危機意識も経験から

人生は迷路かな⑦ 危機意識も経験から それは放浪生活から始まった

 平成27年(2015年)のISIL(イスラム国)による日本人人質殺害事件(対日テロ)では、日本中が大騒ぎとなったが、相変わらず、何もしなければ何も起こらないという「さわらぬ神にたたりなし」的な発言も目立っていた。集団農耕型気質の現れだという話はさておき、安全に対する鈍感さや危機意識のなさは、只々あきれてしまうのだが。あきれていてもしかたがないので、気質とは違う話を「わが迷路」から抜き出してみよう。

 学生最後の春休みに友人と二人で、初めての海外旅行に行ったのは、いまから40年以上も前のことである。ツアーと呼ぶ代物ではなく、往復の飛行機と3週間有効なユーレイルパス(欧州の長距離鉄道のパス)が与えられただけの物であった。飛行機が到着した国と帰国便の国も異なり、さらにいかなる宿泊等の予約もなかった。ようは、「かわいい子には旅をさせよ」を実践した代物である。そのくせ帰国して就職してからは、かなりの額のツアーローンという名の借金返済が待っていたのだが。

 生まれて初めての海外旅行だというのに、宿泊先も行く先もすべて自分で決めねばならないのである。相当な不安というか無謀ともいえるのだが。自分の人生で、もう海外へ行く機会などないだろうと思い、出かけることに決めたのだった。当然すべてが初めてのことで、かなりの緊張感と危機意識を持っていた。いまの日本人の多くは、海外へ出かけるにも、国内と同じ気軽さで危機意識など持たずに出かけるのだろう。各種の情報も豊富にある。だが、当時の我々は、一日3ドルの貧乏旅という英語のガイドブックだけが唯一の頼りであった。ま、実際には、ほとんど役立たなかったけど。ガイドブックよりは、大きな駅にある観光案内所のほうが有益だった。

 薄汚い服装で、リュック一つの若僧を狙うものもいないだろうが、当時は真剣に身の安全を考えて常に緊張していた。実際、いろいろな体験の中には、危機管理に関わるものも多くあったのだ。パリ(だったと思うのだが)の中央駅から、列車に乗ってしばらくすると銃をかまえた警官らしき人たちが乗り込んできた。パスポートによる身元確認をしていったのだが、やけに緊張感が漂っていた。後でわかったのだが、列車が出発したすぐ後に、駅構内で爆弾騒ぎがあったとか。まだEUなどない時代ではあるが、大陸の入国審査は列車に乗ったままパスポート提示で済む国も多かった。
 スペインでは、ライフルか何か大きな銃を構えた人達が乗り込んできた。ひとりがこちらに銃口を向けたまま、ほかの人間がパスポートチェックをする。長い人生いろいろ経験したが、銃口を直接体に向けられたのは、後にも先にもこれ一度である。このときは、なんでも地元の警察署長が殺害されたため極度に警戒していたらしい。アメリカの警官が犯人逮捕時に、銃を向けるシーンはおなじみであるが、まさか自分が経験しようとは。当時はテロというよりは、強盗などの犯罪への警戒が強かったのだが、今考えると欧米は昔からテロがなくならない国々のようである。
 最初で最後の海外というつもりだったので、出来るだけ多くの国を見ようとしたのだが、ロシアにはいかなかった。どうやって入国したのか知らないが、同じツアー参加者の中には、ロシアに行ってとんでもない目にあったというツワモノもいた。欧州が、先進的すなわち平和な国々というのは、日本人の幻想に過ぎない。どこでも大きな銃を持った警官や軍隊が、街中に展開しているのは、ごくありふれた日常なのである。


 いま独立問題で騒がれているスペインのカタルーニャ地方の都市バルセロナでは、ホテルに泊まってみた。ホテルの人に教えてもらって、夕方以降に本場のフラメンコを見ようと出かけることにした。安全のためにといっても、武器はおろかナイフすら持っていないので、考えた挙句、何かあったらズボンのベルトを手に巻いて使うことにして、一番はとにかく逃げることと二人で話し合った。幼稚と言えば確かに幼稚なのだが、それでもどこに行くのでも、常に緊張感をもって安全を考えていたという事実を知ってほしい。暗い路地裏のようなところを通って、薄暗い店に入ったのだが、中では、陽気なアメリカ人観光客がコーラを片手に騒いでいるのを見て、ほっとした。ついでに言えば、本場のフラメンコはかなりエロチックなもので、その後新宿のフラメンコレストランにも何度か出かけたが、同じ内容にお目にかかることはついになかった。


