日本は男尊女卑の国ではない

【常識の毒 日本は男尊女卑の国ではない】

 この問題は解きほぐすのが難しい、というのは、本来の男女平等思想と男尊女卑思想とが、長い歴史の中で混在して来たからである。そのために取り上げる事柄も、どちらの主張にも合わせた説明ができてしまうことになる。少しずつほぐしていくことにしよう。

 日本は男尊女卑の国ではないと発言すれば、少し前ならたちまち批判の嵐が巻き起こったかもしれない。いまは、もう少し冷静に話を聞くことの出来る人が増えたと信じたい。男尊女卑の国ではないから、社会にそのような制度、習慣が一度も無かったなどというつもりはまったく無い。ただ一部の人々が言う、日本は遅れた国で西洋文化が導入されてようやく男尊女卑から抜け出したという、歴史や民族の気質を全く理解していない話に首をかしげざるを得ないだけである。

 国民皆保険制度など、日本は社会主義国のようだと揶揄されることがある。それほどに公平性、平等性を求める国民性だと言うことなのだろう。このことについては、最後にもう一度触れることにして、男女平等思想が日本人本来のものであると言う前提で話を進めていこう。長い歴史の中からいくつかの事例を見てみよう。

 縄文時代
「元始、女性は実に太陽であった」と女性活動家、平塚らいてうは叫んだ。この後に続く彼女の言葉を読むと、実は女性の自立を強く促している言葉なのだが、男女平等なくして自立も無いだろう。元始たる縄文時代の生活ぶりがわかってくると、この時代には男女の役割分担が割合はっきりとしていたようである。そこに女性蔑視の痕跡はほとんど見られない。それどころか、縄文土器、土偶などの遺物は、女性の生き生きとした姿をいまに残している。

 縄文時代のように狩猟採集時代においては、獲得した食料の公平な分配が行われていたために、富の偏在が発生しなかった。それが原始時代の平等であると言われている。海外ではそうかもしれない。だが、1万年以上も続いた縄文時代。そんな簡単な話で済まされるものであろうか?
 日本の縄文時代は技術力の遅れた時代などでは無く、さまざまな木が植林栽培され、食糧確保の一形態となっていた。また、漆のように何世代にも受け継がれて栽培管理されなくてはならないものも存在していた。つまり、富の格差を生じさせる要素はかなり存在していたとみる方が素直なのでは無いだろうか?それでもなお、我々の先祖はそれを選択しなかったのだ。まさに、感性がそれを嫌ったのである。

 縄文から弥生への変貌において、渡来弥生文明の受容をかたくなに拒否した地域が、東日本を中心にかなり存在していたこともわかってきている。それが何を意味するのか。すでに強固な縄文文明を有する縄文文化集団にとって、それまでの文化の基盤を成す価値観を容易に破壊することには抵抗があったのだろう。大きくいえば、精神基盤にまで達し得る文化基盤の部分と、技術や仕組みなど技術的な表層文化たる文明との分離が、日本で初めて生じたときなのかもしれない。

 神話
 神話はその民族の精神的基盤を象徴するものが隠されていることも多い。ひらたくいえば、民族の昔の考え方や感じ方が、神話の成立に影響を与えると言うことである。日本の神話は、律令時代に整備されたものしかほとんど残っておらず、そのためそれ以前の日本人の考え方や感じ方を知ることはむずかしい。だが、それでもどうしても消せない形で、神話の中に残っているものがある。

 男の神イザナギ(イザナキ、伊弉諾、伊邪那岐、伊耶那岐)と女の神イザナミ(伊弉冉、伊邪那美、伊耶那美、伊弉弥)による国うみの神話からも、男女に関する古代の考え方をうかがい知ることができる。有名なこの神話の始まり、柱の周囲を回りながら、イザナミがイザナギに声をかけて二人は結ばれて国うみをするが、うまくいかなかった。天上の神々に相談したところ、女の神が先に声をかけるのを改めて、男の神が声をかけるよう指示した。その結果、国うみは成功したという誰でもよく知る話である。

 この男の神が先に声をかけなくてはならないとするのは、明らかに男尊女卑の思想の流れをくむものである。しかしその前にあえて失敗例をあげてまで、女性が先に声をかける行為を行っている。ということは、男尊女卑思想が入ってくる前は、女性からでも良い、あるいは女性からが普通であるという、社会的慣習を表したものと考えられる。はじめから男尊女卑の民族ならば、このような面倒なくだりをあえて神話に挿入しなくてはならない理由が見当たらない。むしろ、男尊女卑に代表される律令制すなわち中国からの流入文明一辺倒に対する、日本人としての抵抗が隠されているとすら言えるのでは無いだろうか。くわしくは、「日本人の気質 第6章文明の受容:中国文明の受容」参照。

