コロナワクチン接種死と日本人の気質

 ある女子中学生の死は『新型コロナワクチン接種と因果関係あり』と、司法解剖した医師らが結論を下した。徳島大学法医学教室の西村明儒教授は、「今回解剖ができて、色んな検査が細かくできて、ワクチン接種以外に原因は考えられないと判断ができた」と発言している。
 これに対して、相変わらず何も認めようとしない政府・厚生労働省の対応に、ネットでは批判が起きている。

 官僚や政治家など集団農耕型人間の無責任体質は、もちろんで糾弾されなくてはならないのだが、ここでは敢えて違う視点を言おう。
とにかく潔癖症と言おうか、不安症というか、日本人は少しの事でも大騒ぎする悪い癖がある。子宮頸がんワクチンでも、メディアがあおって大騒ぎになり、結果としてワクチンがうたれなくなって、逆に多くの若い女性が死んだり苦しんだりした。

 コロナワクチンも同じであろう。いくら国が、100%ではなく副作用はあるといっても、1件でも不幸な例が出たら、それですべてをやめさせようとして騒ぐ。冷静な判断もなく感情的に成った国民を、反政権のメディアが、より大きくあおり反政府に利用する。この悪しき現象がなくならない限り、今の状態は変わっていかないだろう。いかなるワクチンでも100%ではなく、その代わり何かあったときには正直に公表したり、補償を行うのがアメリカなどのやりかたである。しかし日本ではそれが出来ない。官僚や政治家はこれを逆に利用して、認めない限り何もしないですむとばかりに、さらに嘘を重ねる。
 気質の要素が悪い方向に極端に走ると取り返しがつかないことを、知っておくべきだと思うのだが。

 もちろん、もしワクチンによる死亡例がでたのなら、全世界に注意喚起することこそが日本の役割であろう。アメリカに気を遣うなどもっての他である。いうまでもなく、全世界の英知を集めて、因果関係の究明と対策を講じるべきなのだ。さもなければ亡くなった被害者も浮かばれない。

令和5年5月25日(木)

 

2023年05月25日|分類:政治, 社会