飛び級:飛び学科と飛び学年

 戦前までは地方で優秀な生徒が奨学金で帝国大学に進学するというような、学力のある人材を評価して取り立てる道がありました。しかし戦後、ある意味で歪んだ平等主義が教育にもはびこり、学才のある子供をとりたてるどころか、おしなべて潰すような仕組みと風潮になってしまいました。その結果、いわゆる飛び級などは、ほとんど見られなくなってしまったのです。

 もう一度、この生徒の学問的才能を認めて、それを一層伸ばしていく教育が重要です。そのために必要なのが、飛び級のシステムです。この飛び級にも、大きく二種類のものが考えられます。一つは特定の学科・科目によるとびきゅうであり、もう一つは総合的な学力による学年の飛び級です。

 たとえば、算数が得意な子は、何学年も上の生徒と同じクラスで授業を受けられるようにする必要があります。そこで、今のような学校という区分に縛られていては、柔軟な授業の受講すら難しくなってしまいます。ですから、がっっこうにかかわりなく、生徒個人がそれぞれの学年に属する必要があるわけです。(学校教育制度の考え方:633制に代えて)

 優秀な生徒と言っても、特定の科目だけが出来ること、学年全体を飛び級できる子に分かれますから、生徒別に異なる授業時間割が必要になります。全盛との様々な条件で時間割が作られなければならないのですから、当然機械化されたシステムが必要となります。クラスごとの時間割ではなく、これからは個人別の時間表になるわけです。

学習内容の基礎編と応用編の分離

 この飛び級を柔軟に実行するためには、年次制のほかにもいくつかの要件が必要です。一つが、授業内容とその評価です。もう一つが生徒ごとに異なる補習授業です。

 現在、学習指導要領などで学年ごとに教える教科内容が決まっていますが、ここに新しい考え方を入れ無くてはなりません。それが、学年ごとの学習内容の基礎内容と応用内容に区分する考え方です。いまは、すべての生徒にすべての内容を教え込もうとしています。そのために年々教える内容がふくれあがり、教師・生徒ともに大変な労力となっています。いつまでこの増え続けるだけの教科を続けるのでしょうか。無論、一時行われたようなゆとり教育で、内容を減らせというのではありません。各学年の教科内容を、どうしても理解や知識を身につけて欲しい部分と、それ以外に分けるのです。

 この基礎項目で基準点をとれればその学年は終了したとみるべきなのです。つまり進級の範囲はこの範囲内で行うと言うことです。これを今で言えば、2学期までに終えるようにします。そのあと、3学期は、それらの応用編とか寄り高度な部分を教えることにします。


 この応用編まで含めた試験での点数と、上の学年の基礎編の試験の結果によって、飛び級をみとめるようにするわけです。たとえば、ある小4(4年度生)が算数で5年の基礎試験を合格できたならば、算数は5年生と一緒のクラスで授業を受ける飛び学科になれるわけです。生徒一人一人の学力は科目によって異なることは普通のことです。学年全体の飛び級だけではなく、特定科目だけの飛び級が重要なのです。特に数学だけ大学生と同じレベルの子供はよくいますから、こういう子供の才能を大事に育てる必要があります。

 さらに、具体的な試験の方法やシステムなどについては、「学年試験の内容」と「個別補習授業」で述べることにします。


 多くの子供たちが、様々な飛び級で学べるようにするには、学校それ自体の考え方も変わらなければ対応が出来ません。クラス単位、学校単位の学習指導の考え方は通用しません。例えば何人もの小学生が、特定科目だけ中学校で授業を受けるのですから。物理的な学校の位置さえ問題になるのです。

 これが広まれば、すべての生徒が同じ教室にいなくてはならないなどと言うことも、なくならざるを得なくなります。学校教育そのものが根本的に変わるのです。


令和3年1月11日(月)

 

2021年01月11日|烈風飛檄のカテゴリー:edu