神ノ道

神ながらの道

オン草紙
第一部 第1章
【第一部 知性で解く神ながらの道】

第1章 神ながらの道とは

 第一部 知性で解く神ながらの道


 神とか信仰心とかを扱うと、どうしても霊的なもの、神秘的な体験等の話が絡んできます。そうなると、そういう類いの存在を一切信じない人にとっては、ばかげた非科学的な話となってしまいます。そこで本稿は二部構成として、第一部では、神秘的・霊的な世界の体験等は除いて、あくまでも理性的に知性による「神」の解釈を行うことにします。第二部はどうなるのかまだわかりませんが、その意味では興味が無い方は無視していただいて構いません。

第1章 「神ながらの道」とは

  言葉の意味


 「神ながら」は、「かむ−ながら」「かん−ながら」と読む古語です。意味は、「神でおありになるままに」とか、「神のお心のままに」と云う意味です。神随(随神)、惟神などとも書きます。【古語辞典 小学館】

 ですが、ここでは「かみながら」と読んでも構わないかと思います。読み方よりも中身が重要でしょう。「神ながらの道」とは、「神そのものの道」ということで、言い方を変えれば、日本人の信仰心の在り方とでも云えるでしょうか。

 万葉集には、次のような歌が載っています。

 やすみしし(=枕詞)わご大君かむながら神(かむ)さびせすと
 葦原の瑞穂の国は神(かむ)ながら言挙(ことあ)げせぬ国

 はじめの歌は、『わが天皇が神そのものとして、神として行動なさると言って...』 というような意味。これを天皇の現人神宣言と解釈するのは、後世特に明治期の天皇観を念頭においたものでしょう。それよりも、『天皇は神として、神そのもののような行いの出来る人間である(希望的観測)』と解釈する方が、本稿の内容には合致します。

 次の歌は、『日本は、神のお心のままにあり、(人はやたらと自分の考えを)言葉に出して言い立てない国』という意味です。言葉にしなくても、場の空気を読んだり相手の気持ちを推し量る日本人気質をよく現しています。同時に、いたずらに騒ぎ立てず、神の心に従って自らの行動を律する、というサムライの原点でもある日本人の在り方を示しています。ここに日本人の精神の基盤が見て取れます。
 万葉の時代には、すでに天皇を讃える多くの歌が作られていますが、天皇は神であると直接言う場合には「神にしませば」を使うので、「神ながら」は、天皇よりもむしろ神の側に力点が置かれているように、私には思えます。

 また、「ながら」という言葉もなかなか手強い古語ですが、専門家の解釈を参考にしていただくことにして、ここでは立ち入らないことにします。

 ということで、 個人的な意識としては「神ながらの道」は私の造語であり、他にこれと同じ概念の言葉として使用している例は、あまり見かけないと思っています。(その理由を述べているのが本稿の主題です)しかし現実はそう甘くはありません。古神道などで『神ながらの道』という言葉がよく使われていますし、宗教としての神道(しんとう)を「神ながらの道」と表現している人は存在します。なかでも、どうしても避けて通れないのが、法学者、神道思想家の筧 克彦(かけい かつひこ)でしょうか。
 彼はずばり、『神ながらの道』(内務省神社局 1925年)という論文を書いていますが、神道に基づく祭政一致論を掲げた人です。まさに国家神道そのものの考え方を持っていたのです。したがって、「神ながらの道」は、戦前の国家神道の悪しき代表ともなっているわけです。ゆえに同じ言葉を使うということは、誤解を招く可能性が高いのです。

 それでも、この言葉を使いたいのには理由があります。既存の宗教とは全く異なるものが日本人の「信仰心」には流れていますが、日本人の信仰心の原点である「神ながらの道」は、宗教としての神道(しんとう)にその本質が色濃く投影されています。また、日本人にとって「神」という言葉は、すでに魂の奥底にまで届いており、これに変わる言葉をこれから作るのは至難の業です。それよりも、少々の誤解を恐れずに、新しい意味づけをもったこの言葉を使用したいと思うのです。
 また「神道」と書いて「かみながらのみち」と読ませたいのですが、それでは両者のさらなる混同が起きてしまいます。そこで、本稿では「神ながらの道」あるいは「神ノ道」と表記することにします。国家神道との区別の上からも、以降では特別に強調したい場合を除いて「神ノ道」と表記することにします。


 「神ノ道」と宗教の「神道」は違うものだと述べました。本稿の主題はまさにそこにあると言えます。その違いを理解することが、世界から特異と思われている現代日本人の宗教観や、精神構造を理解することにもつながるでしょう。
 繰り返しになりますが、神ノ道とは、人の心や行為・行動のすべてが「神本来の道」に合うものという事になります。日本人はそれを無意識のうちに実践しているとも言えます。

参考資料
「続日本紀宣命における〈名詞‐ナガラ〉」

  神そして宗教の誕生


 人類の文化が生まれたのは、5万年ほど前であろうと言われています。動物から人間らしくなったと言うことでしょうか。とするならば、この頃に人間にはおぼろげながら超越的なものが何か存在する、という感覚が生まれたのかも知れません。
 そこから自然崇拝(アニミズム)と呼ばれる原初的な宗教(広義の意味で)が誕生したとされます。人間が、人智を越えた自然の力に対して、尊敬と同時に恐れの気持ちを抱いたとしても何ら不思議ではありません。さらに、死に対しての洞察が、より深い宗教的な心を育んだ事でしょう。こうして生まれた自然に対する畏敬の念は、いつしか見えざる超越的なものの存在を感じることにつながっていったのでしょうか。
 これらの心や感情は、その集団が生活していた風土と密接に関係しています。この風土の違いが、その後生まれてくる宗教の違いを生み出した要因の一つである事は、間違いありません。

 夕方になると沈んでしまう太陽も、翌朝には再び昇ってくる。この繰り返される自然の営みに、人間は死後の世界や永遠性をもつ魂の存在というようなものを感じ取ったのかも知れません。はじめは、そういうことを頭で考えたというより、むしろ感じ取ったというのが正しいのでは無いかと思います。超自然的な神と死後の人間としての魂、神と仏の関係は原初から存在していたように思えます。ただ意識の上でその関係は漠然としたものだったでしょう。
 自然のさまざまな力を神として認め、動物の持つ能力もまた神の(力の)化身とみる。こうして、さまざまな神が生まれ、多神教と呼ばれる宗教のはじめの形が成立していきます。さらに風土に強く根ざした土着の神や部族神さらには先祖霊への信仰などが、数多く生み出されていきました。