黎明の日本2023

 今年(令和五年)元旦のブログで「黎明の日本」を書いたところ、明るい話題にほっとした人も多かったようです。詳細は後日と言いながら1ヶ月以上も経過してしまいました。実のところ、どこまでをどのように取り上げれば良いのか少々悩んでいました。と言うのも、結論の部分の説明を詳細にすれば、すでに書いた本の内容をまた蒸し返すことになるからです。ま、約束でもあるので、できるだけ簡潔にまとめることにしましょう。

 いわゆるバブル崩壊以降30年に及ぶ日本の劣化は、経済だけでは無く、罪悪感の希薄化、利己主義のいっそうの蔓延、公の意識の欠落等々、社会のあり方そのものが劣化した時期でもあります。ですが、経済的な劣化は特にひどく、貧困や格差の拡大によって落ちるところまで落ちました。国民一人当たりGDPで韓国に抜かれ、総額でも、日本より人口の少ないドイツに抜かれて世界4位に陥落するのが、早ければ今年中にもと言われています。そんなひどい状況のなかで、日本の黎明の証拠を出せと言われると、正直つらいものがあります。

 一番大きなものは個人の感覚です。ここ数年、どん底から少し這い上がるような動きが見られるようになった気がします。人間の感覚というのは非常に繊細で良く出来ていると思います。金属加工など、未だに最後の超微細な細工は人間の手によると言います。またなんとなく場の空気のような物や相手の心情を感じ取るなど、人間の感覚には非常に鋭いものがあります。そんな感覚が、日本社会の黎明を感じているのです。

 何を言いたいのかと言えば、ここ数年の日本の黎明は、なんとなく肌で感じられるのです。ネットのニュースを読みあさるだけの日々が何十年も続くなかで、そう感じているのです。具体的に言えば、日本初の新しい技術や発明の話題が出てきていること、ベンチャー企業の活躍のニュースが増えてきたことがあります。
 例えば経済産業省の「令和3年度大学発ベンチャー実態等調査」によれば、2021年10月時点での大学発ベンチャー数は3,306社と、2020年度で確認された2,905社から401社増加し、過去最高の伸びを記録しています。また、特許出願は長年減少傾向でしたが、これも2021年度はようやく頭打ちとなって前年より728件増えました。

 むろん同時に、日本の30年に及ぶ劣化は、止まるどころか、ますます崖っぷちに来ていることも肌で感じています。この矛盾した感覚は、完全なる破滅につきすすむか、それとも踏みとどまって社会の変革が始まるか、分かれ道に来ている証しなのかもしれません。
 バブルそのものも含めて、それ以降の劣化の原因は、とことん突き詰めていくと、結局は日本人の気質そのものに行き着いてしまうというのが、著者の考えです。それを様々な具体例などで説明してきました。ここでは、その考え方に基づいて、逆に黎明の兆しが見えることを述べたいのです。

 詳しくは、追々説明していきますが、結論から先に述べれば、こういうことです。
 日本人を大まかに分けると、二種類の気質を持つ集団から成り立っているように見えます。大多数を占める日本人の気質を集団農耕型、そして非常に少ない気質の人を孤高武士型と呼びます。それぞれの気質型には、様々な特徴があり、それが長所にも短所にもなっているわけです。
 集団農耕型気質の悪い特徴=欠点・弱点が蔓延して、社会全体の劣化を進めてしまったのです。改革や新しい事への挑戦が行われないのは、集団農耕型の気質に依ります。『私』を捨ててでも『公』につくしたり、当たらし殊に挑戦していくのは孤高武士型の気質です。ゆでガエル状態のまま、それでも改革などを行おうとしないのは、集団農耕型の人間が社会の実権を握っているからに他なりません。孤高武士型が活躍しない限り、社会は変わらないのです。
 で、ようやくここ数年、孤高武士型の人達の活動が、目につくようになったと言うことなのです。さらに少し詳しく順を追って見ていきましょう。

