神ノ道

神ながらの道

オン草紙
第一部 第4章
第4章 神を巡るさまざまな言葉や考え方

 殯(もがり)


 以下、地位や立場を表すときは「天皇」、個人を表すときは「天皇陛下」と表記します。

 これまで、日本の神と切っても切れない関係性を有する天皇については、触れないで来ました。というのも、あまりにも特定思想や信条と絡み合ってしまい、どうしても冷静な話題として取り上げる事が困難な状況に、日本社会が未だあるからです。さらにとりとめの無い議論の泥沼に陥ることを避けるためです。しかし、天皇について触れないことが、現代の天皇性への批判や何らかの思惑を有していることを意味していないことだけは、はっきりと述べておかなければ成りません。

 それでも、ここで触れる事にしたのは、平成28年8月8日に、天皇陛下が生前退位を望まれるお考えなどを、国民に対して直接お言葉を述べられたからに他成りません。そのなかで、神ノ道に関係することが、いくつかありました。なかで直接的なお言葉は、「殯(もがり)」です。なじみの薄い言葉ですが、日本人の死生観を語る上では重要なものです。複雑な歴史を持つ概念ですので、少し長くなりますが、取り上げてみることにします。


 殯(もがり)の意味


 『日本古代の葬制。人の死後,本格的に埋葬するまでの間,遺体をひつぎに納めて喪屋内に安置し,あるいは仮埋葬して,近親の者が諸儀礼を尽くして幽魂を慰める習俗。その目的を,死者のよみがえりに求める説もある。殯の萌芽形態は,《魏志倭人伝》にすでに見えており,古代日本のみならず,中国南部から中部インド,メラネシア,ポリネシアなどに広く分布する複葬形式の一つと認められる。殯についてとくに注目されるのは,大王の没後,殯宮(もがりのみや)が新たに造営されて,殯宮の内や殯宮を取り囲む空間(殯庭(もがりのにわ))で,各種の諸儀礼が行われたことである。』(世界大百科事典 第2版)

 『殯(もがり)とは、日本の古代に行われていた葬儀儀礼で、死者を本葬するまでのかなり長い期間、棺に遺体を仮安置し、別れを惜しみ、死者の霊魂を畏れ、かつ慰め、死者の復活を願いつつも遺体の腐敗・白骨化などの物理的変化を確認することにより、死者の最終的な「死」を確認すること。』(ウィキペディア)

 他にもいくつかの解説がありますが、重要な事は、どれも殯(もがり)の本質についての解説はほとんど無いと言うことです。世界中に見られる風俗でありながら、あまりにも古い時代の人間の心に関わる事ですから無理も無いかもしれません。しかし、ここには神ノ道が、そして人類の死生観が現れているように思えます。

 殯が話題になるとき、特に学問や研究においては、殯宮(もがりのみや)や現在も残る風習や墓について取り上げられることがほとんどでしょう。ですが、ここでは殯が発生した時代の人々の気持ちになって考えて見たいのです。


 天皇陛下のお言葉


 まず、天皇陛下のお言葉について触れておきましょう。全文が、宮内庁から公開されていますので、ご覧になった方も多いでしょう。お言葉に「殯(もがり)」という一般には聞き慣れない単語があったために、ネット検索でさっそく上位になりました。余談ですが、英文でも発表されていますが、「殯」などを通り一遍の単語に変えています。もう少し、自分の国の文化を正しく、きちんと海外に向けて発信する姿勢がとれないものかと残念です。

 天皇陛下のお考えを忖度する気はありませんが、殯という単語を使われたのは、単に天皇崩御時の葬送儀礼と新しい天皇としてのさまざまな行事が重なることは、非常に負荷が高いと云うことなのか、殯という儀礼そのものが負担である事をおっしゃりたかったのか、両方なのかも知れません。ただ、天皇陛下が以前から、火葬を望まれておられたことは、殯の儀式の簡素化も望まれてのご発言なのかも知れません。

 情報公開が進んだ現在でも、宮中での神事・祭祀については、その中身をうかがい知る事は出来ません。とくに殯に関わる一連の儀式は、どの程度古代以前の習俗を維持した物であるのか、全くわかりません。

 今の日本社会の現状では、政教分離原理主義者が騒ぎすぎるために、宮中祭祀について自由に語れるような環境にはありません。ですが、もしも殯の儀式が後述するような神ノ道に沿うものであれば続けるべきでしょうし、本葬までの仮葬儀の色合いが濃いのであれば、縮小されてしかるべきではないかと思います。それにしても肝心の儀式の内容が、現代人に合うものであるかどうかが不明なので、結局何も言えないのです。

 日本においては、土葬が一般的であり、火葬は仏教以降に導入されたものです。天皇家でも、その時に火葬が許されるようになりましたが、神道は土葬をよしとするために火葬反対論は、ずっと下った明治に至るも起きています。ここに神道と仏教で争いの元になった、亡骸を含めた死生観の違いがあるのだろうと思います。

