人間には、その人生における転機とか、何かに気づいた時とか、いうなればその人の原点とでも呼べるような時が、誰にでもあるのかもしれない。 本を読み、人と接して、ある言葉を聞いて、作品を見てなど多くの場合が考えられる。私自身には、そのような事柄は特に思いつかないのだが、たぶんこれこそが、私の精神の原点なのではないかという体験が、ひとつだけある。それも、かなり幼いころの体験である。
ここで「精神」と言うのは、この体験が、人として生きていくうえで、『人間社会には不条理があるのだと、いや社会そのものがまさに不条理なのだ』という思いが、私のものの見方の、すべての基礎になっている様に感じられるからである。
東京で3代目、いわゆる江戸っ子として下町に生まれた私は、3歳のとき父方の実家がある新宿に移り住んだ。まだ新宿は東京でも外れの場所という感覚が残っていたかもしれない頃である。
その体験は、小学校2年生のころだと思う。敗戦からすでに10年以上が過ぎてはいても、まだ貧しさはそこら中に散らばっていた。原っぱのままの空き地はいたるところにあり、舗装された道を一歩はいれば、土ぼこりの舞うでこぼこ道が続いていた。
小学校1-2年のころ、学校から帰ってくると、時々何人かであることをやっていたのを思い出す。いわばバイトである。ひもの先に磁石をつけて、それを地面におき、引きずりながら歩きまわった。当時の道や空き地には多くの釘などが落ちていた。それらを拾い集めていたのだ。小さなバケツいっぱいにたまると、業者に持っていった。10円玉1枚を交換にもらえた。その10円玉をにぎりしめて、パン屋さんに行くと、それがコッペパン一つに化けた。なにもついていない、たった一つのコッペパンをみんなで分けて食べた。そのおいしさは、大人になってから様々な高級料理を口にした後も、やっぱりあのおいしさにはかなわないな、という気持ちは決して失われなかった。
お涙ちょうだいの飢えや貧しさという言葉では片付けられない、何かがそこにはあった。人間同士の結びつきが、確かにあったのだろう。当時は無論考えてもいなかったのだが、いまにしておもえば、実に多くのことがこの話には潜んでいる。
一緒に歩いた仲間に、ある少女がいた。その子は、「バタヤの子」と言われて、今で言ういじめにあっていたようである。元来鈍感なうえに、正義感だけはやたらと強かった私は、周囲など気にすることもなく、その子と一緒に磁石を引きずりながら歩いていた。貧しさでは負けていなかった我が家だが、それでも、釘集めなど私が考え及ぶはずもなく、いま思えば、彼女がこのバイトを教えてくれたのだろう。そしてそれを引き取ってくれたのも、実は彼女の家だったのかもしれない。鉄くずがいくら高くても、ばけつで10円はしなかったのではないだろうか。たまにパン店も、おまけでマーガリンを塗ってくれることがあった。生活は貧しくとも、人々の心はまだ温かだったようである。
蛇足だが、「バタヤ」というのは今で言う差別用語である。特定の職業を意味しているのだが、今これに当たる職業が、辞書には載っているが、少しニュアンスや実体が違うように思われる。いづれにせよ、人類の差別の歴史では職業によるものが多い。「3Kの仕事」と言葉をかえても、そこには、どこか差別的な雰囲気がかもし出されているのも、決して偶然ではあるまい。職業に貴賎はないということこそ、教育が教えるべき大切な項目であろう。
さて、ここまで長々と書いてきたのだが、実はこの体験が私の精神の原点の話ではないのだ。このような社会環境、時代背景の中での話しで有ることを、少しでもわかってもらいたかっただけなのだ。
いま考えてみると、私たちの小学校時代は、なぜか非常に転勤が多かった。去り行く友、新しく加わりすぐまた去っていく級友。サラリーマン社会が拡大・発展していく中で、親の転勤が多かったのかもしれない。あるいは、自分史だけの話なのかもしれないが。
その男の子もまた、新しく来た転校生であった。お互い気が合ったのだろう。
小学校からの帰り道、家によってランドセルを放り出すと、そのまま外で待つ彼と連れ立って歩いていった。中央通りと名づけられた大通りとは言っても、片側1車線の道はさして広くもない。その道を少し行った先を右に折れると、そのまま彼の家へと進んだ。50mも行かないあたりの左手に、原っぱのような空き地が見えてきた。新宿区とは言いながら、まだあちらこちらに戦後の名残ともいうべき空き地が点在し、中には防空壕の跡と思える穴すら残っていた。子供たちは、そこを格好の探検場所にしていたが、実際、中からしゃれこうべが見つかったこともある。
さして広くもない空き地は、雑草が生い茂るままになっていた。その草に隠れるようにして、バラックの家が見えていた。いや、家というよりも、屋根だけを家から下ろして地面に置いた。そんな感じのあばら家であった。自分もそうであったので、貧乏などさして驚くものではなかったが、それでも少しどきどきしたのを覚えている。そんな私を、彼は家の中へと誘(いざな)った。保険の外交員をしているという母との二人暮らしの家には、無論誰もいなかった。
彼はランドセルをそのあたりに置くと、いきなり元気な声でこう言った。
「おなかがすいた。ちょっと待ってて」
屈託のない笑顔で、彼は茶碗と箸を持ち出してきた。
「食べる?」と聞かれたような気もするが、よく覚えていない。
いずれにせよ食の細い虚弱な私は、遠慮したのだろう。
とにかく彼は、なべだか釜だかから、冷たく固まったご飯を茶碗によそった。そして、棚から出してきたものを、いきなりその上にかけた。ソースだった。彼は、それを急いで小さな口にかき込み始めた。
一刻も早く小腹を満たして私と遊ぼうと、無心でお茶碗の中のものを口に運んでいる少年を見ながら、私は、その後の人生でも決して味わうことのない、言葉にならない感情を抱いていた。
『なぜ?どうしてソースなの?どうして、そんなに無心なの?いや、違う。何かが違う。何かが変だ!おかしいのだ』
自分自身でもまったく理解できない、自分の心の奥底に広がる、果てしのない動揺であった。
おかずがなければ、しょうゆでもかけてご飯を食べる、などということはさして珍しいことではなかった時代である。それがしょうゆではなくソースだったという驚きは、子供心に、その違いだけが心象風景の象徴として、記憶に刻まれてしまったのだろう。むろん、しょうゆとかソースとかいう問題などではないのだが。
結局、その後彼となにをして遊んだのか、どうやって別れたのか、私の記憶には残されていない。その夜、脚を縮めて寝る狭い布団のなかで、身体をさらに硬くしながら、昼間の出来事が脳裏から離れなかった。そして、自然と涙があふれてとまらなかった。
1年にも満たない短いつきあいで、彼はまた転校して行った。かろうじて屋根の形をしていたバラックはつぶされて、草だけの空き地が残った。その空き地は、それからずいぶんと長い年月、そのままの状態であった。
この体験は、私にとって相当な衝撃であったらしく、その日家に帰ってから、「ソース飯」の一件を母親に話していた。その後も何年にもわたって、ことあるごとに話をしていたようである。中学くらいになって、大人の精神が固まってきたとき、今度は逆に母からその話を聞かされた。ほんとによく繰り返し話をしていたよと。それが、自身の大人の記憶のなかにも、忘れずに固定され続けることになった理由かもしれない。
正直に言えば、このときに私が受けた衝撃がどんなものだったのか、実は自分でも良くわかってはいない。衝撃の大きさばかりが記憶にあり、いったい何にあれほど心を動かされたのか。後年、心理学を志したいと思ったのも、これがきっかけだったのかもしれない。それでも、いくつかの事は言えるであろうか。
貧しくとも良い。だが、それが世の不条理であってはならない。
なんで、世の中はかくも不条理がまかり通るのだ。
友よ、なぜそんなに君は無心でいられるのか。なぜそんなに清らかなのだ。
もっと怒れ、世を呪え、社会の差別と闘え。
自分はどうなのだ。いったいなにができるというのか。なにをしているのだ。
後付けかもしれない。いやきっとそうなのだろう。ただ、確かにあの時、人間の住む社会には大きな不条理が転がっている。それに対する深い悲しみと怒りとがない交ぜになった感情。加えて、幼き友の無心な純真さ、無垢な心の清らかさに、胸打たれている自分がそこにいる。それだけは、真実であったと思えるのだ。
同時に、どうしても言っておきたいのが、このときの感情には同情心が一切なかったということである。 後に同じ心理学を学ぶクラスメートと、意気投合したことがあった。「同情は、優越の裏返しにすぎない」と。いまでも、そう信じている部分がある。自分が相手との立場の違いをまったく感じていないなら、そこには同情心などという、安っぽい感情は起きないのだと。
他人に対しても、社会に対しても、あらゆるものに醒めた、冷たいまなざしで見つめている自分がいることはわかっていた。そんな私を生みだした体験のひとつこそ、あの幼い日の出来事であったのかもしれない。
平成24年(2012)05月
コラム・エッセー一覧
迷路図で脳力発揮
人生は迷路かな① 迷路図で脳力発揮
やたらと気が多くて,おまけにあきっぽい性格である。ブログでもいろいろなシリーズを始めるのだが、まともに続いた例しがない。で、またまた訳の分からない事を思いついてしまった。
今回のテーマは、「人生は迷路図かな」。自分でも内容などはよく分からない。ただ思いついただけなのだから。ま、一応迷路のようにあちこちにぶつかって生きてきた、自分の人生を肴に言葉遊びでもしようという程度である。テーマはなくて、ただ迷路図のようにつながっている,つまりしりとりのようにして話がつながっていけば面白いかなと。何とも私らしい!つまるところ、我が人生は迷路のような物だったということだ。
