砂糖1杯ミルク少々

人生は迷路かな⑩  砂糖1杯ミルク少々 恋は人を強くする

 「人生は迷路かな」は、前回での話の端っこをつまんでみたり、取り上げた話題に関係するような話を次々とつなげていく、そんなつもりで始めたのだが、途中で脱線したら戻れなくなってしまった。おまけに、長い間書かなかったので、頭の配線すらつながらない。しかたがないので、一度ワープしてしまおう。そしてたまには色っぽい話題でも取り上げてみよう。

 女優、石原さとみ。かわいくて、「男心をくすぐる演技」のうまい女優さんである。少し前にやっていたお酒のテレビコマーシャル。「ね、ね、ちょっと、これ飲んでみ」そう言って自分が飲んでいるグラスを差し出して押しつけてくる。たいていの男は、思わず顔がにやけてしまうだろう。このCMから、思い出した事がある。そんな話をいくつかしてみよう。


 恋人同士なら、自分の食べているものを相手に勧めたり、おなじグラスの飲み物を飲み合ったりもするだろう。例え、石原さとみのように色っぽく迫られなくても。思い出したのは、そんなたわいもない小さな出来事である。

 彼女は会社の同僚である。たまには二人で食事をする機会もあった。私の一方的な片思いということが社内での公認話になっていたので、そんな事も関係していたのかもしれない。あ、彼女には同棲相手もいたようです。で、あるとき彼女が自分の食べている皿を私の方にそのまま押しつけてきた。おいしいから食べてみなさいと言うことで。その際、彼女は自分のフォークをそのまま使っていいよと。私は自分のフォークを持って確認したから確かである。そこで彼女のフォークをそのまま使って食べ、そのまま彼女の前に返した。彼女は何事も無かったかのように、返されたフォークで食事を続けた。
 何をたべたのか、どんな味だったのか、まるで覚えていない...。恋人でも無い彼女が、なぜ?成り行き?気まぐれ?からかったの?....んん~ん、わからない!あなたはどう思いますか?

 そんな大げさな話では無いだろうって?小さな事は気にしない性格だったのだろって!そうかも。でも実は飛び上がるほど驚いたのには訳があるのだ。食事での出来事より以前の事である。乗り物の中で、私が持っていたチューンガムを彼女に勧めたことがあった。そのとき、彼女は露骨にいやな顔で拒否したのだ。そして、私に教えてくれた。
 『ガムって周囲ににおいがするけど、あれってその人間が吐き出した息でしょ。においをかぐのは、その人間の排いた息を吸うことになるじゃない、だから嫌いなの』
 ごもっとも!なるほど確かに、自分でも時々そう思うことがあったな。くちゃくちゃしてるのが男だと。ということで、反論など思いもしなかった。そんな神経質とも言える彼女が、同じフォーク?頭が混乱して当然だと思いませんか?


 色っぽくは無いが、話のつながりで取箸(とりばし)と直箸(じかばし)の話を。大きな鍋などを複数の人間で食べるとき、男女だとさすがに取り箸を使って銘々の小皿に取り分けるが、男だけだとしばしば、直箸でいいよなと言うことになる。この事にも、やはり外資系と古手の純国産企業とでは違いが見られる。後者では、初対面なのに、いきなりものも言わずに直箸で鍋をつつく。それどころか、自分の箸でつまんで、私の皿に入れてきたりする。これって親切でも何でも無いと思うのだが、礼儀知らずとは誰も言わない不思議な世界観がそこにはある。皆さんの会社はどうですか?外資で無くてもあり得ないですか?
 茶道では初対面でも回しのみをするぐらいだから、やはり日本人の本質はおおらかなのだろう。同時に、恐ろしい病気をお互いに持っていないとの暗黙の了解もあるのだろうが。