 一般民衆における殯は、火葬の普及とともに姿を消していったと云われます。天皇陛下のご希望通りに、天皇の火葬が復活すれば、宗教史や葬列史においては、ひとつの時代の変革となるのでしょう。それでも、殯に込められていた古代人の思いは、今もこれからも日本人の精神の中で生き続けていくのだと思います。


 殯(もがり)の原初の形態とは



 葬制史の上では、風葬から埋葬へ移行する時点に発生したと推定されているそうですが、そうだとすれば、殯は相当に古い時代の死生観を表していることになります。形を変えたりして、一部とは云いながらもそれが現在に到るまで続いていることは、いかに重要な考え方、あるいは感性が含まれていたかを現しています。

 棺を用いるかどうかは別としても、殯の原初の形態とは、亡骸を土の上にそのまま放置しておき、変化していく様を確認するものです。死んだ人間の肉体は、やがて腐り、ウジがわき、崩れてやがては白骨と成ります。その変化の様子をきちんと見届けていたことは、イザナギがイザナミを追って黄泉の国にいって見たものとして、神話にも表現されています。当時の人々にとっては、かなり普通の事だったのでは無いでしょうか。古代あるいはそれ以前の日本人は、現代人ほど死骸を恐れなかったようです。亡骸にも、「あるがまま」の「無常性」を冷静に見いだしていたのかも知れません。

 ところで、死んで白骨化するのにかかる期間はどれほどなのでしょうか。季節や状況によってかなりの差があるようです。
 地上では、夏で7〜10日、冬で数ヶ月。土中にあっては3〜5年。虫などがいれば、早ければ1週間。天皇陛下のお言葉に依れば、殯の儀礼は2ヶ月に及ぶとのことでした。日本書紀には、欽明天皇の殯が4ヶ月間おこなわれたことが記されています。


 殯の本質と神ノ道



 いかに「あるがまま」を尊重するとは言え、死んだ人間の肉体は腐り、ウジがわき、崩れてやがて白骨になります。白骨化していく姿を見続けることは、いかに目的があったとしても、不快であり、耐えがたい嫌悪感をもよおすのは現代人だけでは無いでしょう。とするならば、そこまでしてなぜ行ったのか、ここが肝心な所です。

 人間にとっての無常性(それは永遠性でも)とは、言うまでも無く、生死の繰り返しです。人が誕生するまでには10ヶ月もかかり、なおかつ縄文などの昔では、無事に生まれる確率も低かったでしょう。とすれば、反対側の死に際しても、完全なる死に至るまでの期間があり、それを見届けることが、完全なる死の証なのでは無いでしょうか。死産があるように、魂の離脱もまた絶対的、完全な事では無いと考えたとしても、不思議ではありません。死に不完全なものがあると考えるからこそ、幽霊や悪霊が生まれるのです。死に完全なるものと不完全なるものがあると言う、このような見方はあまり一般的では無いようです。自分の中に埋もれた縄文のDNAが、そう教えてくれました。


 完全なる死



 それでは、この完全なる死とは何でしょうか。肉体の白骨化は、ひとつの目安でありそれが目的とは思えません。生きているという事は、人の肉体に魂が宿っている状態を意味します。死とは、その肉体の束縛から魂が自由になる事でしょう。完全なる死とは、それを見届けることなのでは無いでしょうか。神ノ道によれば、人もまた無常なる存在で、内にタマを有しています。肉体の死によって、魂が肉体を抜け出て自然の理(無常の繰り返し)に入れて、初めて本当に死んだ事になります。魂の永遠性は、無常性の自然の理に入れてこそ、達成されるのです。

 魂が滅んだ肉体から悪霊と化すことも無く無事に離れ、目指すべきあの世にたどり着くと言う考えは、いまなお、さまざまな宗教の教えや儀式や習俗として生き続けています。殺された人や、事故に遭って死んだ人はなかなか成仏できないなどと簡単に口にしますが、その根本には、このような考え方、感じ方があるからでしょう。未成仏霊や悪霊、地縛霊等々、みな不完全な死の結果なのでしょう。現代人は、死を遠ざけたために、完全なる死もまた、忘れてしまっているのです。
 亡くなった人が怨霊とならないように霊魂を慰め復活しないことを願う、一方で霊魂のあの世への帰還が無事成されることを祈る。それを朽ちていく亡骸の変化の中で確認していたのが、原初の殯でしょう。


 執着しないこと



 遺体を放置してなすがままにしておくことは、薄情なのではなく、むしろ死んだ人間に対する思いやりなのでは無いでしょうか。人は執着をなかなか捨てきれません。ならば、死んだ後も魂は、その抜け殻である肉体、すなわち生前への執着を捨てきることはなかなかに難しいでしょう。そこで、朽ち果てていく己の肉体を見ることで、この世への執着を捨てさせ、無事に魂があの世へと向かえるように仕向けたとも考えられます。