初回は、この「迷路図」から始めて見たい。迷路図は、多くの方が遊んだ記憶をお持ちであろうと思う。書かれた図上の迷路をたどって、早く出口に到達する遊びである。
迷路図には、思い出すことがある。それは、学生の頃、某有名大学が知能検査だかなんだかを作っていたとき、その一部として迷路図を作り上げた。それを、試しに我々の大学の学生にやらせたのだった。で、その時虫の居所が悪かった私は、入り口から出口まで一気にペンを走らせて、制限時間内に迷路を抜けてしまったのである。ちなみに相当複雑な迷路図で、限られた短い時間内に解答できることを想定していなかったようである。
開発元の大学と違って、なにせ知能検査を受けるほど、おつむの良くないぼんくら学生の集まりである。まさか解けるとは思わなかったのであろうか。作成した側はショックを受けていたようで、後日談では、結局、新しい知能検査を作ることを止めたとか。
虫の居所が悪かったと書いたが、実は、身体の調子が悪かったのである。前の晩、寝違えたらしくて、朝起きたら首が回らなかったのだ。金がなくて首がまわらないのには慣れていたが、この手のは結構痛くてつらい。
そんな状況で迷路図解きに挑んだのであった。そうしたら、なぜだか自分でも分からないが、すらすらと解けてしまった。そんな馬鹿な、と言われるだろう。
自身、馬鹿な話だと思うのだが、火事場のバカ力ではないけど、思わぬときに思わぬ能力が発揮されることは、ままあるように思う。ここまで、自信を持って言うのには理由がある。その後もう一度、同じような体験をしてしまったからである。
就職活動をしていたとき、自分が希望していたSE(コンピュータのシステムエンジニア)採用においては、筆記試験に性格診断が多く行われていた。とあるコンピュータ専門商社(いまではこんな業種もないだろうな)を受験したとき、なぜかまた前の晩に寝違えて、朝から首が回らず頭がズキズキしていた。そんな状態で望んだ試験。性格判断の中で、簡単な計算式が並んでいるテストがあった。当然、各行の回答時間が非常に短くて、全ては解けないようになっていた。だが、なんとしたことか、私は全てを回答してしまったのだ。答えが合っていたかどうかは知らないけど!そのまま合格して面接に進めたのだから、全てでたらめだったわけでもないだろう。
皆さんは、こんな経験ありませんか?
別に、こんな話は信じてもらえなくて構わないのだが、人間の脳は時に思いもかけない能力を発揮することは、最近の脳科学でも良く分かってきている。
特定の機能が失われると、他の機能が発達してそれを補う。最近では脳性麻痺で失われた機能さえも、回復訓練によって脳内に別ルートが生成されて、機能を回復する事が出来ると分かってきた。
さて、ここからどこに話をつなげようか。脳の話は話題が多いので、ネタ切れまで取っておくことにしよう。ま、それまでこのシリーズが続くかどうか怪しいのだが。こういう飽きっぽい性格も、将来は薬か何かで直るかもしれない。
好きな人の前でだけ、別人になれる薬なんて出来るかも。ま、たいていの人は薬の力を借りなくても、好きな人の前では人が変わるけど.....。
平成23年(2011年)12月1日
もうひとつのITバブル
使われすぎて磨り減ってしまった感のある、「バブル」という言葉であるが、この動きの激しい時代において、十年と言う気の遠くなるような長い時間を経ながら、いまだに解消のめども立っていない現状は目を覆うばかりである。
しかし、どうみても、不動産と株の異様な高騰というバブルははじけても、その構造を生み出した、人々の心に巣くったバブルは必ずしも解消されて、健全なものになったとはいえないような気がする。特に、バブルに直接関係した企業や官僚・政治家などはもちろん、バブルを経験した多くの人々の心の奥底に、バブルを現出せしめた、赤貧とは縁のないどす黒いものが残っている。それがバブルの真の解消を妨げている遠因のひとつかもしれない。ここではそのことには直接関係のない、しかし、奥底の水脈ではつながっている、別のバブルについて取り上げてみたい。
別のバブル、それはITに関わる人材バブルとでも呼ぶべき、日本の現代社会のインターネットを中心としたIT新技術への誤った認識についてである。この分野もアメリカによらず、日本でもITバブルを意識しないうちに、風船がしぼむように縮小を余儀なくされている。そんな中でひとり、IT関係の技術者採用における人材獲得バブルが大きくならないことを願いたい。
構造改革の名のもとに中高年のリストラが流行となった観があるが、その陰で別の動きがみられる。大企業がリストラを行う理由の一つに、新時代、特にITに対応できる人材が社内に少ない、これを外部から補うためにもリストラをやらざるを得ないという論がある。特に大手企業では、人材の硬直化がみられ社内の人材で新しいことをやるのは難しく、さりとて、新規に人を採用する余裕はない。そこで、まずリストラで余裕を生み出して、新しい対応が出来る人材を採用しようというわけである。
アメリカなどでは、古くなり、いらなくなった事業の人員を削減し、同時期に重点事業や新規事業のための採用を行うのは、極めてあたりまえのことである。社会全体の仕組がそのように成っている。当然IT関連の事業でも同じである。しかしながら、日本では社会全体の体制がそのような仕組みになっていないのに、ここだけを真似しようとするところに危うさが見られる。いや、社会をそのような仕組みに早く変更する、その一歩がリストラである、との声が聞こえてきそうであるが、それは詭弁であろう。ここでも、これ以上深く追求することはやめよう。ここで言いたいのは、その実効性である。
中途採用者の年収データによれば、四十五歳を境に、それまでの年収と新会社の年収とが逆転すると言う。四十五歳までは転職によって給与が上るが、四十五歳以上では逆に下がっていく。その差は百万円以上にもなり、年齢が上る毎に乖離の幅が広がっていく。この現象を助長している理由に、「若ければ良い」という思い込みがあるように思う。とくに、新しいインターネットを中心としたIT関連では、若い人材でないと理解することすら難しいとの思い込みが有る。
その結果、若くかつインターネット関係の経験があると言うだけで、高給での採用がなされている。もちろん、最近では逆に、採用したけど期待したほどの力がない人材が多くて困っていると言う話を、その分野での先進的な企業から耳にするようになった。いずれにせよ、まだこの部分がバブルと言うのは大げさにしても、費用対効果から見たら、他の人材採用とは明らかに異なる様相を呈しているようである。
ここでこの分野の置かれている特別な環境を少し理解しておく必要が有る。まず、第一はこの分野の人材が絶対数で限られていることがある。それは勢い、同じ人間が似たような会社をぐるぐる渡り歩くと言う現象を生む。よくかわされる会話に、「業界がせまいので、またどこで会うかわからないから、けんかができない。」という言葉がある。実際、競合会社に転籍したら、元の会社と合併したなどという、笑い話にしてもあまりおもしろくない話が現実にある。
これに拍車をかけているのが、外資系と呼ばれる存在である。欧米のベンチャー企業が数多く日本に進出してきては、会社を設立する。現地人たる日本人の採用が行われるが、当然、語学の問題があり、それをクリアしてなおかつ専門の経験があるとなると、これまでは人材が限られていた。したがって、同じ人間があちこちの外資系企業を渡り歩く。いまは、もう死語で有ろうから、あえて書けば、そのような一群を「外資ゴロ」と称した。また、外資のベンチャーは日本でのブランド名が確立してないので、人集めのためにおのずと給与が高めと成る。今では、世界的なITバブルの崩壊により、このような状況はかなり変わってきているが、これらの要因が、これまで一部の給与を高めに誘導してきたのは間違いない。
勝手の外資系ベンチャーの採用が、技術力よりも語学力を評価してしまったのはわかる気がする。しかし、それは、日本において、IT技術者の力を正当に評価できるマネージャーがいないのと奇しくも軸を同じにする。評価する能力不足という点において。
即効性という観点から、まったく経験のない人を雇うよりは経験者を採用したほうが効率の良いことはあまり異論がないであろう。しかしここで、この分野のことをもう少し理解する必要がある。それは技術の幅、広がりと革新スピードである。端的にいえば、単純にITまたはインターネット技術といっても、詳細に入るとその幅は広く、いったいどのような分野の人材が必要なのか、採用する側が真に理解できているのか疑問なことが有る。簡単なホームページを作ることと大規模なアクセスが予想されるポータルサイトを立ち上げることは違うし、1台のPCでホームページ(サーバ)を立ち上げるのと、ブロードバンドのデータセンターを構築するのに必要な技術は当然違っている。そんな大げさな話をしなくても、Perlという言語をできる人間が、Javaという言語をできるとは限らないし、JavaとJavaScript両方をできる人も少ないのである。JavaとJavaScriptこの違いさえ良く知らない、というのが採用する多くの会社の本当のところであろう。そこにデータベースが出てきて、さらにネットワークがからみ、セキュリテイが重くのしかかる。いま、サーバとネットワーク両方の知識を持つ技術者はほとんどいない。しかし、今後しばらく技術の流れは、webサービスで代表されるように、サーバとネットワークが融合したものにむかっていく。これらすべてをわかる技術者などほとんどいないし、これだけの経験をつむには若くては無理だということにもなる。実際すでにインターネットが出現してからすでに十年が経過しているのである。即効性という名の場当たり対応は、バブルの後始末の先延ばしと同根ではないのだろうか。
