和5年1月3日(火)