 危機意識を持てと言っても、安全がただの日本国内にいる限り、危険な目に合うのも限られた人だけになる。しかし、観光地でもない海外などに出かけてみると、身の安全は自分で考えなくてはならないと肌で感じることが出来る。その経験は重要なのであろう。海外で危険な目に合わないように対策された旅は、それで素晴らしいことなのだが、一方で、恐ろしさを味わう事もなく、危機意識が醸成されることにもならない。その意味では、むずかしい問題である。少しだけ緊張する経験をして感情で記憶すると、危機意識を持てるのだが、それでは危険すぎる。となれば、やはり知性で、安全や危機意識を持つ必要性を学習するしかない。ISILのテロにおいても、恐怖を拡散させるのが彼らの目的のひとつであるから、徒に怖がって騒いではならないが、全く無関係であるかのような無防備さはさらに問題である。この問題は、「わが迷路」からは外れるのでやめておこう。


 海外へ行くことは二度とないと思っていたら、どこでどう迷路にはまったのか、その後やたらと海外に行く機会や、飛行機に乗る機会が多い人生を送ることになった。幸い自分が被害を受けるようなことはなく済んできたのだが、危機への接近は何回もあった。

 大きな空港で、搭乗を待っていたら火災報知機が鳴り、みんなで逃げ出したこともあった。台風などの天候によるのならいざ知らず、爆弾騒ぎで飛行機がキャンセルされたことも何度もあった。火山の噴火による影響で飛行機が飛ばなかったり、飛んでる最中に噴煙が迫り、機長達が慌てふためいていたこともある。アジアでは、出発して1時間以上も飛行してから、エンジンが不調なので引き返しますとのアナウンスを英語で聞かされた時もあった。こういう時は、やはりせめて日本語で聞きたいなと思ったのだが。引き返して着陸態勢に入った時は、さすがに機内はシーンとしていた覚えがある。
 飛行機で一番びっくりしたのは、やはり乱気流での急降下である。まるでバスの最後部のように揺れる飛行機には慣れたのだが、時々ジェットコースターのようにすとんと落ちるときがある。少しなら良いのだが、ベルトをしているのに体が浮いてしまうほどの時もあった。高度が一気に千メートルくらい落ちたようである。座っているCAの顔もさすがに緊張していたが、ま、機長だって死にたくないから真面目に操縦しているだろう、という変な開き直り感があったのも懐かしい。人間、何かあった時には意外と腹は座るものである。まして、サムライなら。
 海外便に限らず、国内便でもエンジンから煙が出ていたり(たいていは水蒸気で問題がない)、油の焦げるにおいがしたり、時には小さな火花だって。一番嫌だったのは、窓の外側のガラスに、ヒビのようなものを見つけたときかもしれない。


 海外出張が多い人は、それなりにいろいろ経験する機会も多いのだが、やたらと災難に遭遇する人もいる。人生最後の会社で出会った人がまさにそうであった。その人と一緒にロンドンへ出張したら、なんとまさにテロに巻き込まれてしまったのだ。
 ホテルからタクシーで相手先に行くときからすでに何か街中がおかしな雰囲気だったのだが、タクシーを降りたら、大勢の人が地下鉄の階段を上ってくる。みな、どこかに急いで走っていく。とにかく相手先を訪ねたら、門前払いされた。仕方なく、近くの別の知り合いの会社に行ってみた。みな、真剣な顔をしてテレビをのぞき込んでいた。首相が何か画面の中でわめいていた。ようやく、また爆弾騒ぎがあったのだと理解できたのだが、その時はまだどうもピンと来ていなかったのか、騒ぎのただ中に巻き込まれたとき人は意外と居直るものなのか、それほどの不安や恐怖は感じなかった。仕方ないからホテルにもどろうと外に出たら、人の波である。地下鉄の入り口はすべて封鎖され、当然タクシーなど走っていない。どこが安全なのかもわからず、とにかく大通りを何本か離れることにして歩き出した。今考えれば、無茶だったのかも。相当に歩いて喧騒を離れたら、ようやくタクシーを捕まえることが出来た。幸いホテルが封鎖された地域の外にあったので、遠回りしながらも戻ることが出来た。
 部屋で改めてニュースを見て、それからのほうが恐怖心がわいてきたのだから、不思議なものである。2005年に起きたロンドン同時爆破事件と呼ばれ、地下鉄の駅3か所とバスで爆発が起き、自爆犯4名を含めて56名が死亡したテロのど真ん中にいたのだった。

 すでに日本で1995年(平成7年)オウム真理教による地下鉄サリン事件を経験していたので、ロンドンの地下鉄テロでもパニックにならなかったのかもしれない。オウムの時も、よく使う地下鉄だったので、客先に直行などしていれば私も被害を受けていたかもしれないのだ。どちらもそういう朝の時間帯が狙われている。

 こういう物騒な経験などしないに越したことはないのだが、あまり未経験でも、「平和ボケ」になり、自分たちが何もしなければ、災害やテロは勝手に避けてくれるものだという都合のよい考えを持つことになる。仕事で海外に行くことが増えれば増えるほど、真剣に危機意識を自ら持つことが求められるようになる。海外進出の企業では、それなりの危機管理が昔からなされてきた。この話の続きは次回にしよう。

平成27年(2015年)3月20日

 

2015年03月20日|コラム・エッセーのカテゴリー:人生は迷路かな