少し専門的な話になるが、もうひとつ厄介な問題が、業務システムを、Webベースで開発するときにおきてくる。それは、インターネット技術、もっと言えば、ホームページ作成から入った技術者は、これまでのメインフレーム型コンピュータの技術をまったくといっていいほどに理解していない点にある。理解していなくても、誰にでもできるから新技術なのだろう、と言う声が聞こえてくる。言いたいのは、小さな閉じたホームページのレベルならそれで問題はないが、課金とか顧客データベースとか、多くの社内システムのWebシステム化においては、アプリケーションの開発を知らないと手におえないこと多い。過去のコンピュータ開発に携わった人は、新しいインターネット技術への置き換えが技術的に理解不足、インターネットから入った人は、開発手順や業務アプリケーションへの理解が少ないのである。新しい技術の出現時には、多かれ少なかれ、新旧技術のギャップはこれまでにもあった。しかし、インターネットの技術があまりにも誰にでも習得可能な利便性を有していたために、かえって、「自分はできる。」という誤った意識を持った技術者が多いことを指摘しておきたい。
さらにあげれば、技術革新のスピードであろう。三ヶ月がこれまでの一年相当であるという、いわゆるドックイヤーが、現在の革新スピードの感覚として、普通に受け入れられるようになった。しかし、その意味することに気づいていないことが有る。それは、すでに述べたこととまったく逆になるのではあるが、わずか三ヶ月で新しい技術が出現するのである。どこにその経験者がいるのであろうか?この簡単な理屈すら、どこかに飛んでしまっている。
残念ながら人には技術者向きと不向きの人がいる。本来それほどの素質があるわけではないのに、インターネットから入ったがゆえに技術者と思い込んでいる人材よりは、もともと素質がある人に新しい技術を学ばせるほうが、結果として良い結果が得られることが多い。インターネットを知らなくても、素質があれば、半年で充分に追いつくということを知って欲しい。新しい技術に対しては誰でもが同じスタートラインに立つのであるから、経験ではなく、素質と新技術への取り組みの意識が重要になる。
技術がすぐに陳腐化するとしたら、いま経験者として採用した技術者の技術もその運命にある。いま、積極的にそれらの技術者を大量採用している企業は、五年後にそれらの技術者をどうするつもりなのであろうか?アメリカ流の考えであれば、ついて来られない人間は止めてもらって、また新しい人材を採用するという事である。日本も本当にそうなるのであろうか?
今最新の技術者は、数年後にお払い箱となる。そのとき、陳腐化した技術しか持たない、つまり有効な経験すらない多くの人の群れが、社会にあふれる。そのとき企業は?国は?
終身雇用が遠い夢となった今、企業がそれを前提とした教育をやらないからといって責められはしないのであろうが、としたら、誰が即戦力の技術者を生む教育をおこなうのであろうか?終身雇用を放棄したがっている日本を尻目に、アメリカでは逆に技術者の人材確保のための施策が先進企業で始まっている。無論終身雇用を保証したものではないが、リストラで全面的に解雇するのではなく、給与の20%を支払って休職させ、ボランティアなど一時的に他のことをさせるが社員にとどめておく、などの新しい関係が生まれつつある。これは、ITのように長期では成長が見込まれるが、過程で小さな変動がある業界では、完全に解雇して再度採用するよりは、優秀な人材をつなぎとめておき、次の採用時にスムーズに受け入れようとする試みである。この事象ひとつを見ても、哲学を失った日本企業がアメリカに再度追いつくのは至難の業であろう。
他にもこの論の趣旨からは若干離れてしまうが、若者達の凶悪犯罪に見られるようないわば人の質の低下は、ここでも確実に見うけられる。二十代の殺人犯が大きく減少してきているからといって、残酷な、眼をそむけるような犯罪が増えているのは事実であろう。我侭な権利の主張ばかりが目立つ自己中心的な体質と、能力の低下は目を覆うものがある。もっとも最近では、IQではなくEQが、声だかに言われているようであるが。ここでは個人的な個々の特性ではなくもう少し社会的な現象として述べてみたい。
人材の質の低下がここ十年特に顕著なのは、やはりバブルの後遺症と無縁ではないのではないだろうか?つまるところ、バブルを引き起こした戦後日本人の体質のようなものは、バブル崩壊ぐらいでは亡くならなかったのではないだろうか。
バブル期には、経済界だけではなく、社会全体がバブルの渦のなかにあり、大学とて例外ではなかったように思う。大学は出てあたりまえとなり、膨大な学生が押し寄せた。ここで、質が低下したこともさりながら、バブル後にもその後遺症が残った。それは、一転して就職難となり、就職できない多くの学生がそのまま留年し、あるいは大学院に残った。本来勉強を高度化させるための大学院が、就職浪人の一時退避所と成ってしまったのである。これは特に理工系学生の質を大きく低下させた。それまで、教授の下に数名であった院生が、多いところでは三十~四十名などと信じられない数に上るところすら出てきた。受け入れ側もそれを受け入れたのは、バブル期の夢が完全には消えていなかったのかもしれないし、バブルで教育(人材育成)への熱意がねじれていたのかもしれない。こうして、彼らが世の中に出たとき、修士と言うそれまでの水準はまったく有名無実となってしまった。
日本におけるバブルの問題はその渦中よりも、崩壊後であろう。だれも責任を取らず、一攫千金や楽をして儲けることしか考えなくなってしまった親や社会に育てられた人間が、社会に出たからといって、急に自ら聖人君子になるはずもあるまい。
また、努力することよりも楽することを権利と勘違いした人たちが、まともな勉強などしてようはずもない。すべてとはいわないが、個々に能力もなく利己主義な人種が、平成という世の中に、十年間にも渡って排出されることとなったのである。このような人たちが、これまでとは異なる社会的態度にもかかわらず、めだたなかったのも、このインターネット技術が関係している。これまで初期のインターネット技術は、誰でもがとりくめる手軽さと、個人一人程度であるまとまったホームページを作成できるなど、その規模においても比較的小さなものであった。そのため、自分の好きなように、技術力が足らない部分は省いて、取り繕うことができた。そして、それを評価するマネジメントも不足していた。このことが、本来なら技術者のプロとは呼べない人たちをあたかも技術者として、優遇することになった。素人がやることを悪いとか、あるいは未経験者が多く参加することが間違っているなどとは、断じていっていない。ただ、IT技術者として通用している人の多くに、今後も新技術についていけるのか怪しむべき人が多く見られる。
技術の進歩はすさまじく、かつて「インターネットの父」と呼ばれたビント・サーフ氏によって、宇宙インターネットのプロトコールさえ開発されつつある。音声のデータとしての取り込み、個人間(P2P)のやり取りの仕組みの充実、セマンティックwebによる検索技術の向上、ebXMLによる企業間電子商取引など、あげればきりがない。
いっぽうで平成不況の嵐が強くなる中で、「雇い主と労働者」と言うような古びた言い回しが復活しそうな就職状況がみられ、なんとも不快な感じがする。
たとえば、ずるがしこいという形容を使いたくなるような企業がある。それは三十五歳以下は正式採用するが、それ以上の人間はすべて三年とか五年の契約社員にするという会社である。
また、とある会社の女性が、まったく有給休暇もとらず残業を続けて疲れはてて、上司に休暇願いを申し出たところ、「もうじきリストラがあるんだぞ。」と脅され、休みを取れなかったと言う。あるいは、有る大手メーカに勤めていた人が来年で定年なのに、肩たたきをされて退職した、などと時代の恥部が物陰に見え隠れする。
昭和の大恐慌ではあるまいに、時代錯誤もはなはだしいと言わざるを得ない。
その一方でもうひとつ考えなくてはならない現象が有る。それは頭脳の流入である。日本からの頭脳流出は散々騒がれていながら、いまだ収まったとはいえないが、もはや人々が語らなくなってしまった。実はその反対の現象がひそかに、しかし確実におきている。それも特にIT関連で。
製造メーカが安い労働力を求めて、アジアとりわけいまは、なだれを打つかのごとく中国への進出を決めている。そこに安くて質の高い労働力があるからである。ハードを作るメーカだけではなくて、ソフト、それもいわゆるコンピュータを動かすためのシステム、プログラミングで、同じように、中国、インドに進出が試みられている。この進出がアメリカほど騒がれていないのは、日本の大手企業が直接現地に出ているケースもないではないが、現地の会社を活用するコーディネーションタイプの会社が多いからであろうか。いずれにせよ、ソフトウェア作成を国内ではなく海外に開発委託するのは、珍しくなくなりつつある。そんななかで、仕事を現地にもっていくのではなく、現地から人が日本に来る方式が、静かに広がろうとしている。
これはインターネットの技術で必ずしも日本が劣ることを意味しているわけではないが、これまで見てきたように、日本ではこの分野の人材が不足しており勢い人件費も高い。それに比べて同じ能力ならば、韓国の技術者でさえまだ低賃金で有る。そのため、海外でプログラム開発を行うのではなく、海外からできる人材を日本につれてくる人材派遣会社が目立ち始めている。
逆に最近では、製造メーカのもっとも基盤の金型職人などが、日本でリストラされたために、中国などに就職する例も多くなっている。これら、人材という観点からの戦略を、個々の企業が放棄した観がある。これでアメリカのように新しい産業などおこせるのであろうか?