 墳墓が作られるような高貴な人間においては、仮の埋葬でもあります。仮だからこそ、魂が悪さをしたりあるいは迷ったりしないように、さまざまな鎮魂の儀礼が必要となるのでしょう。


 あるがまま



 あるがままだけであるのなら、風葬・鳥葬や深い山の谷底への放置で済みます。遺体の変化を見たいだけなら、一人見れば十分です。結局、魂の確実な肉体からの離脱を見守ることが、根本だったのでしょう。特にはるか昔は、人間がその寿命を全うして死ぬことの方がまれであり、ならばなおさら無念さや思いが残っているでしょう。

 もしかしたら魂が戻ってくるかも知れないと考えただけで、殯を続けられるとは思えません。再生するためにはまず完全に死を迎えねば成らないのです。また、死んだ人の亡骸は、穢れであると後にはっきりと宣言しています。にもかかわらず、朝廷はなぜ亡骸と長い期間対面する殯を続けたのでしょうか。穢れを持つ死骸とは別に、貴い敬うべき魂がそこにあるからに他成りません。
 古墳時代の墳墓では殯が行われた記録などが残ります。墳墓を造営できるほどの身分の高い人や貴族などに、殯が色濃く残り続けたのは、高貴な魂への敬意だったのでしょうか。そうでなければ、未だに天皇家にこのような儀式が息づくことを説明できません。


 完全な死への経過



 人の死後、仏教での49日は、特別な意味を持ちます。死んだ人の魂がこの世を離れて、あの世に向かう日とされています。納骨をこの日に行うのもそのためでしょう。神道での50日祭も同様に重要な日です。死んだ人の魂がこの日に晴れて神となるのです。これらには、殯に見て取れる完全なる死への過程が見えています。誕生が、魂の肉体への封入であれば、死は魂の肉体からの解放です。肉体だけではなく、同時に現世、この世からの離脱です。葬儀、葬式という形で今なお世界中で執り行われるのは、これが人間にとっての根源的な出来事だからなのでしょう。


 火葬と殯


 殯の儀式は大化の改新以降に出された薄葬令によって、葬儀の簡素化や墳墓の小型化が進められた結果、仏教とともに日本に伝わったと云われる火葬の普及もあり、急速に衰退していきますが、一部の高貴な人たちには残り続けます。天皇家ではそれがいまもなお生き続けているのです。一般人でも、火葬する前に遺体と対面したり、通夜を行うのも、殯につながる習俗なのでしょう。


 殯の持つ両価性


 日本人の気質において、日本人の気質の特徴の一つとして両価性があり、その結果日本文化は両価性文化の特徴を持つことを指摘しました。両価性とは、簡単に言えば、本来は異なる対極にあるものが、何ら矛盾を起こすことなく共存しているという意味です。すでに神ノ道の基本的な概念でも述べましたが、この両価性は、あらゆるところに見ることが出来ます。殯もまた例外ではないのです。

 殯の儀式そのものが、そもそも二重の両価性を持ちます。ひとつは肉体の生と死。もう一つは、腐敗する亡骸の持つ不浄(穢れ)と、魂の持つ清浄です。このことを理解できないがために、両者あるいは4つの事柄をひとつに結びつける理論を無理やりに考え出そうとしてしまうのです。
 たとえば、神の祭りでは直会(なおらい)と言ってお神酒を飲み、葬式では返杯と合唱してお酒を飲みます。これをひとつの理論で無理に結びつけたところで、さして意味はないでしょう。それよりも、日本人の感性において、これらのことが矛盾しないのだという事の方が、重要なのです。

 生と死の連続性の狭間にあり、かつ完全なる死と不完全なる死とのはざまにある殯は、複雑で微妙なものになるのも当然でしょう。

 日本では臓器移植がなかなか広がりません。日本人は、知性で脳死を人の死と捉えても、感性ではなかなか素直に認められないのです。ここにも完全な死を求める心が、いまだに日本人の精神の奥底に眠っているからではないでしょうか。




 事柄の性格上、魂とか、あの世とか、第二部で述べるべき内容なのかも知れません。それでも、この程度ならば、抵抗なく読んでいただける範囲と考え、また天皇陛下のお言葉というきっかけもあり、第一部に含めることにしました。

参考資料

HP 日本人の気質 第7章 日本社会の特徴や問題の裏にある気質 ー 両価性文化
HP 宮内庁 天皇陛下のお言葉
HP 穢れと結界に関する一考察 伊藤信博 2002
HP 日本人の他界観の構造 大東俊一
日本人の死生観 吉野 裕子 人文書院 1995
柳田国男全集〈13〉ちくま文庫 1990
神道用語の基礎知識 鎌田東二編 1999