パチンコ両替や消費税に見る気質②

 前回、パチンコの両替手数料の話をした。目の前でもらえるはずの現金から、直接手数料を差し引くのはいかにも日本人の気質に合わない。それより景品への交換の時混ぜて取ってしまった方が、日本人の気質に合っていると。これが、給与からの天引きと、目の前で毎回取られる消費税の違いと重なるとも。

 そんな消費税であるが、2017年からの増税時に、軽減税率を導入するか、するとしてその範囲はどこまでかで、自民党と公明党、官邸と自民党、財務官僚派と反財務官僚派が入り乱れて、見苦しい泥仕合を展開した。元々8%から10%のわずか2%の減税についての話である。根本的な議論を目先の小さな議論にすり替えるのは、官僚の得意とすることであり、メディアも国民もまんまとその猿芝居にひっかっかったことになる。これも、生真面目だが目の前の事にとらわれやすい集団農耕型気質のなせる業だろう。

 こうして気質と照らして考えると、社会のあり方も税のあり方もみな民族の気質(国民性)に関係していることがわかってくる。よく引き合いに出される海外の例と合わせてみていこう。


 消費税というのは付加価値税とも言われ、導入している国によってその内容は実に様々である。全体像もみないで、税率だけを取り上げるのはあまりにもゆがんだ、特定の方向に持って行こうとする議論である。

 アメリカでは、消費税(付加価値税)と同じ税はない。似たものに各週毎に独自の売上税などがあるが、すべての売り上げに網を掛ける消費税とは根本的に考え方が異なる。消費税を導入しないのも、アメリカでは間接税より直接税を重視する思想があるためだという。小難しい思想を説明する能力も意図もないが、要するにアメリカのフロンテア精神や自由な競争に基づき成長していくという考え方に合わないというのだ。まさに国民性が違うのだろう。

 次にアメリカよりも一人当たりGDPが高く、模範的な国として引き合いに出される北欧の国々である。基本的には高福祉高負担の社会。だが、それを維持するために国民が様々な制約下で暮らしていることは、あまり取り上げられない。「制約」と述べたが、彼らはそう感じていないのだろう。むしろ当然のこととして受け入れられている。 それこそが気質の違いであろう。

 北欧は消費税率は25%と高いが、教育は無料、医療もほとんど無料、老後も年金で充分に食べていけるという。そのために国民の満足度が非常に高い。それが高い税金でも不満を持たない最大の理由であろう。現在の日本では国民の満足度がとても低い。日本の戦後政治、とりわけバブル崩壊後の経済政策に大きな誤りがあったと言わざるを得ないだろう。だが、それをさせたのもまたその時の国民である。アメリカ流のやりかたの一部だけを取り入れ、一方で北欧の高負担だけ取り入れる。これでは社会が混乱し疲弊するのも当然である。集団農耕型気質の人間が長く社会の実権を握り続けてきた弊害といえる。話を消費税にだけ戻そう。

 デンマークでは自動車の消費税が180%の高い税率だという(200万の車なら560万に)。なぜそんな事になっているのかと言えば、自動車産業が無く、またガソリンの原油も輸入に頼っているので、国富が海外に出て行かないようにするためだそうである。高福祉を実現するには国が豊かでなければ出来ない、外貨流出をさせないために、寒い北欧のコペンハーゲンでは1/3もの人が自転車通勤をしている。はたして、日本人が、こういう政策を受け入れるであろうか?
 さらに海外のブランド品の高級店はほとんど見かけない。高い輸入品を買わせないように、いや買わないのだろう。

 こういうことは他でも見られるようである。エネルギーで言えば、デンマークは風力発電、スウェーデンでは原子力発電が4割というのも、エネルギーを輸入しない、国富を流出させないためである。こういう総合的な整合性のとれた政策が、戦後の日本では全く見られなくなってしまった。個々の事柄の狭い範囲の中で、平等性とか利益ばかりを追求する集団農耕型の悪い部分が大きくなりすぎているのだろう。気質は悪い方向が強く出ると、どうにもならない混乱した社会を生むことになる。

 北欧の国々はきれいで落ち着いた雰囲気を持ち、人々も穏やかである。だが、その重苦しいようなどんよりとした空模様は、長くいるとだんだん気分が沈みがちになって、日本やカリフォルニアの青い空が恋しくなる。その環境が、足るを知る、高望みをしないという気質を生み出しているのかも知れない。日本人にも根底に同様の気質はあるが、同時に最高を求め、より高見をめざすことを悪いことだとは思わない心も同時に持ち合わせている。日本は社会主義国的であるとよく言われるのだが、北欧の方がはるかにその傾向は強いだろう。それがかたや格差の少ない社会、かたやより格差の広がる社会になってしまった現在。やはり気質の違いが、異なる政策をうみ、日本ではそれが全くうまくいっていないという事なのであろうか。


 どうしても、話が消費税からずれてしまう。最後に日本人の気質から見て、消費税が合わないことをもう一度とりあげておこう。わずか数%の消費税率を上げただけでも、消費は落ち込みそれが1年近くも続いてしまう。むろん、所得が増えないところでやるのだから当然なのだが、それだけではない。
 パチンコの例で示したように、集団農耕型気質では全体よりもいま目の前にある個々の事柄の範囲で物事を考える傾向がある。消費が活性化した方が結局全体も良くなると考えるより、目の前で毎回税金を取られることに対する抵抗の方がはるかに大きいのだ。天引きされた場合には、入ってくる額が少なくても仕方が無いと考えるが、一度受け取って、そこから自分でお金を出すことは損した気分になるのだろう。そんな気分を抑えるには、相当大きな収入があると感じなくては成らないだろうから、高度成長期でも無ければ難しい。結局、消費税をデフレ下で導入するなど、気質の上からも狂気の沙汰の政策だと言えよう。それでもデフレだからこそ、官僚が消費税にこだわる理由がある。財政再建などと言うきれい事では無い理由が。(ブログ)


 いずれにせよ、税金というおよそ無関係に見えるものにも、気質や国民性はその影を落としている。そのことを政治家は、肝に銘じるべきであろう。

平成27年12月16日(水)

 

2015年12月16日|気質のカテゴリー:外伝