最後につけくわえたいのは、創造的技術者への対応の仕方である。
インターネットの新技術や新しいアイデアなどをやろうとする人間の多くは、既存のいわゆる旧式な組織のマネジメントにはなじまないものが多い。しかし、この旧マネジメントになじまない人間が、新しい技術への対応力があるかと言えば、必ずしも逆はまた真なりとはならない。さらには、新技術への対応と創造性とは明確に分けて考える必要がある。これを混同している向きも見受けられる。採用する側も、される側も誤解している場合がある。
採用側の問題は、自分達が新しいことをわからないから、少しインターネットのことを知っているかのフリをされるとそれを鵜呑みにしてしまい、採用される側は自らの技術を過信して、創造性ありと思うことになる。
さらに付け加えるなら、創造的なことを生み出すような人材において、マネジメントとか、上司の指導教育などと言う話は通用しないと気づくべきである。そこでは、プロジェクトのリーダは存在しえても、管理のためのマネージャーは不要である。それを必要とするような構成メンバーであれば、それはもともと、新しい物を生み出すような人間達ではない、ということである。そこでは、人生の先輩・後輩はあっても、上司と部下ではなく、みな同じ対等な仲間で有る。従って、上司を必要とするような人達には、新しいものの創造の力は弱いと思うべきである。乱暴に言えば、ほっといてもいっしょにやっていく集まりでなければ、そのチームから創造的な仕事は生まれない。
労働者の流動性と採用側の要求とされる側のスキルのミスマッチなど、多くの問題があるなかで、ITに関わる人材にも多くの課題があることを理解し、短期ではなく、もう少し長期で冷静に見極めていくことが必要となる。
一流といわれる大手家電、コンピュータメーカーですら、大幅なリストラの影で、IT技術者のスカウト・採用を積極的に、しかしひそかに行っている。これを当然とみる現在の多く論者は、IT技術者の現状と、ITとはなにかという根本的な問題を正しく理解していないように思われてならない。
現在のような経済環境の中で、いつまでもIT技術者バブルが続くとは考えられないが、大手企業を中心に吹き荒れるリストラの嵐が今後も続き、結果として、新たなるITバブルの出現を押しとどめることになるとしたら、この皮肉な現状は、笑うには深刻すぎるものを含んでいる。
以上
平成14年(2002年)9月27日
演歌が滅べば日本も滅ぶ
演歌、艶歌、あるいは歌謡曲といってもよいのであろうか、1960年代(昭和30年代後半から40年代)にかけて全盛を極めた歌のジャンルである。「日本人の心の歌」とまで形容された演歌が、流行の表舞台から姿を消してしまったのも、表層文化の変遷から見れば当然のことなのかもしれない。演歌の衰退は、歌詞が貧乏くさくて時代にあわなくなった、カラオケ用にメロディを簡単にしすぎた、4・7抜き短音階ばかり多用しすぎたなど多くのことが語られているが、それらはいずれもみな一面の真理なのであろう。ただこれをもう少し深層文化の領域に広げてみると、異なるものがみえてくる。
演歌の時代にも、フォークやグループサウンド(GS)など、その時代の年配者からは眉をひそめられる楽曲が、いくつも生まれていた。そうしてみればいまの若者たちに、昔の楽曲が受けないのは当然であろう。反面、現在のミリオンセラーになった歌の歌詞を読むと、その内容は恋愛を中心に、昔のものとそれほど大きく変わっているようには思われない。ただ、決定的に違うのは、その歌詞が文章として訴えかけたり、和歌のような場面描写からの感情の誘導といった類のものは少ないように思われる。言い換えるならば、ある情景の物語的な描写よりも、直接的な単語の反復による訴求法を用いているように見える。さらに、速いテンポのメロディなど楽曲が、歌詞よりも優先されているようである。
このことは、いくつかの事柄を示唆している。ひとつは刺激への反応ということである。人間はある刺激になれると、より強い刺激でないと反応できなくなり、刺激量が増大していく。GSもそうであったが、大音響へとエスカレートして結局それが、終焉の引きがねともなった。現在のように、早いテンポ、大きな音、絶叫、文章のぶつ切り、イントネーションの無視など、歌詞が聞き取りづらいなかでは、言葉はますます切れ切れの単語となり、しまいには意味をもたない単なる記号と化す。
歌謡曲の歌詞を心理学的に分析した研究もいくつかあるが、分析しようとする内容とここでの趣旨とは必ずしも合致しないので、あえて触れない。酒、涙、女、別れ、波止場、雪、雨、風、等々、演歌で使われる言葉の多くは、感情を直接表現するよりも、ある情景を詠む単語が多い。わずか3分のなかに、ある情景を歌い、そこに何がしかの情感をこめて、聞き手の感性に訴えかける。これが成立するためには、いくつもの要素が必要であろう。まず、文章の意味の理解が大前提になる。文章読解力や語彙力が不足していては、まずここでつまずく。大ヒットするような曲の歌詞は、このあたりをよく考えていて、わかりやすい言葉が選ばれていることが多いのだが。むろんここでの理解とは、文章や単語の意味の理解だけではなく、その言葉が背後に背負ってきた情感を含めてであることは、いうまでもない。次に、情景に付随して共感を求めている感情への共鳴である。提示された「悲しみ」を「悲しみ」として受け取れなければ、その後の共鳴や共感はありえない。ここに、共通の感性認識が必要となってくる。演歌衰退の一因は、この感性の共有が行われなくなってしまったことにあるのかもしれない。とすれば、その原因が作り手の側にあるのか、それとも日本人に共通の感性そのものの変貌なのか、単なる受容の感覚器官の衰退なのかは、深層文化ともかかわる問題である。
演歌全盛の時代でも、演歌嫌いの人は多数存在した。20代までは嫌いだったのに、30代になったら聞くようになったという人もいる。調査もなしで述べるのは少しはばかられるのではあるが、経験則によれば、あまり苦労を知らない人に演歌嫌いが多かったように思う。このことを少し心理的に見るならば、それは感情的な自己内省経験の違いとして述べられよう。一般的に「喜怒哀楽」と表現される「感情」も、心理学的にはまだよくわかっていないことの多い分野である。そのため基本感情と呼ばれるものでさえ、説が分かれるほどである。ただ感情といえども「経験」とは無縁ではないであろう。そして、その経験は、「体験」という自己学習(自分自身が直接的に学んだという意味で)によってより豊富になるのも異論はないだろう。自分が様々な感情のパターンを学習していればこそ、他人の苦労話を聞いたとき、その人の感情をよりよく理解することができる、ひいては共鳴・共感できることになる。その共感が、経験として蓄積されることでその人に新たな感性のパターンが増えていく。また、自らのことに置き換えて考え、自分を振り返るなどの内省を深化させることにつながる。苦労を知らないというのは、この感情的な自己内省経験が少ないということになる。知的経験としての理解は可能ではあっても、感情的な経験としての理解は希薄となる。そして、感情的な知覚を伴わない刺激から快感を得ることもまた少ない。つまり、苦労を知らない人は、演歌を聞いても、そこに提示される情感への感情移入や自己の持つ感性パターンへの訴求に乏しく、演歌を聴いてもおもしろくない、ということになる。こう考えてみると、豊かな時代の進展とともに演歌が廃れていったというのも、あながち無関係な話ではないのであろう。
演歌の衰退が、豊かさの表れや、新しい楽曲の流行など表層文化に属するものであれば、それはそれでやむをえないことであるが、もし、感受性の鈍化や、感性パターンそのものの変化によるとするならば、深層文化の領域にもかかわることになる。これまで、1万年以上にわたって築き上げてきた日本人の感性そのものが変容することは、必ずしも誤ったことでも、悪いことでもない。ただ、本来もっていた感性の豊富な認識パターンを、過去のものとして一方的に切り捨て、貧弱で底の浅い感受性にしがみついているとしたならば、悲しむべきことといえるであろう。日本文化の大きな特徴のひとつが、感性の文化にあるのならば、共有できる感性の変貌は日本文化の変容であり、感性の衰退は日本文化の衰退でもある。
視覚、聴覚、触覚、臭覚、味覚の五感の感覚器官への刺激を感性情報と呼ぶならば、それは、シンボリックなものとノンシンボリックなものに分けることができる。シンボリックな感性情報はさらに、大きく言語的なものと非言語的なもの(絵、表情、動作などであらわされるもの)に分けられる。
たとえば、小説を読むということは、シンボリックで言語的な感性情報の受容を意味する。音楽を聴くのは、ノンシンボリックな感性情報の受容になる。それでは、演歌を聴くと言うことはどういうことなのであろうか?楽曲だけであれば、ノンシンボリックな感性情報であるが、歌詞を聞くことで、言語シンボリックの感性情報をも受け入れていることになる。そして、より具体的な感情を呼び起こすには、ノンシンボリックよりはシンボリックなものの方が訴求力は強いとすれば、歌詞の内容を理解できるほうが、より強い刺激として受容される。いいかえれば、歌詞を知らないカラオケの曲を聞くよりも、歌詞のある歌を聴いたほうが、より豊かな感受性が発揮されることになる。クラシックは、人の心を和ませたり、奮い立たせたり、言うなれば基本感情へは大きく働きかけるが、より複雑な感性の反応パターンを惹起する力については、演歌のような歌詞のある曲の方がより強いといえるのだろう。日本文化の繊細な感性とは、言い換えれば、複雑、多様な感性パターンの認識とわずかの感性情報の入力でも反応する鋭敏な感性処理機構に他ならない。
