入社即退職の決意 狂気の東大偏重

人生は迷路かな④ 入社即退職の決意をした 狂気の東大偏重企業

 最初に入社した会社をすぐに辞めようと考えたと述べた。これに絡んではいろいろな話もある。ちょっとあまりにも露骨になるので書けないこともあるが、ここからは色々と教訓めいた話も引き出すことが出来る。ただ、多すぎて何を話せばいいのかまとまりがつかない。さわりだけいくつか書いておこう。

 同期の新入社員は、男女あわせて約50名ほどいた。入社すると、まずは数ヶ月全員での社内教育があった。毎日様々な事をまなびながら、一日の最後には日誌を書かされていた。我々の世代は、全共闘や全学連が暴れていた世代の終わり頃に続く世代になる。かっこよく言えば、遅れてきた団塊世代。戦国の世で生まれたのが少し遅かった伊達政宗のようなもので有る。

 入社時には、希望職種別の募集だったので、当然私はSEを希望して、面接でもしつこく話をした(SE以外、特に営業なら入社しないと)が、その事に面接官からの異論はなかった。前に書いた会社の社長のように、「営業向き」だねなどとは言われなかったのである。考えようによれば、もっとタチが悪いのかもしれない。大手企業や高級官僚に対する、偏見にも近い私の否定的な感情は、すでにこのときに強く植え付けられたのかもしれない。ちなみにSEとして受けたすべての他社に合格していたのだから、怒りは収まらない。

 入社してすぐに、文系出身者は営業、理系出身者はSEと会社が宣言した。『この嘘つきやろう!ふざけるな、バカにしやがって。こんな会社つぶれてしまえ。』と思った。あまりの怒りに、その日からの日誌(新入社員教育のいっかんであろうか、毎日日誌を書かされたのだ)には、SE希望で入社したのだから,営業に行くなら辞めると書いて抗議を続けた。今の就職難の若者から見れば、何という馬鹿な奴だと思われるかもしれない。その通りである。だが、人間には、けっして曲げてはならない自身にとって最後のところがあると思うのだ。その考え方は,世の中の泥水をいやと言うほど飲んできた今に到るも、基本的には変わっていない。ま、途中でめんどくさくなって、心が折れたことは結構あるけど。ハハ....。

 事務職の女性陣は、短期間の講習で現場へと配属されていった。残った我々(いや私は)は日々エスカレートしていった。どこまで書いて良いのやら。思い出すと筆が暴走しそうで怖い。事実のあまり、固有名詞まで飛び出しそうなのだ。ま、記憶の悪い私は、会社名くらいしか覚えてはいないのだが。


 今回の福島原発事故や東日本大震災の津波の災害において、災害が拡大した原因のひとつに、この国に蔓延している権威主義が影響していることは、もはや誰も異論を挟めないだろう。特定の利益集団に属する、権威有る(とされてるだけだと思うが)お偉い先生達によって、一部の反対意見などは、ことごとく無視されてきた。この権威主義について語り出したらキリがないのだが、入社時研修においても、まさにこれが露骨に発揮され、しかもそのゆがみそのものが、暴露されたのである。なんと、その権威者側の当事者である、我々新入社員の側から。

 中国人は自分の給料の額を他人に話をするが、日本人は絶対に自分の給与額などの話はしない。その後、中国人のいろいろな人とのつきあいも出来たので、必ずしもそう思わないのだが...。入社して初めての給料日だったかな?とにかく、給料の額が記された紙を受け取ったのだ。当然皆同じだと信じて疑わないから、それを見せ合った。そして、翌朝、研修開始時の朝礼(?)は,集団つるし上げの場と化した。

 そう、日本の最高学府、T大学卒業者が新入社員に混じっていたのだ。その彼の額が他よりも高かった。(ま、今考えてみれば、きっとたいした差ではなかったのだろう)どうして差があるのだと、糾弾が始まった。さながら全学連が学長をつるし上げるように。
 相手の課長だかなんだか、親会社から来てることをかさに着て(これは私の個人的なひがみかも)、強気に反論を始めた。それが火に油を注いだ。
 彼は、大卒ではなく、修士卒だからだと。そしたら、他にも修士卒がいた。確かに修士卒は少し高いのだが、その彼よりも高かったのだ。
 第二ラウンドが開始された。
 彼は年長者だからだ。確かに、二浪しているとか本人も言っていた。が、同じ修士卒の彼も同い年だったのだ。

 もう何を言っても、全て嘘でしかない事がばれてしまっていた。それにしても面白いのは、かのT大卒の彼までもが、一緒になって会社を糾弾したことである。アラブの春で立ち上がった若者もこうであったのだろうか?
 今の日本では、自分だけ良ければ他人などどうでも良いと言う風潮がはびこっている。それが、ゆがんだ社会や国のあり方を変えようとする力が結集されない理由のひとつかもしれない。

 それにしても、なんで彼だけ優遇したのだろうか?誰か人事のコネが有ったのか?今では考えられないのだが、なぜか当時は、同じ入社なのに給与が違うと言うことは結構あったのだ。むろん、中途入社の場合には、経験等で変わってくるのは当たり前なのだが。


 面白い後日談がいくつかある。

 結局、私を始め多くの人間がこの会社を辞めていって、同期で最後まで残ったのは、ほんの数人であった。最後という意味は、そう、皆さんのご期待通り。この会社もつぶれてしまったのだ。親会社が大きいので、別の子会社に吸収されたが。

 外からみても、中に入っても、常識として何かおかしいという会社は、多かれ少なかれ問題を抱えているものである。それがいずれ現れてくる。リストラ,大量解雇そして最後には倒産と。


 彼はどうしたか。入社の翌年くらいに私と前後して、会社を辞めていった。好きな人が出来たのだが、彼女が医者の一人娘だったため、相手の両親に医者以外には嫁にやらんと反対された。そこで、彼は会社を辞めて、国立大学の医学部に入り直したのだ。いやはや、頭のいい人は違うよね。

 本当に昔の話は小説みたいだ。


 最後にこれだけは。この話は、私の頭の中にある思い出なので、事実だったかどうかは、保証出来ませんから。

平成25年(2013年)2月23日

2013年02月23日|コラム・エッセーのカテゴリー:人生は迷路かな