対象の報道姿勢をはじめから決めているメディア

 こんなニュースが目にとまった。「逮捕者も相次ぐ静岡の教職員、再発防止策を講じても不祥事続く…県教育長が謝罪」

 教師のニュースと言えば、過剰な労働で忙しいとか人数が足りないとか、教員を擁護する方向での報道姿勢が普通。何度も性犯罪を繰り返す教師や、教職員の度重なる不祥事で逮捕者が続出し、県の教育長が謝罪会見を開くまでになるような、教師にマイナスのニュースはほとんどとりあげない。つまり、教師というメディア対象はどう報道するか、その方向性をはじめから決めていると言うことである。そこには公平性もへったくれも存在していない。ま、もはやメディアの歪みは世界的なもので、欧米なども、完全に特定の思想信条に基づく報道姿勢をとっているが。

 メディアもまた権力ならば、メディアを監視するものが必要なのだが、そういうものは報道への介入とか言ってやらせない。人間の身勝手が世界に蔓延している。本当に人類は進歩しているのだろうか?

令和5年6月17日(土)

 

2023年06月17日|コラム・エッセーのカテゴリー:社会