平成18年(2006年)03月10日
訪朝騒動の隠れた問題
北朝鮮による日本人拉致問題において、またも外務省が国民から多くの批判を集めている。日朝首脳会談において提示されたいわゆる拉致者に関するリストの情報の一部、死亡年月日を家族にも伝えず、隠蔽していた事実である。機密費の流用をはじめ数多くの問題で逮捕者まで出しながら、その後も中国瀋陽の日本公館への北朝鮮人亡命事件、外務省改革案への横槍、そしてまた今回と、体質の改善はおろか、反省すらまったくしていないようである。しかしこれは外務省だけではなく、政治家を始め国家を預かる多くの人間に共通している致命的な欠陥なのであろう。いわゆる官僚主義が国家をも滅ぼす例を、われわれはすでに戦前の大日本帝国の軍事官僚で眼にしてきている。自己保身や個人的利益のためならば、その所属する組織をも平気でだめにしてはばからない官僚的発想は、文化論にも関係する大きな話になるのでここではたちいらない。ただ、最近の企業の一連の不祥事や犯罪行為も、多くこの問題に根ざしていることだけを指摘しておきたい。
さて、今回の北朝鮮問題である。「北朝鮮」で、自明のものを公式文書でもあるまいに、わざわざ朝鮮民主主義人民共和国などと、毎回ことわらなくてはならない現状もまた不可思議といえる。それはさておき、日朝交渉と呼ぶ一連の動きは、外交交渉と呼ぶには少しお粗末だったとのそしりを受けても、やむを得ないのではないだろうか。伝えられる情報からだけでも、あまりにも多くの問題がある。
今回のこの時期の訪朝は、相手のたくみな誘惑に乗せられただけではなく、外務省と一部の政治家が自分たちの利益のために、はじめに交渉開始ありきで望んだことは、容易に想像がつく。小泉総理がそれに乗ったのか、それとも自らも得点稼ぎのために、はじめから加担していたのかはわからない。いずれにせよ、外交であれ交渉であれ、一方的に相手の描いたシナリオにのせられて、自主的な判断を放棄するのであれば、やらないほうがましである。
日本の交渉責任者(総理)がすでに到着して会談をはじめるわずか数時間前に、予想もしない形であらたな情報を出して相手を混乱させ、さらに日本側の要求項目に対して表面的とはいえ、すべて回答をすることで、ボールを日本側に投げて、日本が答えざるを得ないようにする。さらに混乱させるために、会談の合間に、新たな情報を非公式といって提示する。この一連の、用意されたシナリオに対してまったく、なすすべもなく、ただ単に相手のレールの上を走る。これは交渉ではない。もっとも、はじめから相手の言いなりになって、交渉再開の成果という自分の手柄しか考えていなかった官僚たちからすれば、当然であったのだろう。
かりに百歩譲って、交渉するつもりはあったとしよう。それでも問題はある。日本ほどリスクマネジメントが下手な国はないといえるが、その原因のひとつが、自分の当初描いていたシナリオと現実とが対応しないとき、臨機応変の決断はおろか、その前に必要な情報を集めて現状を分析するという作業ができないことにある。今回もそれが出た。拉致問題への回答だけしか頭になかったために、それをあっさり提示されたとき、そこで思考が停止している。回答があったからそれで終わりではなく、今後のためにより強固な立場を取るべく、せめて相手の回答をてこにしたさらなる要求を、秘密合意でも良いからまとめるべきであったろう。これができなくては、老練な外交交渉のリーダシップなど及びもつかない。
さらに、会談の合間に渡された情報を翻訳して、総理に提供するのに四(六?)時間もかかったという。まるで真珠湾攻撃の宣戦布告の出来事を髣髴とさせる。外務官僚の責任逃れのうそであってくれたほうがまだましである。これが事実とするならば、危機管理や情報云々以前に、自分たちの仕事の内容すら把握していないことになる。たかだか、人名と死亡年月日の書かれたペーパーを翻訳することのできる人間すら、用意していなかったのか?通訳が受け取ったのならば、少なくとも内容は把握可能であったはずである。それをなぜ、すぐ総理に報告しないのか?国家の外交交渉に臨んで、そのような準備すらしていないのか?それとも、まだ隠していることがあるのか?結局、官僚が自分に都合の悪い情報は、たとえ、国家の損失になろうとも平気で隠す、戦前と同じ過ちである。
それより何より、政治家たちのリーダシップのなさと、現状認識能力の不足には目を覆うものがある。そもそも、トップ会談であるにもかかわらず、その数時間前にまったく新しい情報を出してきたという時点で、相手の意図とシナリオは明確に把握可能である。にもかかわらず、こちらが強く要求したから、拉致問題への回答を出してきた、すなわち誠意を見せた、などととんでもない事実誤認をしているところから始まる。また、少なくとも調印の前に新たな情報を得たのであるから、調印は別途とする、もしくは、宣言文書の内容を変えるくらいの事はいくらでもできたはずである。にもかかわらず、まったくそのような抵抗をしなかったことは、はじめから交渉する気などなかったいわれても、反論の余地はあるまい。
帰国後の死亡日隠蔽問題も、外務省が判断したと他人事のように話をする。いま、自国の政治課題のプライオリティはなにかとの認識があれば、自ら先頭にたって指示をすべきかどうかの判断ができたであろう。阪神淡路大震災で、法律がないからと、自衛隊を出動させず、多くの犠牲者を見殺しにした総理大臣がいた。この国の政治家は、リーダシップという意味すら理解していないのだろうか。
まえおきが長くなった。幾多の細かい話はいろいろと取り上げられているので、そちらに譲るとして、今回の一連の騒ぎの中で、誰も余り触れない、いや触れたがらないのかもしれないが、おおきな問題を指摘しておきたい。それは、『拉致の被害者という小事より、大きな国益のために判断した』と述べていることである。苦渋の決断を政治家として行ったと、本気で総理が思っているふしがある。これはとんでもない話である。
人の命は、地球より重たいなどと奇麗事で、反駁しているのではない。ここにはふたつの問題点がある。ひとつは、日本の安全保障、平たく言えば防衛の基本的な政策変更が行われたのか、ということ。もうひとつは、国家が守るべきものには、国民の財産、生命とともに、国家の主権があるという事実認識について。
昭和四十五年(一九七〇)よど号ハイジャック事件が発生した。くしくもこの犯人たちが逃げ込んだ先が北朝鮮であった。この事件で、時の日本政府は、テロや犯罪行為よりも人命を尊重するとして、革命をとなえる犯人の国外逃亡を、超法規的行為なる言葉を持って行っている。つまり、国家の安全よりも、目先の人命を尊重したのである。そのような対応が、世界の中ではきわめてまれであるとしても、その是非はいまここでは問うまい。問題なのは、あの時と比べて、今回は、拉致の小事より日本国の大事を取ったという。いったい、いつから日本は普通の国になったのであろうか?このような重大な政策の転換がいつおこなわれたのか?普通の国になることを望む人々にとっても、「よかった」ですむ問題ではない。
もし本当に政策変更を行わなければならないほどに、国民全体への安全保障上の問題があるというのならば、その事実をすみやかに国民に開示すべきであろう。勝手に解釈してさしあげれば、テポドンの弾道ミサイル発射実験以後、かの国のミサイル配備が進んでいる事実を言いたいのであろうか?射程一三〇〇㎞のミサイル・ノドンが百基も日本を標的にして配備されている、との話も聞く。ならば、なおさらその具体的な脅威を説明し、それに対して国防上どうするのかが論じられるべきであろう。外務省に「拉致」という言葉すら使わせないできた政治家たちが、本当にこのような大事を秘密裏にでも検討してくれているのだろうか?防衛庁は具体的なミサイル配備の情報を正確に把握し、その迎撃態勢はなされているのであろうか?この問題は、今回の決断程度で済む問題ではないはずである。
あるときは脅威はないと言い、あるときは国全体の安全を言う、自分たちの都合で国民の安全までも平気で踏みにじる。この国の危うさは、常に内にあるといっても過言ではあるまい。
もうひとつが、国家の主権ということである。国家の主権など時代錯誤的だというのならば、自国民の安全確保の担保と言い換えてもかまわない。国内で誘拐があれば、その犯人を探して処罰する。それが法治国家である。しかし、それが外国の国家権力であるならば、仕方がないと黙認するのであれば、相手の国は、日本人を一人ずつ誘拐すればよいことになる。いかにばれようとも。気がついたとき日本人は誰もいなくなっている。国民の財産・生命を守るといいながら、これで本当に国民全体の安全を考えたといえるのか?国家の主権とは、国民全体の安全と同じ意味を持つことを自覚すべきである。
さらには法治国家というのであるならば、いかなる相手に対してもそれを適用しなくてはならず、適用除外を設けることは、自らもまた、相手からの法による保護を放棄し、国内においても、法による統治を放棄したことになる。人命の数ではない、論理的に生存そのものを否定するような論理は、いかなることがあっても、たとえ失った命の数倍の命を失っても、守らねば成らない。それなくして全体の安全などありえないであろう。本当にこのような認識を経たうえで、今回の決断に到達したのであろうか?
