統合失調症で心神喪失状態により無罪

 大阪府吹田市の交番襲撃事件で、警察官を刺し拳銃を奪った36歳男性は逆転無罪(大阪高裁)になりました。統合失調症は昔分裂病と呼ばれていた精神疾患です。この問題は非常に難しくて、いくら議論しても結論は出ないし、誰も正解はわからないでしょう。何らかの理由により心神喪失の状態で犯した罪は、罪に問われない、つまり無罪だという現在の日本の法律のことです。
 ネットでは、心神喪失なら無罪と言うが、「刃物を持って交番に行ってる事実から、心神喪失とは言えないのでは?」「(銃を奪うなどの)目的をもって行動しているのに?」などの意見があり、個人的にも同意する部分があります。

 ですが、この問題そのものを論じ出すと、堂々巡りの議論に落ち、結局は個人の主観に基づく判断というか結論になる事が多い。したがって、ここでは本質的な話には立ち入らないでおきます。そのうえで、いくつか考えたいと思うのです。


加害者と被害者問題

 まず第一が、少し前まで騒がれていた、加害者と被害者のどちらの人権を重んじるのかという問題です。これまでは、どちらかと言えば、加害者にも人権はあるという一部の過激な弁護士や特定の勢力によって、被害者の事が置き去りにされていました。いわば「死ぬもの貧乏」だった訳です。被害者関係者などの努力によって、ようやく様々な被害者支援や法律が作られました。
 この心神喪失は無罪にも、実はこの考え方が色濃く残っているのではないかという、素朴な疑問があります。極端に言えば、加害者を無罪にするために、利用されていないかという疑問です。

 それでなくても精神疾患は、目に見えてそうだとわかるものではありません。ましてや、過去のある特定の時期における加害者の精神状態が、そんなに正確にわかるものでしょうか?とても疑問です。

加害者の無罪後の処置

 次の問題が、心神喪失で無罪となった加害者のその後の処置です。昭和の時代ぐらいまでは、仮に精神疾患による犯罪として無罪になっても、その加害者は、その後ほぼ一生を精神病院(今の精神科病院)で過ごすことが通例でした。いまでは、精神疾患者の人権重視の意味からも、長期・無用の拘束は許されていません。では、いま犯罪をおかしながら無罪となった人たちは、その後社会の中でどのように暮らしているのでしょうか。病院での治療は当然としても、完全治癒など非常に難しいのではと考えます。なぜなら、犯罪をおかしたときは心神喪失しているのですから、自覚も自我も正常ではありません。どうやって本人に、犯罪を犯したことを自覚させるのでしょうか?

 言い方を変えれば、どうやって次の犯罪を犯させないようにするのか、と言うことでもあります。まだ議論が足りてないように思えるのです。

精神疾患以外に犯罪時心神喪失はないのか?

 最後の疑問が、普通の犯罪者のすべてが、重大な犯罪を犯したとき、まともな状態、つまり心神喪失ではない状態と言えるのでしょうか。怒りにまかせて、相手を刺し殺したなどのばあい、その瞬間の犯人は、心身を喪失していないのでしょうか。つまり、精神疾患の患者だけが、心神喪失を認められる事への微妙な違和感があるのです。もちろん、普通の犯罪者を心神喪失で無罪にしろというのではありません。むしろ逆なのですが、このあたりの精神状態の量刑への配慮が今の裁判においてどこまで、考慮されているのでしょうか。
 いわゆる情状酌量は、その犯罪者の置かれた立場や生い立ちなど大きなことが主です。犯罪実行時の精神状態がどこまで考慮されているのか、これまた疑問に思えるのです。無論今の科学でそれを明確にすることはほとんど不可能なのは承知していますが、意識だけでも裁判官などに持ってもらえたらと思うのです。


 この稿の一部分を切り取って悪用される恐れがあるので、軽々に扱うべき問題ではないのかもしれません。ですが、昔、少しだけ心理学をかじっていた一人としては、おもわず筆をとってしまった事をご了承ください。

令和5年3月20日(月)

 

2023年03月20日|コラム・エッセーのカテゴリー:常識の毒, 社会