 次々とワープしていこう。人生には誰にでもモテ期があるとか。全く実感は無かったのだが、いまにしておもえば、学生時代が私のモテ期だったのかもしれない。肉体関係はさておき、一緒に食事をしたり映画を見たり、夜明けのコーヒーを一緒に飲んだりしてくれる女性は確かにいた。当時の自分は、彼女たちを友達以上恋人未満の異性として、みていたのかもしれない。

 調子に乗って、一日に複数の女性と会う約束をしたりもいた。そんな時、最初のデートが長引いて、夕方の彼女との約束時間を過ぎてしまった。まさかいないだろうと思いつつ、とりあえず約束場所に行ってみた。すると、なんと彼女がいた!すでに約束を2時間近くも過ぎているのに。謝るしか無い私に、彼女は言った。「きっと来てくれると思ったから」と。『もしかしたら』などと思った自分が恥ずかしかった。こんな三文小説のような話が、実際の世の中にはあふれている。私の人生にも。

 むろん携帯電話などまだ無かった時代の話である。ばかばかしいとか、時間の無駄だとか、あるいはロマンだと思うのかは、あなたの勝手である。しかしこういう経験の機会が失われることは、必ずしも豊かな人生を意味するとは言えないのでは無いだろうか?それにしても、彼女はなぜ2時間も待っていてくれたのか?
 いい加減な私も反省して、それ以後は同じ日に複数の人と会うことは慎むようになった。え、反省してないって?



 小説のネタとは言わないまでも、ブログなどを書くには十分な内容の話が、やたらと多くある。いくつかは黙って墓場まで持って行くたぐいなのだが、そうで無くても、あまり他人には話したくないなという気持ちが強い。大切な宝物を心の奥底の箱にしまっておき、自分だけ時々のぞければよい、そんな感じなのだ。

 せっかくここまで書いてきたのだから、ある人にまつわるエピソードだけ話をしてみようか。とっておきの女性の話を。なれそめやさまざまな出来事を書いていたら、これまたきりが無い。おまけに涙もでてしまうかもしれないので省略!

 彼女(K)は私よりひとつ年上で、すでに働いていた。二人は、ビジネススクールの夜間教室で出会った。昼間働きながら夜は専門学校で学ぶ。仕事をしながらさらに勉強をする向学心、真面目に人生を生きている人ばかりの中で、学生は2名だけ。クラスは20数名ほどの少人数であったが、大半が若い女性だった。女性の活躍する社会などと今頃寝ぼけたことを言っているが、昭和の日本の女性達は、すでに自立して自分の意思、高い志をもっていたのだ。

 仲良くなったクラスメートが集まって、お茶を飲んだりするようになっていたある日の事。クラスの女性の六本木の家に、4~5名でお邪魔した。だれかが飲み物を準備しているのを横目で見ながらも、特に気にもとめていなかった。そんな私の目の前にコーヒーが差し出された。受け取って飲んでみると、自分好みの味をしていた。

 それから数日後、その時のメンバーの女性(T)の一人から、思いがけない話を聞かされたのだった。彼女(T)がみんなの飲み物を準備していたとき、私のためにコーヒーを入れていたが、私の味の好みがわからなかった。その時、彼女(K)が「私がやるから」と言って、だまってコーヒーを入れたそうである。砂糖は1杯で、ミルクはほんの少しだけにして。

 彼女(T)は、私に問い詰めるように言った。「おどろいちゃった。どうしてKさんは、あんなことしたのかな(あなたの好みを知っていたのかな)?」「黙って(飲み物を)入れて、そのまま(黙ったまま)なんて」

 驚いたのは聞かされた私の方である。そんなことまったく知らなかったのだから。でも彼女(K)が、どうして私のコーヒーの好みを知っていたのかはわかっていた。実はその少し前から、彼女(K)とは二人で会ってもらえる間柄に進んでいたのだ。初めて喫茶店に入った時、コーヒーに砂糖はいくつと聞きながら、お互いの好みの話をしたのだった。彼女はブラック、私は砂糖を軽く一杯とミルクはほんの少しだけ。そんなたわいのない会話を、覚えていてくれたのだろう。

 Tさんを制止して、私のコーヒーを入れてくれた彼女。話を聞いて天にも昇るほどうれしかった。だが分からないことだらけ。自分で入れながらなぜそれと分かるように、私の手元にまで持っては来なかったのか?一方でTさんは、なぜこの話をわざわざ私にしたのだろうか?何が言いたかったのだろうか?