 この二人による国うみでは国土の他に多くの神々を生み出している。ところが、アマテラス(天照大神)、ツクヨミ(月夜見尊月読命)、スサノオ(建素戔嗚尊速)は、イザナギが黄泉国の穢れを落とすための禊(みそぎ)によって誕生している。これら後々主役となる神々はなぜ夫婦二人によって誕生しなかったのであろうか?天皇中心の中央集権体制を確立する過程でも強化された男尊女卑の思想が隠れていることと、それでもなお、本質はそうでは無いと言うことを知らず知らずに語っているのかもしれない。また、はじめは夫婦の営み(性交)によって国や神をうみながら、後にはイザナギ一人から神が生まれている。神話的には順番が逆に思えるのだが、古代人にとっては人間の営みの方がより自然だったと言うことであろうか。

 「日本人の気質」では取り上げなかった事もある。はじめの国うみに失敗したとき天上の神に相談しているのだが、いったい誰に相談したのだろうか?また、なぜそうしたのであろうか?イザナギ、イザナミは国うみのために天上界から降りてきた性別を持つ神である。それ以前に出現した神々は造化三神のように、男女の別を持たない神々である。これこそ本来の神々の姿であろう。それが様々な思想や種々の知識を得ることにより、次第に人間界に似せて神が造られて来たのであろう。そのように考えれば、男性と女性というような区別だけでなく、人間が死んで神になる事がある日本の神道の考え方の根本は、差異を持たない存在としての神であり、そこにはすべてのものが平等であるという思想が色濃く流れている。現在にまで続く日本人の平等性を求める強さなどの理由もそこにあるのではないだろうか。

 卑弥呼・神功皇后
 神話から実際の歴史に進んでも、女性の活躍は止まらない。卑弥呼がシャーマン(巫女)として君臨していたから、政治的統治の王ともなったとされるのだが、政治と祭祀の担当者が別れている古代国家は珍しくはない。女性を王として仰ぐことに抵抗がなかったと見る方が自然であろう。尚ここで、「王」とは仮に呼んだに過ぎない。

 神功皇后は仲哀天皇の皇后であり、やはり巫女的性格を持つ女性とされる。天皇の死後、妊娠中にもかかわらず、朝鮮半島に攻め入り、新羅(しらぎ)を征し百済(くだら)・高句麗(こうくり)を帰服させたという。何とも勇ましい女性である。昔の人々にとっては、女性が活躍してもそれほど不思議ではなかったのだろう。日本書紀の編者が神功を卑弥呼に比定していたとの説など、おもしろい話はたくさんあるが、ここでは省略しよう。

 女帝
 女帝とは、女性の天皇のことだが、ここではもう少し広く統治権力を有した女性としてみている。国が乱れて騒乱となったときにも、男性では無く女性が中心に立つことで全体の統治がうまく進んでいる。それは単に女性が巫女としての呪術的祭祀を司ったからだけではあるまい。男の王の下に祭祀の女性が使える統治形態は世界では珍しいことでもない。実際の権力まで女性が握ることに抵抗がなかった証としか考えられないだろう。

 男尊女卑の思想が流入したのは、弥生時代の渡来人我持ち込んだのが最初で、本格的に持ち込まれたのが中国の思想や体制をそのまま日本の天皇の統治に持ち込んだ律令時代であろう。天皇という名称が使われ出したときから日本という国がひとつの国家像を持つことになったと言う歴史家は多いが、個人的には首をかしげる。それ以前にも、多くの国が集まっていわば日本合衆国のような政治形態をとっていただけで、そこに日本全体をひとつのくくりとしてみる意識が無いと言うのは、明らかに後世から見た邪推に過ぎないだろう。それはさておき、女帝は日本に多く存在した。律令国家が完成する7世紀以前にも出現しているが、皮肉なのが律令制の基礎を築いた持統帝かもしれない。天智天皇の皇女であり、天武天皇の皇后であった彼女。彼らこそ、天皇中心性の中央集権体制や直系による天皇の連続性を定めた人たちだからである。当然それが男尊女卑思想を広めたことは間違いが無い。それをしたのが、女性自身であるとは、歴史の皮肉なのか。まだ、それほどの差別意識が無かったのか。

