過剰サービスはやめるべき時に来ている

 「おもてなし」などといううさんくさい言葉をはやらせたのは、誰の考えなのだろう。私には、サービス業で働く人達に、給料以上の仕事をさせるために仕組んだ勢力の仕業としか思えないのだが。

 今の日本社会の置かれた現状や課題を言い出すと切りが無いので、個々では触れないでおくが、とにかく日本社会にはびこる過剰サービスはやめるべき時が来ていると思う。それこそ、サービスの名を借りた人権侵害であろう。

 サービス過剰の典型例を二つだけあげておこう。

 一つが言うまでもない宅配サービスである。どれだけ早く届くか、どれだけ時間を指定できるか、そんな事を争う過当競争が行われている。しわ寄せはすべて末端の配送員に行ってしまう。「午前中」指定の品物が、午後の3時にならないと届かないほど、現場は疲弊しきっている。個々には配送員だけでなく、物流センターで24時間働かされている配送関係者も当然含まれる。年末年始の宅配を受け取りながら、つくづく考えさせられた。

 もう一つが、コンビニの24時間営業と、時間による陳列である。これも明らかに行きすぎている。一日に何度も配送するからエネルギーも人も過剰に使われてしまう。おまけに災害などがあるとたちまち棚が空になる。さらに、食品ロスも膨大になっている。

 これら過剰サービスは言うまでもなく、受益者である顧客つまりは私たちの問題でもある。サービスが当たり前という感覚に毒されて居ないだろうか。それが、サービス業の労働生産性の低さや、デフレからぬけだせない低賃金の悪循環を生む一つの原因にもなっている。そのぐらいのことは考えるべきだろう。

 日本の格差社会がこれ以上拡大しないようにするためにも、私たち一人一人が真剣に考えるべきなのである。

令和5年1月1日(日)

2023年01月01日|分類:社会, 経済