平成27年10月5日(月)
「18歳成人」反対の裏にあるものは?
読売新聞社の「成人年齢の引き下げについて」全国世論調査結果。
『成人年齢を18歳に引き下げることには「反対」が53%で、「賛成」の46%をやや上回った。
反対する理由(複数回答)は「18歳に引き下げても、大人としての自覚を持つと思えないから」の62%がトップで、「経済的に自立していない人が多いから」56%、「精神的に未熟だから」43%などの順だった。
「反対」は20歳代で66%、30歳代で59%、40歳代でも57%となり、若者と子育て世代で高かった。早大法学部の棚村政行教授(民法)は「若者は社会的、経済的に自立していないと感じる人が多く、18、19歳に大人としての責任は期待できないのだろう。子供への関心が高い子育て世代は、まだ保護の必要があると感じているのではないか」と語る。』(
部分抜粋)
どうにも理解不能な事がある。選挙年齢はすでに18歳に引き下げられ、日本という国家や日本人の命運を託す国政選挙に参加する事が出来るようになったのである。そんな重大な判断を下す事が可能な人間が子供だというのであろうか?それとも、選挙など所詮お遊びだから、子供でもかまわないとででも言うのであろうか?
政治家が誰も反対せずに、こんなゆがんだ法案を通してしまった。何か裏があるのではと勘ぐりたくも成ろう!
もちろん、選挙参加年齢の引き下げに反対しているのでは無い。選挙権だけの引き下げに異常さを感じないどころか、他の事とは別で良いのだと発言する多くの専門家、知識人なる人々の身勝手で狭窄的な考え方に、一種の恐ろしさを感じてしまうのである。世論調査の結果を見ても、そこには知性の劣化が見て取れる。
とても細かく取り上げる気がしないので、項目だけ羅列してみたい。少々投げやりだが。
・何もしないでいても歳をとれば黙って大人になるという「年齢原理主義」が見て取れる。
・昔は寿命が短いから、成人になるのも早かったとでも言うのであろうか?寿命で大人になる歳が変わるのか?
・いくつになっても精神的におとなになれない人間の増加が問題なので、問題をすり替えている。
・いつまでも子離れできない精神的に未熟な親こそどうにかすべきなのだ。
・いまの日本社会は大人になるために必要な人格教育や社会教育を軽視している。
・見え隠れする「甘えの構造」。子供の方が有利と考える若者と、若者を子供扱いしたい年長者たち。
・18歳で持てない自覚がなぜ20歳だと持てると言えるのか?
・おとなになれない子供に選挙権を与えることの矛盾を無視している。これは「選挙」の軽視であろう。
・18歳19歳の人間には、酒・タバコは害であるが、20歳に成れば問題なくなるというようなデータを見たことが無い。個人的には、全面禁煙社会派、酒は年齢では無く社会人になってから個人の意志による選択に任すべきだという考え方だが。ひとつ反対だから全部反対はあり得ないだろう。
いやな感じがして成らないのは、18歳成人反対の裏に既得権擁護が隠れているのでは無いかと思えてしまうからである。さらにいえば、問題があればそれを正すことこそ本当の対応であろうに、問題があるからそれに合わせて社会をゆがめることを認めてしまう無知さが恐ろしいのである。
なによりも、いまの日本社会では大人になる教育をどこも行っていない。本来は、家庭、学校そして地域社会が子供をおとなに育てる場なのだが、あまりにもそれがないがしろにされている。溺愛して子離れできないのも、異性との快楽におぼれて子供を虐待するのも親の単なる自己中であり、子供の人権尊重を隠れ蓑に教育を放棄するか、ひたすら上から押さえつけるために子供のままにしておく、両極端な教育も目立つ。
まさに問題の本質は社会にあり年齢ではないのだ。その本質の議論を全く行わない「18歳成人反対」擁護論には、ため息しか出てこない。
烈風飛檄(日本改造私案)では、少し古いが教育改革の一部として「大人になる教育」の提案をしているので参照されたい。【
成人になる教育−1,
同−2,
同−3】