危機意識も経験からー続

人生は迷路かな⑧ 危機意識も経験からー続 海外進出企業vs米英企業

 日本人は危機意識が希薄だという話。それだけ日本が安全な国の証でもあるので、決して悪いことではないのだが、世界中がそうならない限り危険は去らない。  多くの日本人は感情的だと言われる。その是非はさておき、危機意識も危ない経験をすると感情を伴った経験として強く記憶されるのだが、そうもいかないだろうというのが前回の話(のつもりだったが、伝わっていたかどうか!?)。
 経験というか体験が無くても、学習などによる広義の経験は出来る。つまり知性を働かすことである。ところが、ここでも元来楽天家の日本民族は、あまり悪いことを考えない。それどころか言霊信仰まで動員して、悪い事態の想定を口にすることすら拒否するのだ。いやはや、始末の悪い民族である。災害列島に暮らしてきた日本人は、自然災害に遭遇する機会は多かった。そして、そのような危機は、人間がどうにかできるものではない。したがって「あきらめる」しか、しかたがない。という事が一連の気質や思考を生み出したのだろう。

 前回、やたらと飛行機やテロがらみの話が多かったが、最初の会社をわずか1年足らずでやめようと決心したところから、迷路に迷い込んだようである。やめるならと上司に誘われて移ったのが、まだ会社も設立していない海外との合弁企業だったのだ。さらに悪い(?)ことには、国際データ通信などという日本にはまだない業界だった。そのため、顧客企業はほとんどが「海外進出企業」という本に載ってる会社ばかり。そりゃ、何かと飛行機に乗って海外、それも結構地方に行くわな。

 で、そういう海外進出企業は、昔からそれなりに危機管理を行ってきた。中には、現地での女性との付き合い方なんて危機管理かよと言いたくなるものもあったが、結構男女問題を起こす海外駐在員もいたようである。男女問題も怖いが、犯罪、テロなどの生命にかかわる問題はより深刻である。

 今回のISIL(イスラム国)によるテロが、あたかも安倍内閣の言動により起こされたかの報道や発言がいつまでも続いている。あまりにも「熱しやすく冷めやすい」性格にも困ったものである。安倍内閣の対応の是非はさておき、日本人がテロに巻き込まれたのは今回が初めてではない。わずか2年前の2013年1月にはアルジェリア人質事件が起きて、実に10名もの日本人が犠牲となった。この時も報道が過熱して、あまりにも執拗な取材に遺族等から批判が起きたほどであった。それすら、忘れてしまったのであろうか?浅はかな(自称)知識人が多すぎると思うのだが。
 この不幸なテロに巻き込まれた日揮というプラント会社、昔一緒に仕事をしたことがあるので、他人事には思えなかったことを覚えている。ただプラント以外での仕事だったので、中東やアフリカに行くことはなかったのだが。日揮ではこの事件を受けて、さらに海外駐在の危機管理を強化したという。


 欧米には、セキュリテイを専門とするさまざまな会社がある。情報提供とコンサルティング、物理的な警備、武装した警備員の派遣まで、実に様々なものがある。このような危機対応がビジネスとして成立している世界はあまりにも悲しいのだが、それが現実である。会社勤めをしても、多くの日本人は、このようなビジネスと直接かかわることはまずないので、知らなくても仕方がないのだが。

 大手企業、それも海外進出企業では、海外の危険情報の収集は最大にして第一の仕事である。ごく普通のサラリーマンの私が、日本、アメリカ、イギリスの大企業の傘下で、そのようなビジネス上のセキュリテイ情報を受け取る経験をすることができたのは、やはり稀有な事と言えるのかもしれない。そのささやかな経験の中でも、米英と日本の違いを感じたように思う。それが思い込みであってほしいと祈りつつ。
 外務省の渡航情報などをもとに、海外出張の延期や中止、禁止などは国内企業でも出されていた。さすがに詳しくは書けないが、(もうろくで覚えていないのが実体だったりして!)米英企業の情報は日付(期間)が指定されていたり、時には飛行機の便名まで指定されることすらある。精度はわからないが、情報の細かさには、ただ舌を巻くばかり。こんな経験が、私の日本政府とりわけ外務省の情報収集能力不足批判につながっているのかも。