 Kさんという素晴らしい女性の話は尽きることがない。ただそっと心の奥にしまっておきたいので、この話だけ付け加えて彼女の話を終わろう。
 大学2年の時に出会い、ようやく就職が決まるころに、私の心の桜は散ってしまった。
「東京の人はみな冷たいから疲れちゃった。田舎に帰ります」
 私もその一人なのかととまどいながらも、結局彼女に何も言うことが出来なかった。
「僕が社会人になったらまた会ってもらえますか?」
 そんな未練がましい言葉でもよいから、語り掛けるべきだったのに。ただただ、さよならをしてしまった。このやりとりには、裏話がついている。

 面食いと言われた私が、会った瞬間に一目惚れをした。普通にしていると美形タイプ、笑うとかわいいタイプの両方を兼ね備え、東北特有の透き通る白い肌。よく気が利いて、性格もすばらしい。まさに非の打ち所の無い女性だった。そんな彼女の職場は女性がとても多く、嫉妬から来る陰湿ないじめに泣かされていたのも無理からぬ事だったのだろう。おまけに当時の私は、クールを通り越してコールドな冷たい奴とよく言われていた。彼女もそう思っていたのかどうかはわからないが、私は言葉がでてこなかったのだ。

 ○○ハラと言う言葉が氾濫している。だが、みな昔からあったのだ。言葉を変えることで、かえって本質が見えなくなってしまうこともあるのだが...。



 現在の日本では、面倒だから恋愛はしないという若者が増えているそうである。せっかくの友達付き合いを壊したくない、趣味の仲間との方が楽しい、ネット友達が100人もいるから忙しくてそれどころではない...色々と、理由を述べているそうな。他人の生き方にとやかく口を挟むつもりはない。年よりじみたお説教もしたくない。それでも私は、それが恋愛拒否症候群とでも呼ぶべき病に罹っているからではないかと想えて成らない。この病、精神の未発達な人格不全のひとつなのだとは言い過ぎであろうか。

 男は2秒で恋に落ちるという。女は時間をかけて恋に落ちるようだ。いずれにせよ、恋をしたくても巡り合えないのは運命で致し方がない。だが人間だけの特権ともいえる恋愛を拒否するなんて、自ら人間であることを否定して何の意味があるのだろう。友達が100人だろうが1万人だろうが、そんなものたった一つの恋の炎の前にはいかなる価値もないことを知らないなんて、自分の思い通りになるスマホやネットの世界だけしか知らないなんて、恋する感受性がないなんて、深い複雑な感情のあることも知らないなんて、ただただ素直に哀れだと思う。

 今回、男女の機微にかかわるいくつもの疑問を投げかけてきた。複雑な心を簡単に理解できるというのなら、ネット検索で何でもわかるというのなら、ぜひともこれらの答えを教えて欲しいものである。せめて考えてみて欲しい。


 他人には言えないような思い出をたくさん抱えた人は、豊かな人生の持ち主だと思う。たとえ経験が、いやなことでも楽しいことでも、良いことでも悪いことでも。その意味で、私の人生は豊か過ぎたと思うのだが...。



 知り合えた異性の何人かについては、そのイメージを詩にした人もいる。残照(書籍)やホームページには多くの恋に関わる詩を載せたが、そのいくつかは実在の女性のイメージ歌でもある。そのなかに彼女がいるかどうかは、墓場まで持って行く秘密だが。

平成27年(2015年)10月27日

2015年10月27日|コラム・エッセーのカテゴリー:人生は迷路かな