神ノ道

神ながらの道

オン草紙
第一部 第2章
第2章 日本における神ながらの道の誕生

 神ノ道と科学・知性宗教との関係


 神ノ道への道程


 長々と仏教と神ノ道との関係についてみてきました。もう一度神ノ道の生まれた過程をふりかえるならば、次の図になるでしょう。




 科学という宗教


 本稿の文化と文明の関係によれば、知性宗教も科学も同じく、文明に深く関わるものです。どちらも知性が生み出したもので、感情や感性を排することが科学的であるとさえ考えられました。特に戦後の一時期、科学万能論が知識層を中心にして蔓延したときには、まさに宗教熱に浮かされたのと同じように、科学熱にかかる人が続出しました。そのご、科学知識や科学技術が寄りいっそう発展進歩する事により、この科学万能論は影を潜めました。熱が冷めたのでしょう。

 ですが、この後遺症とも言うべきものが日本社会に残りました。それが、日本人は無宗教だと考える、あるいは外に向かってはそのように発言する人々が増えたのです。宗教や神仏を信じることは、非科学的で遅れた人間なのだという考え方です。とはいえ、そこが日本人のおもしろいところです。数年おきには、心霊ブームやらパワースポットブームやらが起こり、人々はそれに熱中します。江戸時代のお伊勢参りブームと変わりません。


 結局、日本人は文明レベルの宗教は簡単に取り替えたりしても、本質である感性に根ざした神ノ道を離れることは無いのです。離れたときは、日本人としての感性を失ったときか、日本人である事をやめた時だからです。

 日本人の宗教と科学の関係についての考え方は、科学と宗教の対立や宗教間の対立をなくすことにつながる考え方なのです。詳しくは第4章にて。

 知性宗教との違い


 世界には三大宗教と呼ばれるような規模の大きな宗教がいくつもあります。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、東方正教、仏教、ヒンズー教など歴史の古いものから、いわゆる新興宗教まで数多くあります。

 西欧近代科学の宗教歴史観では、人類は、はじめアニミズムと呼ばれる自然崇拝から始まり、次第に文明の発展と共に独自の教義や教祖を持つ「宗教」に発展してきたとされています。そのような西欧的な考え方に常に当てはまらない異端児がいます。それが日本です。小さな未開の地の部族なら無視することも可能なのでしょうが、アジアで最初に近代化を成し遂げたり世界を相手に戦争をしたりと、とても無視出来ない存在なのです。となれば、日本は変なのだ、特異なのだと言うしか無くなることも多いのでしょう。ですが、それは、日本の歴史や文明の在り方などを、正しく理解出来ていないだけなのです。



 神道の範囲


 最後に、神ノ道と知性宗教としての神道などの関係を簡単に図式化してみます。



 このようにして神道全体をとらえることが出来れば、混乱した議論ももう少し落ち着いたものになるでしょう。  ただ、神ノ道の本質が色濃く反映されている知性宗教が神道である事は、疑いも無い事なのでしょう。