気質と行動

 最近の話題で言えば、中国が気象観測と称する気球をアメリカ本土の上空に侵入させ、アメリカはミサイルでこれを撃墜した事件があります。この同じ気球が三年も前(2020年)に日本上空を飛行していましたが、当時の日本政府も自衛隊も全く無視しました。まさに平和ぼけ、危機意識欠如、脳天気の面目躍如とネットでは批判されています。気球はレーダでの補足が難しく、また2万メートルの高度は、空気が薄いので戦闘機の活動も制限されがちで、最も対応が難しい空域でもあります。その為自衛隊では、今回の米軍のように気球を撃墜する能力は持っていないでしょう。
 それでも、明らかに人間特に政治家や防衛関係者の意識の違いが大きいと言えます。これが、集団農耕型と呼ばれる日本人の気質のなせるわざなのです。同じ物を見ても、最新鋭の戦闘機のミサイルで撃墜を命じる大統領と、当時の防衛大臣(河野太郎)の的外れで脳天気な言動のなんと違うことか。防衛費をいくら増やしても、この気質の人間ばかりではまともな防衛などおぼつかない事でしょう。

 わかりやすく少し極端な例を持ち出しましたが、ようは集団農耕型気質の性格傾向がもたらした、実に様々な誤った政策と自己中心的な行動に依って、日本はゆでガエルのごとく自壊の道を進んできたと言いたいのです。日本は何か問題があっても、すぐにそれを解決しようとはしない。行き着くとこまで行って、どうにもならないと追い詰められない限り変革や修正をしようとしないといわれます。今もまた、口先では改革とか維新とか言いますが、実際の行動は、何もしないか、これまでと同じものをごまかしているだけです。これらは皆集団農耕型気質の特徴が、悪い方向に出た結果なのです。

孤高武士型も集団農耕型も同じ日本人

 孤高武士型気質と集団農耕型気質の違いやそれぞれの特徴などの詳細は、ここでは取り上げません。興味のある方は、著者(秋山鷹志)の日本人の気質に関する著作類(アマゾンの電子書籍)をご一読ください。
 ここでは、二つの気質型の関係について述べることにします。

 日本の歴史を見てみると、山有り谷有りと平坦な歴史だったわけではありません。穏やかに発展を続けた期間もあれば、問題山積や国難の時もありました。そうしたときに、孤高武士型の指導者や英雄が出現して世の中を大きく変えていきました。幕末の動乱期にも欧米列強の植民地にならないですんだばかりか、明治維新という類例のない社会変革を成し遂げられたのも、多くの孤高武士型の人達が、国のために活躍したからに他なりません。この孤高武士型の人達は数が少ないと言いましたが、それだけではないのです。

 孤高武士型と集団農耕型とは一本の線の両端に位置すると考えることが出来るのです。性格傾向の要素の多くが、この両極端に分かれるのです。例えば常に新しいことに挑戦する性格要素の対極にあるのが、常に現状を維持しようとする性格要素です。つまり孤高武士型と集団農耕型を両極とする線のなかで、各個人はそのどこかに位置するわけです。高度成長期のような安定的な現状維持が望ましいときには、大方の日本人が、集団農耕型によるわけです。それが、社会を変えなくてはならないときには、集団農耕型のひとでも、多くがより孤高武士型によっていくわけです。けっか、少数の孤高武士型指導者のかkつどうでも、社会全体が変わっていけるわけです。

 長期の日本社会の劣化とは、この変化が妨げられている状態なのです。その理由の詳細はここでは触れませんが、日本人全体の気質傾向は、この両極の間を揺れ動いているのです。