国民感情を逆なぜするから、大事云々が悪いというのではなく、この言葉を軽々に使うその裏に、大きな問題が潜んでいることを理解する必要があるのではないだろうか。
最後に加えるならば、そもそも、これだけ多くの日本人が拉致されていながら、一件としてそれを阻止したり、認知して公にすることさえもできなかった。自衛隊も、海上保安庁も、警察も公安も、このレベルの能力で本当に国民の安全などが守れるのであろうか。外務官僚と同じような警察官僚などがいることを、なぜ誰もとりあげないのであろうか?なかでももっとも怖いのが、冒頭でも述べた軍事官僚、いまなら自衛隊官僚である。彼らが戦前の軍事官僚とは違うと誰が保証してくれるのであろうか?いくらアメリカから最新の兵器を購入して衣ばかり新しくても、中身の酒が変わらないのでは、国民のひとりとしてはため息がでるばかりである。
今回の小泉外交によって、日本も外交があることを知っていたのだと、諸外国に知らしめたのが、せめてもの救いであろうか。
以上
平成14年(2002年)9月24日
日本語が理解出来ない
人生は迷路かな② 日本語が理解出来ない
2回目にして、早くもシリーズの題名を変えようとしている。もともとは、「私の人生は迷路なり」だったのを、『人生は迷路図かな』に変えたのだが、どうもおさまりが悪いし、言葉としてもきれいではない。で、せめて「図」を外すことにした。あまり変わらんとの声が聞こえてくるが、この際無視しよう。
この『迷路かな』の「かな」は名詞に続くと疑問を表すのだが、どちらかと言えば、感動・詠嘆を表す助詞とみたほうが、受け取る意味としての収まりは良い。このように、簡単に文法で割り切れないところに日本語のおもしろさがあると思う。
日本語の話がでたところで、文学少年だった(?)思い出を一つ。
小学生の頃、やたらとだらだら長い作文を書くのが得意だった私は、いつも原稿用紙5枚以上、多いときは10枚もの長い作文を書いていた。そして、教室の後ろに時々張り出されたもので有る。今にして思えば、中身が良かったのではなく、そのあまりに長い作文にあきれた、いや感心した先生がご褒美に張り出してくれていたのだろう。あるいは、ダメ作文の見本だったのかも。ま、長すぎて、クラスの仲間は誰も私の作文など読んではいなかったのだが。
中身がなくても長い作文を書けたのは、親に薦められて小学生のうちに読破した、中学生向けの少年少女世界文学全集(なんと全100冊)のおかげだったのかもしれない。読むのだけは、実学年より少し上の本を読んでいたので、ぼんくらな私でも作文が書けていたようである。
神童も二十歳過ぎるとただの人だという。神童ではなかった私は、中学くらいから凡人以下に成り下がったようである。高校のクラスでは、もっとも成績の悪い人間ばかりが集まるクラスに入れられてしまったこともあった。まあ、黙っていれば、当時の成績表にはクラスでの順位が1番(悪くても2番)と記載されているから、良しとしよう。あ、この事は内緒ですよ。
さて、今日の話題は何が良いかな。すでに日本語を取り上げたので、そちらの話を少し。
大学の専攻分野で理系と文系と言う区分がある。当然、理系が賢くて、文系は体育会系に続く凡庸の集まりと言うことに、世間の相場は決まっていた。今はどうなのか、よく知らない。
論理的思考能力という意味では、この世間相場にそれほどの反論はない。だが、日本語という点ではそうもいかない。
コンピュータのSEなんぞという職業をやっていたので、部下を持つようになった時、自然と理系の学生が多かった。それに対して一緒に仕事をする営業部門には、文系が多かった。その経験からすると、残念ながら、理系の若手は日本語の理解力、読解力が、文系よりも明らかに劣っていることが多かった。遙か昔の話である。
コンピュータを相手に、行間を読むような仕事はあり得ない。むしろ邪魔でさえ有る。だが、人間相手ではそうもいかない。相手の言うこと、書類に書かれている日本語を正しく理解できなくては、仕事が進んでいかない。母国語がまともに操れないと、いくら英語での読み書きが出来ても、それだけでは有能な人材とは成らないようである。それは、行間を読むような作業、すなわち、相手の言わんとする意図を正確に把握できる分析力、さらには想像力につながっていくからであろう。当然、想像力は創造力の基になる。創造力欠如の平成時代は、この国語力軽視にも原因があると、密かに納得している。
いまでは、文系でもなんでも、とにかく日本語を理解できない人間がやたらと増えてしまった。問題発言で職を追われる高給(高級か?)官僚や政治家が後を絶たないのも、その現れの一つであろう。
かっての演歌、あるいは歌謡曲が廃れた原因のひとつに、私は日本人が日本語を理解できなくなってしまった事が、大きく関係していると思っている。急に話題を変えてしまった。ま、迷路だからいいか。
あ、もう、書くスペースがないから、この話題はまたそのうちに。(自分のホームページで制限などないだろうに!)【自分で言って自分で突っ込むのは、典型的なおじん症候群である】
平成25年(2013年)1月26日
会社などすぐ倒産
人生は迷路かな③ 会社などすぐ倒産する 転職人生の始まり
初回に自分の就職時の話をしたが、不況が続くと就職活動が何かと話題になる。いまだに、本人はもちろん、母親など親の大企業指向も、相当に強いものがあるとか。だが、大企業なら安泰などというのは夢物語だと、いい加減気づいて欲しいもので有る。で、公務員に向かうわけであるが、教員など『教える技術や能力』が充分でない公務員は、勘弁願いたいもので有る。
私が最初に就職した会社は、いわゆる大手企業の子会社だった。入社当時から問題があると思っていたので、停年までいるつもりは初めからなかった。わずか1年少しで、上司に辞める話をしたところ、同じ親会社が面白い通信関係の企業をたちあげる、自分も行くから一緒に来ないかと誘われて、移ることにした。新しい会社が出来るまでの半年は、親会社への出向の形を取っていたが、実質、初めての転職であった。
何はともあれ、そこでは、部長以上は全て親会社から天下ってくるのが分かっていたので、同僚と良くこんな話をしていた。「ま、出世はないけど、停年まではいられるだろうから、そこそこやっていこうや」と。
これが、我が転職人生の始まりであったのだが、神ならぬ身の知るよしもない。(なんか、小説っぽいな。)この物語は、まあ、ぼちぼち話をしていく事にしよう。
話を、初回に書いた就職時に戻そう。(このあたり、すでに迷路だな)
寝違えて頭の一部が良く働いたおかげかどうか、筆記試験を通って面接と成った。当時急成長中でそれなりの規模の会社だったと思うが、面接の最後は社長まで出てきた。たしか公認会計士から会社を興した、やり手だった。
その社長が、面接でしつこく私に言ってきた。「君は営業に向いている、営業をやらないか」。SE(システムエンジニア)希望だった私は、営業はイヤだとだだをこねた。自分の事は自分が一番よく知っている、と思っていた私である。自分が営業職向きでないことは、誰よりもよく知っていた。今でもこれは正しいと思っている。それはさておき、なにをどう気に入られたのか、帰宅したらすでに合格電報が来ていた。
営業なんかにされたらたまらないので、すぐに辞退の連絡を入れてしまった。当時は成長力のある会社は、余裕があったのであろうか。もちろんバブルよりはるか以前の話である。断っているのに、年に一度の会社の慰労会があるからそこに来てみませんか、としつこく誘われた。京都のホテルでやると言うので、遊びにいくことにした。むろん新幹線代もホテル代も、会社負担であった。どんなものか興味を持って参加してみたのだが、ほとんど記憶にはない。(ぼけたか?)