   迷路を少し進もうかな。昔、国際電話などもまだ十分でなかった時代がある。だからこそ、国際データ通信が新しいビジネスだったのだが。なかなかつながらない国際電話がたまたまつながって現地と話をしていたら、その電話を切るなという指示が出されたこともあった。回線数が限られているため、一度切るともうつながらないかもしれないので、切らずにおいたのだ。これが親会社や某筋からの依頼まであったとか、なかったとか。今の目先の利益しか考えない経営者たちなら、何日も国際電話をつなぎっぱなしにするなど、到底許さないのでは?グローバル化などと騒がれてからのほうが、かえって情報収集力も危機意識も落ちているのかもしれない。

 あ、知らない人に一言。電話じゃなくインターネットがあるだろうと思うかもしれないが、まだない時代から海外に多くの企業が出ていたし、そもそも、インターネットも電話回線を使って始まったのだよ。今もそうだけど。回線を電話だけに使うか、データだけに使うか、それとも両方か、そう考えるとわかりやすい。


 企業には、警察からの問い合わせも来る。事件があった時、いわゆる「聞き込み」が行われて一般人は普通に協力する。ところが、企業はそうはいかない。あるとき、ある人物がらみのメールに関わる情報が欲しいとの依頼があった。当時国内の親会社には法務部というのがあり、弁護士もいた。答えはいつも同じ。「口頭での依頼に回答してはならない。正式な礼状を要求せよ。」個人的には、緊急だったらどうすんだよと思うのだが、ま、たいてい正式な礼状が来て、回答する。だが、この話で本当に言いたいことは、別にある。

 ここでのメールは、インターネットや携帯のメールではない。もっと以前のパソコン通信と言われていた時代のメールである。それを、ある大きな事件を引き起こした組織に関係する人物が使っていたのである。ISIL(イスラム国)がネットやメディアを非常にうまく使いこなしているという話がある。その通りだが、そういう言葉が出る裏側には、テロや犯罪を起こす組織なんて、最新の情報ツールなど使いこなせないレベルだろう、との馬鹿にした思い込みが隠れているのだ。反社会的な人間は、最新技術に弱いなどという事はまったくない。むしろ逆である。特にサイバー空間の発達は、反社会的な行為を「犯罪である」との意識を薄くして実行させる役割を果たしている。

 もう一つ言いたいのは、技術や技能、専門知識を持つ人材が、働ける場所を社会の中に十分に用意することの必要性である。どうして高学歴、高知識の人達が、ISILやオウム真理教に参加してしまうのか。部分的であれ、高い技術や能力を有する人物は、その力が存分に発揮できる場を常に求めている。科学者の良心があれば原子爆弾など開発しなかったであろうと考えがちであるが、必ずしもそうではないのだ。自国の防衛、邪悪な敵を倒すためという錦の御旗が与えられれば、技術者、科学者はその持てる力を最大に発揮したがるものである。ま、あとで後悔する人も多いようだが。

 欧米では、サイバー犯罪者が、後に犯罪防止の側に回ることは珍しくない。つまりは能力を正しく発揮できる「場(仕事)」が与えられるかどうかなのだろう。IT関連の仕事をしていたときには、少しおかしな技術者はたくさんいた。道を誤ったものもいる。社会は、常に新しい技術や科学に対応する人材の働く場を用意し続ける必要があるだろう。それは、経済成長だけでなく、社会の安全性を高める上からも重要なのだが、日本は明らかに遅れている。いや、正しく理解できていないのだろう。

 今回はどうも「わが迷路」の外側の話が多かったようだ。反省して、次回はまた迷路に迷い込もう。

平成27年(2015年)3月21日

 

2015年03月21日|コラム・エッセーのカテゴリー:人生は迷路かな