 通い婚
 古代から中世においては、通い婚というのが行われていた。戦前までの夜這い風習もこの流れにつながるのかもしれない。男性が気に入った女性にたいして文(ラブレター代わりの恋の和歌)を送る。気に入られたときだけ、ようやく訪問が許され、肉体関係に進んだのである。つまり主導権は女性の側にあったと言うことになる。むろん、旦那となった男が全く通わなくなれば捨てられたのと同じ事にもなるのだが。

 女流文学(源氏物語や枕草子)
 源氏物語と枕草子、言うまでもない、日本の女流文学の傑作である。ともに平安時代すなわち男尊女卑が強かった時代である。心底から男尊女卑であれば、そんな時代に女性がこれだけの傑作を残せるものであろうか?現在でも女子への教育を認めない国が世界には数多くあると言うのに。いかに貴族という限られた社会であろうが、女性が高い教養と知識を身につけることが尊ばれ、小説や日記を書くことさえ許されたのである。本当に女性蔑視の国民性であれば、仮にあのようなすばらしいものを書いたとしても、世に出ること無く抹殺されてしまうであろう。  日本人は、もっとこの世界でも最古の女流作家とその作品を誇るべきで、人類の遺産としてたたえるべきであろう。

 かな文字
 源氏物語や枕草子の時代には、仮名文字が発明されて使用されていた。男性は漢字を使うのが正当とされ、かな文字は女文字、女手ともよばれた。これだけ聞くと女性軽視のようであるが、女性専用の文字を生み出すなどと言うこと自体が、どれだけ女性を尊重していたかわかる。ま、実際には男女の別なく、日本人にとって自らのやまとことばを表現できる文字がほしかったと言うことであるが。唐文明の過剰受容の反動ともとらえられると同時に、やはり日本人はすでに持っていた自らの文化を決して捨てることは無かったという証でもある。

 北条政子
 いうまでもない、鎌倉幕府を開いた源頼朝の妻である。海のものとも山のものともまだわからない頼朝と大恋愛の末に結ばれたという情熱の持ち主でもある。何よりも驚くのは、演説で有名な承久の乱であろう。(1221年、承久3年)後鳥羽上皇が執権北条義時追討の院宣を下し挙兵するが、朝敵となることをものともせずに19万もの大群を持って、上皇軍を打ち破り3上皇を流罪にしてしまったのである。いやはや、やはり女性は怒らせると怖い。朝廷という権威も女性には通用しない。錦の御旗を見て逃げ出す男とは違うのだ。

 
 山の神
 山の神は女性であるから、女性が山に登ると嫉妬して災害がおきるので、女性は山に入れないという話がある。これこそ、男尊女卑思想が流入した後のさまざまな考えや風習が絡み合って生まれた説であろう。いま、その内容にまで立ち入るつもりはない。言えることは、山の神を始め女性の神々は日本では当たり前のようにたくさんおられるという事実である。真に女性蔑視が激しい民族においては、このような話は作られないのでは無いだろうか。

 神道にある女性が行えない神道儀式の存在
 この問題も、根が深くとても簡単に触れられるような事柄では無い。ただこれも仮にそうだとしても、そのこと自体が、男尊女卑思想が注入した後に造られたものである事は明白である。したがって、そのような思想が日本に流れ込んだ事の証にはなりえても、日本民族の根本的な感性がそうであると言う証には全くならない。それを指摘するにとどめておきたい。


 こうして色々とみてくると、男女平等の意識のほうが、日本人本来の感性であることは明確であろう。太陽神が女性であったり、紫式部や清少納言が優れた文芸作品を残していることからも日本では昔から女性が活躍していた。世界では、女性への教育が否定される国や社会の存在が問題となっているが、日本が本当に同じような差別感を気質として持っていたなら、このような女性活躍事例が発生することすらなかったであろう。中国文明さらには明治維新の西欧文明の受容によって、男尊女卑的な考え方が強められたのであり、気質や感性としての本質では、日本人は平等性を尊び、当たり前のことと感じていた民族なのである。


