トヨタがEVで勝てない理由

 トヨタの社長が交代した。トップの交代は、その企業の変化の象徴で有ることも多い。果たして、トヨタはこれからいっそうの進化を遂げるのか、それとも衰退の坂道を下り始めるのか。その趨勢を占う一つの鍵は、言うまでもなくEVへの対応であろう。

 日本の自動車メーカーのEV市場での地位はお世辞にも高いとは言えない。高価格帯ではテスラに完敗し、普及クラスでは中国メーカーの後塵を拝している。特にトヨタはかなり危ない状況にある。全方位でEVもやるから心配はないといい続けてきた。だが市場への参入をためらううちに、気がつけば置いてきぼりになっている。ようやく市場に投入したEV車は、リコール騒ぎを起こした上、性能で他社より劣ると評価されてしまった。「いつでも準備は出来てい」なかったのである。トヨタでもこのざま。深刻だと思うのは、これが、日本企業が必ずと言うほどに落ちいってきた問題そのものだからである。

 それは、これまでにも指摘してきた『破壊と創造』に関わる気質の問題である。言い方を少し変えるならば、自己否定が出来ない集団農耕型気質といえる。自動車メーカーにおけるEV問題とは、まさにこの自己否定問題なのである。EVすなわち電気自動車とは、これまでのガソリン車とは敵対関係にある製品と言える。EVが売れると言うことは、ガソリン車が売れなくなる事を意味する。そもそもこの考え方自体が、誤りなのだが。新しい製品によって新たな市場を開拓する意識こそ重要であり、今の日本の経営者に欠けている市場開拓の意識なのだが。そのことはさておき、話を戻そう。

 技術の進歩や社会的な要請(規制と言っても良いが)によって新しい製品が作られる。それが既存の製品メーカーとは別の企業であれば何も問題は起こらない。しかし大概は、むしろ既存のメーカーにより新商品が生みだされることも多い。するとそこで必ずと言って良いほどおこるのが、既存製品を扱う部門と新製品を進めようとする部門との間の社内衝突である。
 例えば、ある通信事業者では、光ファイバーによる通信を開発した際、市場への投入時に社内で衝突が起きた。光通信は、より安い金額で従来の何倍もの大容量通信が提供出来る。そこで他社に先駆けて安価なサービスを提供すべきと提案したが、既存のアナログ通信網の部門が猛反対した。既存のユーザが乗り換えれば、売り上げ減に結びつき大損をするというのだ。そこには、既存事業の存続ばかりで、新しい市場を開拓するとか、世の中が変われば、既存事業そのものが衰退するという認識が欠けている。そして目先の売り上げ減を恐れる経営者達が、それに乗っかってしまう。結局、既存事業の維持が優先された。

 トヨタのEVにもそのまま当てはまるのかどうか、トヨタの組織の内実はよく知らない。だが、結果として選択したのは、EV市場への参入を遅らせることであった。EVはとりわけ日本国内市場ではほとんど需要がないから、市場投入は後で良いと言う考え方自体が、新しい市場を開拓する意識が薄いことを意味してることにどこまで気づいているかなのである。
 実際世界第二位のEVメーカである中国のBYDが、赤字覚悟で日本市場に参入してきた。トヨタは中国市場をにらんで中国のEVメーカーに資本参加しているのだが、結局成果は見えないまま。
 そもそも最大のEVメーカーであるテスラには当初協業していたはずなのだが、気がつけば、時価総額などで圧倒的な差を付けられてしまった。なぜテスラやBYDの立場に、トヨタがなれなかったのか?後からでも充分間に合うというのは、日本企業が落ちる独善的なおごりである。結局、こういう形で家電でも、携帯でも、半導体でも惨敗していった。
 自動車だけは別だと言い切れるのであろうか?すでに市場開拓が大きく動きだしている今、EVの将来性の検討もさることながら、市場をおさえるという目的のためにも、すでにEV販売に力をいれてなくてはならないのである。EVがだめだとあきらかになれば、そこで素早くやめればよいのだ。そういう行動の機敏さが、製造業にも重要になっている。

 もう一つ日本のメーカー経営者が陥った罠がある。それは「作り続けなければつくれなくなる」という当たり前の事実である。これについては、稿を改めて述べることにしよう。

令和5年2月2日(木)

 

2023年02月02日|分類:経済