神ノ道

神ながらの道

オン草紙
第一部 第3章
第3章 日本の神ながらの道

 あるがままに


 この神ノ道の中心的な概念は、言葉による説明も、頭で理解するのも非常に難しいものです。

 本居宣長は、中国で王が統治するのは天命によるものであるという説明は単なる口実にすぎず、天地に感情などは無く、命令など出せるはずも無いと批判しています。これを、日本に多大な影響を与えた中国文明の過剰受容批判であり、自国礼賛に過ぎないととらえるのは簡単でしょう。ですがここに日本人の神ノ道に通じる、同じ感覚を見て取ることが出来ます。

 神は、人間にこざかしく命令したり指示したりなどしないのです。唯々、そこにあり、あるがままを素直に受け入れることを善しとするのです。人間もまたただそこにあるがままの姿を受け入れて生きていく、それが神ノ道のいわば教えです。


 自然の営みであり、理(ことわり)であるすべての事柄を、そのまま素直に受け入れることが、「あるがままに」という姿でしょう。おなかがすいて何かを食べたいという欲望をあるがままに素直に受け入れるからこそ、人間は食べ物を口にし、その命をつないでいくことができるのです。欲望は悪であるといたずらに強調する事は、人間のこざかしい知恵に過ぎないのです。

 生まれたての赤ん坊は、自らの欲望のままに生きています。でも、それをあるがままに受け入れる母や家族がいるからこそ、おとなになるまで生き延びれるのです。母親が我が子を受け入れるのは、親権があり扶養義務があるからでは無いでしょう。ただあるがままの我が子をいとおしく思っているのです。最近、実の親による虐待や子殺しの事件があまりにも数多く報じられています。欧米の個人主義の過剰受容が、日本人の本来の感性までゆがめてしまったとしか言いようがありません。我が子よりも己の欲望や男(女)との暮らしが良いなどと言うのは、あるがままの自然を受け入れた姿とはとうてい思えません。この問題についても日本人の気質ですでに述べています。


 日本人は、すべての大きな自然の理をそのまま素直に受け入れます。それがヒト(自然の一部を為す人間)としてのあるべき姿だと考えるのです。そうすることが、神ながらの道を歩むということなのです。生まれることも、病気の身体も、障害を持つ身も、老いることも、すべてをあるがままに受け入れるのです。食べたいから食べ、寝たいから眠り、愛したいから愛の行為を成す、知りたいから学び、豊かな暮らしをしたいから働く、自然の恵みをありがたく受け取り、自然のもたらす恐ろしい災害をあるがままの姿として受け入れる、それは生き様であり、根本的な思想でもあります。

 これは究極の楽観主義であり、傍観主義かも知れません。あらゆるモノや事柄をあるがままの姿で素直に受け入れることを、日本人は感性において認めるのです。それで良いのだと心が感じているのです。大きな政変も、戦争の結果も、大災害も、すべてをあるがままに受け入れることが出来るからこそ、心の病を発する事も無く、大きく社会が変わり未来に向かって歩みを続けていかれるのです。よく大災害時の日本人の冷静さに海外から驚嘆の声が上がりますが、あるがままを受け入れる覚悟と意思を持つ限り、当然のことなのです。


 原初の感動でも述べたように、私たちは実にさまざまな自然の振る舞いに心を振り向かせられます。それはほんのとるに足らない些細なことかも知れません。それでも、振り向かずにはいられない。言葉や解釈や説明ではなく、意識して無理にでもなく、ただただふと感性が感じ取ってしまうのです。それこそが、神ノ道なのです。自然に対してだけでは無く、人間のあらゆる振る舞いにおいても、社会のさまざまな出来事でも、感情以前に感性が受け止める「あるがままに」こそ、いかなる知性の産物にも勝る物であることを、神ノ道の信者である私たちは知っているのです。

 宮沢賢治の「雨にも負けず」


 宮沢賢治の有名な詩「雨にもまけず」について、彼が日蓮宗の熱心な信者と言うことから、仏教思想で解釈する人がいますが、あまり賛成出来ません。彼ほど自らの感性に従い、正直に言葉を紡いだ人はいないのでは無いでしょうか。

 ヒデリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ

 公表された作品で無く、死後に手帳のメモ書きから見つかったこの詩。「ヒデリ」では無く、原文にある「ヒドリ」のままが正しいかどうかは別として、ここにあるのは明らかに、「あるがままをあるがままに受け入れる」日本人の精神性の描写です。

 東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ

 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲の束ヲ負ヒ

 ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ

 これこそが、日本人の理想的な在り方、生き様を表現しています。あるがままに生きて、手助けを必要とする人があれば黙って助け、周囲の人々からは馬鹿にされても怒ることも無く、褒められるような見返りも求めず、自分の存在すら気にされる事も無く、『ただただあるがままに』生きている。これこそ、神ノ道の究極の理想像なのです。彼がそれをどこまで自覚していたのか、なぜ手帳にだけ書き残していたのか、疑問はいくらでもありますが、ここでは、彼の感性の豊かさと、彼が日本人として代表的な感性の持ち主である事を、強調しておきましょう。


 蛇足ですが、『法華経』の常不軽菩薩の精神を表しているとの解釈もありますが、この精神それ自体が日本人の感性に合致するから受け入れられているのであって、仏教思想からこの言葉(詩)が紡ぎ出されたというのは、明らかに逆のことでしょう。言わせていただけるならば、思想が先にあってそれに合う言葉を紡ぐことはまずないのです。何らかの言葉にならない思いや感情が、言葉を紡がせるのです。それが詩の本質に思えるのです。

 もっとも、宮沢賢治は、自らの作品「春と修羅」を詩ではなく、『或る心理学的な仕事の仕度に、(中略)ほんの粗硬な心象のスケッチ』(大正14 年(1925 年)2 月9 日の森佐一宛の書簡)と述べているそうです。彼は、文学的な詩というよりも、自然科学的なスケッチとして詩を書いていたと自覚していたわけです。心象スケッチとは、本稿の趣旨で言えば、「感性によって自らの内面に立ち現れてきたもので、未だ知性の介入・介在を受けていないものを表現したもの」という事になるのでしょう。あるがままに感じ取った物を論理的な言葉で表現することは、彼をしても至難の業だったのです。


 さらに手帳の次のページには法華曼荼羅が記されていました。法華曼荼羅は、仏教の中でも神道に親和性がたかい日蓮宗派系ならではのものです。中央に掲げられたお題目(南無妙法蓮華経)で重要なのは、『法』です。つまり、この宇宙の構成図たる曼荼羅において、その中心にある法とは、宇宙の原理であり、存在の根本の理(ことわり)です。それは、神ノ道の神の本質である調和と通じるものがあります。「調和」は後述します。

参考資料
HP 宮沢賢治の世界の心理学的考察 免田賢 2011

 「あるがまま」と知性


 神ノ道や日本の宗教の多くが、知性の産物である科学技術などと鋭く対立しないのも、この「あるがままに」が関係しているのです。ヒトを生み出したのが神であるならば、ヒトに知性を与えたのもまた神でしょう。ならば、人間がその知性をあるがままに使う事を、神が否定したり反対する事などあり得ないでしょう。この感覚が、日本において神道などの宗教が、現代科学と衝突しない理由を生んでいるのだと思います。

 また現在の神道などが、他の宗教をあしざまに言わないで共存を認めるのも、その奥底には、あるがままを受け入れる日本人の精神性があるからなのでしょう。これが、世界におけるさまざまな宗教間の紛争や、宗教と科学の対立などを無くしていく可能性を秘めていることは、理解していただけると思います。

 さらに加えれば、前述のように知性はヒトに与えられた「あるがままのもの」ですから、それを使って人類が進歩したり、高度な科学技術を手に入れることは当然の姿として認められるのです。この、神ノ道によって人間に与えられたあるがままという自由は、人間にとって最も厳しい戒律なのかも知れません。なぜなら、人類がその科学技術を誤って使い滅亡しようとも、それもまたあるがままなのですから。


 人間自らにその判断を委ね自由を与える、その一方で自然の理は人間の思いなどとは無関係に存在し、あるがままに振る舞う。日本人の持つ自由観は、西洋近代の唱えた自由などとは比べものにならない程大きくて複雑な概念なのです。あるがままという本質を背負った「自由」として。