 社会的差別と性差の混同 

 男女平等を要求するのは至極当然のことである。だが、極端に走る原理主義的な運動は、男女間にある性差まで認めようとしなくなる。スカートはけしからん、女性らしさを要求するのは男の差別によるものだと。社会的な男女間の差別撤廃と、男女の性差による違いを認めないこととは全く別次元の事柄である。そんな行き過ぎた運動の中、女性の中から反対が出てきた。上半身裸になり、女性らしさは女性の権利であると主張した。興味本位でとりあげたのでは無く、ここに事の本質が現れていると言いたいのである。

 そんなにすべての歳差をなくすことが男女平等思想だというのなら、男女別のトイレも、男女別のスポーツも誤りだと言うことになる。学生時分に「性差心理学」を学んだが、その後そのような事を言うことすらはばかられる時代が一時来た。しかし、さらに科学が進んで、脳科学や心理学の分野の発達により、男女間の性差は間違いなく生物学的な差異として存在していることが確認された。いまやアメリカの学校では、男女でクラスを分けて異なる教え方をする授業まであると言う。数学など論理的解を求めるのに、男女でそのプロセスが異なることがわかってきたからである。

 まだまだ、日本社会では男女間の社会的差別が大きく存在している。いい加減で、本来の感覚を取り戻し、男女同一賃金を実現すべき時であろう。同時に正社員と非正規など多く存在する、言われ無き格差の是正も合わせて。本題から外れるので触れないが、それがGDP拡大すなわち経済的成長にもつながる。(コラム「いま日本で起きていること アメリカ文明の過剰受容」の「男女平等という名の低賃金労働者確保」平成27年7月9日参照)


 日本人の平等気質 

 日本人は男女に限らず、人間は皆平等であるという意識、感覚が強い。それ故に、いわゆる奴隷制や宦官のような奴隷的存在を制度として受け入れなかったのであろうか。
 欧米をはじめとする多くの国々において奴隷制が容認された理由として、山本七平は「ユダヤ人と日本人」の中でこんな事を述べている。彼らは牧畜を常とした歴史の中で、羊でも豚でも『家畜』というとらえ方をする。その家畜の中の動物にたまたまヒトも入っていたのであり、ヒトを意図的に差別したのでは無く、家畜の中にヒトがいた感覚なのだと。つまり彼らは、家畜というくくりと人間というくくりとが交錯していたとも言えるのであろうか。

 これが本当であるとしても、日本人は家畜のくくりに「ヒト(人)」が混ざること自体を拒否しているのであり、彼が言うような日本での牧畜の歴史不在と言うことではないように私には思える。また、奴隷制が当たり前の社会において、白人の女性が男性の黒人奴隷の前で平気で裸になれたという。つまり、動物の前で裸になることを恥ずかしがらないという意味であるが。しかし個人的には動物の前でも、裸になるのはちょっと恥ずかしい。そしてこの感性の違いこそが、日本において奴隷制が採用されなかった大きな理由なのでは無いだろうか?つまり、奴隷はさておき、人間の間における平等性は、日本人の感性によってもたらされたものと考える。それは、まさに神観、自然観によるものだろう。

 日本人にとって自然そしてそれを含む神は絶対的なものである。その前には、人間などの差異はさしたる意味を持たない。地震が来れば男女の別なく、津波に呑まれれば貧富の差も権力の違いすら無い。そのような絶対的な力の前では、人間は等しく平等であるとの考え方や感じ方が日本人の遺伝子の根底にくみこまれている。男女の差異も、そのような平等性から見れば小さなものに過ぎない。だから、日本人の本質は男尊女卑などでは無く、男女平等なのである。


 ここで述べたかったことは、日本では男尊女卑など全くなかったなどということではない。むしろ他文明の過剰受容が男尊女卑的な社会をより推し進めてしまったのではないか、それでもなお我々の感性の奥底にあるのは男女を問わず人間とは平等なものなのだという感覚が残っていることを述べたかったのだ。ただ残念な事に、極端に走りやすい、外来崇拝指向などの気質により、さまざまな差別感が生まれたことである。差別感のほとんどは知的認識によって成立していることを思えば、これは日本人に限らず、知性を与えられた人類が引き替えに持たされた業なのかもしれない。

 屈強な旦那が、家では山の神を恐れ従う。単純な男を表面上は立てて好きなようにさせておいて、実は軽くあしらう芯の強い女。当人たちが認め合っているほほえましいものを、男女差別だとわめき散らすような社会には、なってほしくないと思うのである。

平成27年7月22日(水)

2015年07月22日|コラム・エッセーのカテゴリー:常識の毒