作らなければ作れなくなる

 物作り大国などという幻想は、30年前から消えているのに、幻想に踊らされたままの多くの日本人。特に経営者と技術者が、幻覚から未だに覚めていないようだ。作らなければ作れなくなる、当たり前のことを完全に忘れている。
 人(技術者、技術のわかる管理者等)は育てない、匠の業は継承しない、自ら作ろうとしない。こんな製造業で、どんな”もの”が作れるというのだろうか。

 少し前からこの件を取り上げようと思いながら、次々関係するニュースが出てくるので、時期を逸していました。今回は、3年も延期して、直前に中止して、ようやく打ち上げたら2段目のロケットが点火できずに失敗したH3ロケット。これだけゴタゴタが続いた案件は、大抵失敗することが多いのが経験則。同じ三菱重工傘下で開発に失敗したジェット機MRJもそうだった。
 米中が大型ロケットをいとも簡単に数多く打ち上げているのは、予算の問題だけではなく、もはや技術力あるいは産業の底力に大きな差が開いてしまった結果だと認めざるを得ないでしょう。すくなくとも、軍事と宇宙関連では。

 この日本の産業界とりわけ製造業での劣化は、グローバリズムという米国流の経済政策にとことん踊らされた結果なのだが、例によって集団農耕型人間達の気質が、そのキズを広げたのも間違いないようだ。この論では、日本の経営者達がいかに浅はかで、自分の保身と目先のことしか考えていなかったか、それについて見てみたい。

 日本の製造業に関わる政財官すべての人間が、完全に忘れていることがある。それは、物は作らなければやがて作れなくなってしまうと言う、極当たり前のことである。昔の工芸品などの再現が出来ない事例はこれまでも取り上げられてきた。技術がしんぽしているのに、昔の技術の再現すら出来なくなっているのは、その物を作り続けてこなかったからである。製造業の多くの製品もまた同じなのだ。高度な半導体は今や台湾のTMCS出しか作れないなどと、したり顔で言う関係者のなんと多いことか。TMCS二はじめに仕事をまわしたとき、日本の経営者達はなんと言っていたか。あれは単なる製造の下請けだから、技術が流出することなど無いと言い張っていた。その同じ連中が、今やTMCSでしか作れないなどと平気で言っているのだ。

 選択と集中だの、グローバリゼーションだの、まやかしの言葉にだまされて、日本の製造業は、自ら作り続けることの重大性をみうしなってしまった。コロナ、米中対立、ウクライナ戦争などの劇的な環境変化がなければ、国内で物をつくるなど、未だにやっていなかっただろうと思うと恐ろしくなる。

 自分達で物をつくろうとしないから、当然人材も育てようとしない、匠がその辺に転がっているからかねだせばいいとか、海外から人を入れれば良いなどと、まだ技術者については目を覚ましていないようである。後継者がいないと言うが、匠の技を継承していこうという意識がほとんど無いのも同じことである。例え技術者ではなくてもせめて技術の善し悪しを見分けられる技術者や技術管理職も、ほとんど存在していない。これは海外のMBAをいくらもっていても、全く関係の無い世界であるが、それも気づかない。

 様々な理由で国内回帰してきた製造業だが、これらの基本的な考え方や意識がともなわなければ、また失敗して外に行こうとするだけであろう。そうならないことを心から願っているが。

令和5年3月7日(火)

 

2023年03月07日|分類:経済