2023年(令和5年)1月25日に奈良県の富雄丸山古墳で、速報が出るほどの発表があった。それは2m37cmの国内最大の蛇行剣と、これまでに発見例の無い盾形銅鏡が発見されたことである。この発見の意義は、今後の話になろうが、画期的な発見である事は疑いが無い。
ただ古墳など考古学好きの素人としては、どうしても腑に落ちない事がひとつあるので、それをここでは取り上げておきたい。
この古墳は、古くから知られており、長いこと発掘も行われてきた。それがなぜ今頃になって、大発見になったとかという疑問である。
明治期には、盗掘により副葬品多数の出土がなされている。1957年(昭和32年)には、伝出土品が国の重要文化財に指定されている。だが、日本最大(級)の円墳だというのに、これまで史跡の指定は成されていない。これもおかしな話なのだが。
2017年(平成29年)に測量調査が行われ、翌年からは発掘調査が始まった。それから5年かかって、今回の大発見となったのだ。
もちろん古墳などの発掘には、恐ろしく時間がかかることは理解しているつもりである。だが、これだけの物が見逃されていたのはなぜ、という疑問がわいてしまうのだ。特に今回の発見は、古墳時代前期の国産工芸品の技術が高度に発達していたこと、鉄製の剣の歴史を塗り替える可能性があることを考えると、なおさら疑惑が拭えない。考古学会などに長くはびこっていた、外来崇拝、自虐思考が、影響していなかったと、本当に言えるのだろうか?
史跡に指定されていないのも、軽んじていたように見えるのも、単に人と金がなかったからだと言うことであってほしい。
ただひとつだけ加えるならば、日本の歴史学会では、他の分野との共同による研究が少しお粗末なのではないだろうか?一部の研究者は、すでにはじめているが、歴史学会全体では全く遅れている。悪く言えば不勉強なのである。調査の機器一つでもITは不可欠だし、バイオその他の分野の研究も必要なはず。
学会や研究者達に未だに残る古くさい思考や先入観を完全に捨て去ってもらって、これからも考古学ファンを喜ばせて欲しいと思う。それにしても、ふたつとも早く復元して欲しいな。
令和5年1月26日(木)