孤高武士型方向に動かす種々の出来事

 日本列島は言うまでもなく、災害列島です。多くの自然災害は、遙か昔から多くの被害を与えてきました。しかし、それだけではなかったのです。人智を越えた自然の力を目の当たりにして、日本人は常に自己を顧みて謙虚さを取り戻していたのです。この人智を越えた力の存在を常に心にもっているのが孤高武士型です。しかし、集団農耕型も普段は意識しないで傲慢になりがちなのですが、なにかあればお天道様は見ているという気持ちが頭をもたげます。すなわち、人智を越える力の存在を信じる方向(孤高武士型)に意識全体が動くわけです。
 こうして少数の孤高武士型の行動が受け入れられ、結果として社会が変革に向かうことになるのです。

 このメカニズムは、今もなお変わっていません。バブルの崩壊そのものが大きな自然災害と同じショックを日本人に与えました。つまりその時から孤高武士型への変貌は見えないところで始まっているのです。そしてなんといっても、大きな自然災害が頻発しました。
 北海道東方沖地震(平成6年)、阪神・淡路大震災(平成7年)、東日本大震災(平成23年)、熊本地震(平成28年)などの大地震と原発事故、他にも火山噴火や洪水、土砂崩れなど多くの災害が多発しています。特に東日本大震災は、多くの日本人の人生観が変わったと言われるほど大きな影響を及ぼしたのです。
 さらに新型コロナウイルス感染症(COVID‑19)のパンデミックは、それまでの世界のあり方を大きく変えてしまうほどの影響がありました。行き過ぎたグローバリズムに溺れていた多くの日本人も、いやでも目が覚めたのです。さらに追い打ちを掛けたのがロシアによるウクライナへの軍事侵攻です。平和憲法神話に酔っていた日本人にも、現実の世界のありようが突きつけられたのです。これらを原因とする世界的なエネルギー危機などが異常な円安を招き、令和4年の日本はそれまで抜け出せなかったデフレを力で押しつぶすほどの物価高騰にみまわれ、それはまだ今年も続いています。

 これだけの事があれば、さすがの集団農耕型思考の日本人も、変革の必要性を痛感し、意識は孤高武士型に大きく傾いていくのも当然でしょう。

今後の見通しと課題

 バブル崩壊以降、様々な課題が噴出して混乱が増し、大きな改革が必要なことは明らかでしたが、小手先のその場しのぎばかりで、一向に変革はすすみません。その最も大きな理由は、社会を動かす実権を握っているのが、集団農耕型の人間だからです。本来的に集団農耕型気質は、現状維持で保守的、改革を自ら実行しようとする気概や意欲に欠けますが、さらに行き過ぎた個人主義(利己主義)の蔓延が加わったのです。自社さえ、自分達さえ、自分さえよければそれでよしとする、社会全体や公の事を考えようとしない傾向です。
 すでに社会においてそれなりの地位や立場を獲得していた人達は、それを維持することに、より注力する自己保身に走ったわけです。年齢で強引で分けるならば、50代以上でしょうか。ネット世代が保守的だといわれますが、ネットが保守的なのではなく、若い世代に孤高武士型傾向が強くでているということなのです。保守派の代表である安倍元総理の政権が長く続いたのも、若い世代に人気があったのも、こういう背景によるのでしょう。

 変革を邪魔する集団農耕型の指導者たち。なかで最大の問題は、政治家です。保守革新を問わず、また最近の訳のわからない議員達では、間違いなく悪い方向にさらに加速するでしょう。どうしても、孤高武士型の多くの議員が国会に行かなくてはならないのです。その為には若い世代が投票できる候補者の出現が望まれます。また、今は白票でもよいから、投票に行くという行動を既存の腐った政治家に見せつけることです。

 世代間闘争のように言われますが違います。そうではなく、現状維持派の集団農耕型と社会改革派の孤高武士型との戦いなのです。いま私たちは、日本の将来が決まる分水嶺にいるのです。そして日本人が行動を起こしたときの力強さを知っています。皆さんが行動を起こすことによって、今年からより良い方向に加速していくことを信じています。

令和5年2月11日(土)

 

2023年02月11日|コラム・エッセーのカテゴリー:政治・外交, 社会, 経済