自衛隊の悪癖のひとつには、戦前から続く人命軽視がある。食事さえ満足に与えず、パンを余分に食べたから懲罰などと、遙か古代の奴隷制度のような感じさえしてしまう。それは、災害出動時などにもみられる。救助する側が満足に動けなくては、助けられるものも助けられなくなる。にもかかわらず、被災者には暖かい食事と風呂を提供し、自衛隊員は缶詰と携帯食で済まさせている。この人命軽視が、この30年間の経済的劣化を招く大きな原因となった収入源にも関係している。無能な経営者達が、人件費を経費ととらえて、ひたすら安くすることに注力してきた。それを政財官の癒着した財界村が後押ししてきた。その結果、企業は生き残り、人々は貧しくなり、社会は劣化の一途をたどった。
話を自衛隊に戻そう。ウクライナが領土奪還の反転攻勢を始めたが、ロシアも空からの攻撃などで、ウクライナの進軍を阻んでいる。その中である記事が目にとまった。確かにやられているのだが、アメリカのブラッドレー歩兵戦闘車では攻撃を受けながらも兵員が生還出来る確率があがっているというのである。アメリカは戦前から、ものよりも人命を最優先にしてきた。その為、頑強な装甲など、人命が助かる可能性が高まる兵器を製造してきた。旧日本軍と全く逆なのである。もうひとつ、イスラエルの戦車メルカバは全面防護が頑強で、兵員は後ろから逃げられる構造になっている。これも人口の少ないイスラエルが、戦闘員の生存を最優先した結果である。それをウクライナがほしがっているという。
いまどき、人命軽視の軍隊など先進国ではあり得ないのだが、その中で自衛隊は未だに人命軽視の考え方から抜けられないでいる。これも日本人の気質に基づくものなので、なかなか改善は難しい。だからこそ、本気で注力しなくてはならないのである。装備や武器は取り替えがきくが、人命は取り替えがきかないという、当たり前の事をもう一度自衛隊関係者と政治家には認識を新たにして欲しい。
令和5年6月17日(土)