その後、社会人になってからこの手の会社主催パーティは、イヤと言うほど経験した。その多さ、つまらなさに、まとめて記憶から消してしまったのかもしれない。
この会社を辞退したのには、実は他にも大きな理由があったのだ。面接の後、帰るときに出口の所で、ガードマンに通行を遮られたのである。「ちょっと待て」と言って通してくれない。何事かと思ったら、そこに地下の駐車場から黒塗りの車が上がってきた。どうも社長か何かが乗っていたらしい。
これをみて、もし私がこの会社のお客さんだったらどうするのだ、客より自社のお偉いさんを優先させるのか、と怒りがこみ上げてきたのである。こんな会社は必ずダメになる。そう予言いや予測を心の中でしていた。この予言(いや予測だって)はその後見事に当たった。10年しないうちに、会社は行き詰まって倒産した。ま、コンピュータ関連会社の浮き沈みは,当時から激しかったのだが。
人生において先の事など誰もわからないのだから、初めから安定とか、楽な仕事とか、勝手に前提をおいて考えない方が良いと思う。かって、石炭業界は大変な優良業界で、東大など一流校から卒業生が押しかけた。しかし、あっという間にこの業界はなくなってしまった。これなど、わかりやすい例であろう。
この会社の社長とはまったく逆の、ある社長の笑い話を聞いたことがあるので、最後に付け加えておこう。
日本で知らない人がいない、超有名企業の話である。社長が重役専用エレベータを待っていたところ、若い人間が一緒に乗ってきた。社長は、常日頃からお客様第一と考えて実践している。この時もお客様だとおもって、自分よりも相手を優先してエレベータの乗降をさせた。偉い!
でも、この手の話には必ずオチがある。
あとで、乗り合わせた部下が、どうして自社の社員に道を譲ったのか聞いてみた。「なに、社員!バッジをしていないから、てっきりお客様だと思った。すぐに探しだして処罰しろ」と怒ったとか。
従業員が十万人以上いては、社員かどうかなど分かるはずもない。まして、社長が乗る専用エレベータに乗ってくる不届きな社員がいようなどとは。おまけに絶対必須の社員証までつけていない。いったい社員教育はどうなっているんだ、社長!
お後がよろしいようで。この話、事実かどうかは知りませんから。
平成25年(2013年)2月1日
入社即退職の決意 狂気の東大偏重
人生は迷路かな④ 入社即退職の決意をした 狂気の東大偏重企業
最初に入社した会社をすぐに辞めようと考えたと述べた。これに絡んではいろいろな話もある。ちょっとあまりにも露骨になるので書けないこともあるが、ここからは色々と教訓めいた話も引き出すことが出来る。ただ、多すぎて何を話せばいいのかまとまりがつかない。さわりだけいくつか書いておこう。
同期の新入社員は、男女あわせて約50名ほどいた。入社すると、まずは数ヶ月全員での社内教育があった。毎日様々な事をまなびながら、一日の最後には日誌を書かされていた。我々の世代は、全共闘や全学連が暴れていた世代の終わり頃に続く世代になる。かっこよく言えば、遅れてきた団塊世代。戦国の世で生まれたのが少し遅かった伊達政宗のようなもので有る。
入社時には、希望職種別の募集だったので、当然私はSEを希望して、面接でもしつこく話をした(SE以外、特に営業なら入社しないと)が、その事に面接官からの異論はなかった。前に書いた会社の社長のように、「営業向き」だねなどとは言われなかったのである。考えようによれば、もっとタチが悪いのかもしれない。大手企業や高級官僚に対する、偏見にも近い私の否定的な感情は、すでにこのときに強く植え付けられたのかもしれない。ちなみにSEとして受けたすべての他社に合格していたのだから、怒りは収まらない。
入社してすぐに、文系出身者は営業、理系出身者はSEと会社が宣言した。『この嘘つきやろう!ふざけるな、バカにしやがって。こんな会社つぶれてしまえ。』と思った。あまりの怒りに、その日からの日誌(新入社員教育のいっかんであろうか、毎日日誌を書かされたのだ)には、SE希望で入社したのだから,営業に行くなら辞めると書いて抗議を続けた。今の就職難の若者から見れば、何という馬鹿な奴だと思われるかもしれない。その通りである。だが、人間には、けっして曲げてはならない自身にとって最後のところがあると思うのだ。その考え方は,世の中の泥水をいやと言うほど飲んできた今に到るも、基本的には変わっていない。ま、途中でめんどくさくなって、心が折れたことは結構あるけど。ハハ....。
事務職の女性陣は、短期間の講習で現場へと配属されていった。残った我々(いや私は)は日々エスカレートしていった。どこまで書いて良いのやら。思い出すと筆が暴走しそうで怖い。事実のあまり、固有名詞まで飛び出しそうなのだ。ま、記憶の悪い私は、会社名くらいしか覚えてはいないのだが。
今回の福島原発事故や東日本大震災の津波の災害において、災害が拡大した原因のひとつに、この国に蔓延している権威主義が影響していることは、もはや誰も異論を挟めないだろう。特定の利益集団に属する、権威有る(とされてるだけだと思うが)お偉い先生達によって、一部の反対意見などは、ことごとく無視されてきた。この権威主義について語り出したらキリがないのだが、入社時研修においても、まさにこれが露骨に発揮され、しかもそのゆがみそのものが、暴露されたのである。なんと、その権威者側の当事者である、我々新入社員の側から。
中国人は自分の給料の額を他人に話をするが、日本人は絶対に自分の給与額などの話はしない。その後、中国人のいろいろな人とのつきあいも出来たので、必ずしもそう思わないのだが...。入社して初めての給料日だったかな?とにかく、給料の額が記された紙を受け取ったのだ。当然皆同じだと信じて疑わないから、それを見せ合った。そして、翌朝、研修開始時の朝礼(?)は,集団つるし上げの場と化した。
そう、日本の最高学府、T大学卒業者が新入社員に混じっていたのだ。その彼の額が他よりも高かった。(ま、今考えてみれば、きっとたいした差ではなかったのだろう)どうして差があるのだと、糾弾が始まった。さながら全学連が学長をつるし上げるように。
相手の課長だかなんだか、親会社から来てることをかさに着て(これは私の個人的なひがみかも)、強気に反論を始めた。それが火に油を注いだ。
彼は、大卒ではなく、修士卒だからだと。そしたら、他にも修士卒がいた。確かに修士卒は少し高いのだが、その彼よりも高かったのだ。
第二ラウンドが開始された。
彼は年長者だからだ。確かに、二浪しているとか本人も言っていた。が、同じ修士卒の彼も同い年だったのだ。
もう何を言っても、全て嘘でしかない事がばれてしまっていた。それにしても面白いのは、かのT大卒の彼までもが、一緒になって会社を糾弾したことである。アラブの春で立ち上がった若者もこうであったのだろうか?
