妖怪キャラを受け入れる社会の怖さ

 日本人の感性が壊れていないだろうか?大阪・関西万博の公式キャラクター「ミャクミャク」のことである。万博中止議論はさておき、なぜこのように身持ちの悪い(少なくとも私には)キャラが生まれたのだろうか?誰も止めなかったのだろうか?とても日本人の感性に合うとは到底思えないのだが。だが、さして騒がれないところを見ると、すでに日本人の感性は変容してしまったのか。作者の意図は聞いたが、それが多数の目玉とはつながらない、むしろ妖怪である。デザインされた方をひていしているわきえではありませんので、同化おゆるしください。あくまでも個人的な好き嫌いですから。

 日本ほど多数の妖怪や物の怪が住む(?)国は世界でも珍しい。まして、先進国では、それは科学教育の遅れとすら受け取られている。そのことはさておき、日本において様々な妖怪達が活躍いや暗躍するとき、それは日本社会が様々な問題を抱えている証しでもある。不安や不満、息苦しさなど社会に対する庶民の思いが、妖怪を呼び寄せるのである。とするならば、この妖怪キャラを誰も否定することなく受け入れられたのは、今の日本社会が相当に多くの問題を抱えて、日本人の心がやんでいるためだとも言えるのだろう。

 妖怪にも色々なのがいるから、すべてが気味悪いとかというのではなく、むしろ愛嬌のあるのもいる。流行はその時の時代の空気なのかもしれません。万博キャラで言えば、個人的には目玉が複数あるのはどうも苦手である。目玉でないとしたら、何に見えなければいけないのかがよくわからない。いずれにせよ、妖怪風キャラを採用したときから、万博の不穏な状況が予想されていた、と言うのは言い過ぎなのだろうか。

令和5年8月14日(月)

2023年08月14日|分類:社会