今の日本では、自分だけ良ければ他人などどうでも良いと言う風潮がはびこっている。それが、ゆがんだ社会や国のあり方を変えようとする力が結集されない理由のひとつかもしれない。
それにしても、なんで彼だけ優遇したのだろうか?誰か人事のコネが有ったのか?今では考えられないのだが、なぜか当時は、同じ入社なのに給与が違うと言うことは結構あったのだ。むろん、中途入社の場合には、経験等で変わってくるのは当たり前なのだが。
面白い後日談がいくつかある。
結局、私を始め多くの人間がこの会社を辞めていって、同期で最後まで残ったのは、ほんの数人であった。最後という意味は、そう、皆さんのご期待通り。この会社もつぶれてしまったのだ。親会社が大きいので、別の子会社に吸収されたが。
外からみても、中に入っても、常識として何かおかしいという会社は、多かれ少なかれ問題を抱えているものである。それがいずれ現れてくる。リストラ,大量解雇そして最後には倒産と。
彼はどうしたか。入社の翌年くらいに私と前後して、会社を辞めていった。好きな人が出来たのだが、彼女が医者の一人娘だったため、相手の両親に医者以外には嫁にやらんと反対された。そこで、彼は会社を辞めて、国立大学の医学部に入り直したのだ。いやはや、頭のいい人は違うよね。
本当に昔の話は小説みたいだ。
最後にこれだけは。この話は、私の頭の中にある思い出なので、事実だったかどうかは、保証出来ませんから。
平成25年(2013年)2月23日
続発する不規則発言の裏に見えるのは
防衛省の局長が、不規則発言で更迭された。環境評価書の提出時期を聞かれて『犯す前にこれから犯しますというやつはいない』と発言したとか。
これまでにも、TVカメラの前で、『ここからはオフレコだ。いいか、もっと早く来い 云々』と言ったり、記者達に『(放射能)つけちゃうぞ』などと発言して、辞任した大臣など、いわゆる不規則発言が原因の辞任や更迭が後を絶たない。
そもそも、「不規則発言」こんな言い方、最近になってだけど。どうしてこんな言い方をしだしたのかな?以前から「問題発言」はあったのに。これも謎だが、ここでは横に置いておこう。
オフレコと断った場での発言を公にして追求するなど、今のマスコミ、メディアの人間は自分たちが何でも出来ると勘違いしているのではないか、との指摘や、発言者をかばう論調も良く見受けられる。これらの問題も、ひとまずここでは触れない。
では、何を問題だと思うのか。結局それは、これまで色々と取り上げてきた戦後の日本人の質の劣化に帰結してしまうのだが、二つほど取り上げてみたい。
ひとつは、自分の立場という場、置かれた状況の場など、今現在の自分のいる『場』を正しく認識出来ない人間が多すぎると言うことである。会社勤めをしていると、飲み会などで上の偉い人間がよく「今日は無礼講だ」と発言する。それを真に受けて、酔っ払った勢いもあって、批判したり絡んだりしたならば、後でとんでもないしっぺ返しが待っている事は良くある話。
オフレコだろうが公的な場であろうが、自分が局長や大臣などの公の立場にあり、今その立場の人間として発言しているのだという認識が、明らかに欠落している。こんな官僚や政治家に、まともな政策の立案や実行など望むべくもないことは明白である。いかに普段人が良かろうがわるかろうが、現状認識が出来ない人間を評価してはならないのだ。
もう一点は、国語力の問題であろう。日本人のくせに日本語をまともに操れないのである。2代続いた理系の総理は、理系だから賢いと本気で思っていたようであるが、私の経験によれば、理系ではおよそまともな日本語読解力を持たない人間が数多くいる。最近では、文系まで同じなのだから始末が悪い。
「つけちゃうぞー」などというのは、昔の子供が「エンガチョー」と言っていたのと同じ類であり、幼児語から抜け出ていないのだ。
書類の提出時期をはぐらかす例えとして、わざわざ「犯すまえに」などという下品な言葉しか思い浮かばないその低俗な日本語力には、唯々あきれるばかりである。
使われた言葉そのものも問題であるが、自分の立場もいまいる場も認識出来ず、まともな日本語すら話せない人間が、社会を動かす立場に多くいる。なんとも、哀れな国になってしまったもので有る。
平成23年(2011年)11月30日
日本は男尊女卑の国ではない
【常識の毒 日本は男尊女卑の国ではない】
この問題は解きほぐすのが難しい、というのは、本来の男女平等思想と男尊女卑思想とが、長い歴史の中で混在して来たからである。そのために取り上げる事柄も、どちらの主張にも合わせた説明ができてしまうことになる。少しずつほぐしていくことにしよう。
日本は男尊女卑の国ではないと発言すれば、少し前ならたちまち批判の嵐が巻き起こったかもしれない。いまは、もう少し冷静に話を聞くことの出来る人が増えたと信じたい。男尊女卑の国ではないから、社会にそのような制度、習慣が一度も無かったなどというつもりはまったく無い。ただ一部の人々が言う、日本は遅れた国で西洋文化が導入されてようやく男尊女卑から抜け出したという、歴史や民族の気質を全く理解していない話に首をかしげざるを得ないだけである。
国民皆保険制度など、日本は社会主義国のようだと揶揄されることがある。それほどに公平性、平等性を求める国民性だと言うことなのだろう。このことについては、最後にもう一度触れることにして、男女平等思想が日本人本来のものであると言う前提で話を進めていこう。長い歴史の中からいくつかの事例を見てみよう。
縄文時代
「元始、女性は実に太陽であった」と女性活動家、平塚らいてうは叫んだ。この後に続く彼女の言葉を読むと、実は女性の自立を強く促している言葉なのだが、男女平等なくして自立も無いだろう。元始たる縄文時代の生活ぶりがわかってくると、この時代には男女の役割分担が割合はっきりとしていたようである。そこに女性蔑視の痕跡はほとんど見られない。それどころか、縄文土器、土偶などの遺物は、女性の生き生きとした姿をいまに残している。
縄文時代のように狩猟採集時代においては、獲得した食料の公平な分配が行われていたために、富の偏在が発生しなかった。それが原始時代の平等であると言われている。海外ではそうかもしれない。だが、1万年以上も続いた縄文時代。そんな簡単な話で済まされるものであろうか?
日本の縄文時代は技術力の遅れた時代などでは無く、さまざまな木が植林栽培され、食糧確保の一形態となっていた。また、漆のように何世代にも受け継がれて栽培管理されなくてはならないものも存在していた。つまり、富の格差を生じさせる要素はかなり存在していたとみる方が素直なのでは無いだろうか?それでもなお、我々の先祖はそれを選択しなかったのだ。まさに、感性がそれを嫌ったのである。
縄文から弥生への変貌において、渡来弥生文明の受容をかたくなに拒否した地域が、東日本を中心にかなり存在していたこともわかってきている。それが何を意味するのか。すでに強固な縄文文明を有する縄文文化集団にとって、それまでの文化の基盤を成す価値観を容易に破壊することには抵抗があったのだろう。大きくいえば、精神基盤にまで達し得る文化基盤の部分と、技術や仕組みなど技術的な表層文化たる文明との分離が、日本で初めて生じたときなのかもしれない。
神話
神話はその民族の精神的基盤を象徴するものが隠されていることも多い。ひらたくいえば、民族の昔の考え方や感じ方が、神話の成立に影響を与えると言うことである。日本の神話は、律令時代に整備されたものしかほとんど残っておらず、そのためそれ以前の日本人の考え方や感じ方を知ることはむずかしい。だが、それでもどうしても消せない形で、神話の中に残っているものがある。
男の神イザナギ(イザナキ、伊弉諾、伊邪那岐、伊耶那岐)と女の神イザナミ(伊弉冉、伊邪那美、伊耶那美、伊弉弥)による国うみの神話からも、男女に関する古代の考え方をうかがい知ることができる。有名なこの神話の始まり、柱の周囲を回りながら、イザナミがイザナギに声をかけて二人は結ばれて国うみをするが、うまくいかなかった。天上の神々に相談したところ、女の神が先に声をかけるのを改めて、男の神が声をかけるよう指示した。その結果、国うみは成功したという誰でもよく知る話である。
この男の神が先に声をかけなくてはならないとするのは、明らかに男尊女卑の思想の流れをくむものである。しかしその前にあえて失敗例をあげてまで、女性が先に声をかける行為を行っている。ということは、男尊女卑思想が入ってくる前は、女性からでも良い、あるいは女性からが普通であるという、社会的慣習を表したものと考えられる。はじめから男尊女卑の民族ならば、このような面倒なくだりをあえて神話に挿入しなくてはならない理由が見当たらない。むしろ、男尊女卑に代表される律令制すなわち中国からの流入文明一辺倒に対する、日本人としての抵抗が隠されているとすら言えるのでは無いだろうか。くわしくは、「日本人の気質 第6章文明の受容:中国文明の受容」参照。
この二人による国うみでは国土の他に多くの神々を生み出している。ところが、アマテラス(天照大神)、ツクヨミ(月夜見尊月読命)、スサノオ(建素戔嗚尊速)は、イザナギが黄泉国の穢れを落とすための禊(みそぎ)によって誕生している。これら後々主役となる神々はなぜ夫婦二人によって誕生しなかったのであろうか?天皇中心の中央集権体制を確立する過程でも強化された男尊女卑の思想が隠れていることと、それでもなお、本質はそうでは無いと言うことを知らず知らずに語っているのかもしれない。また、はじめは夫婦の営み(性交)によって国や神をうみながら、後にはイザナギ一人から神が生まれている。神話的には順番が逆に思えるのだが、古代人にとっては人間の営みの方がより自然だったと言うことであろうか。
「日本人の気質」では取り上げなかった事もある。はじめの国うみに失敗したとき天上の神に相談しているのだが、いったい誰に相談したのだろうか?また、なぜそうしたのであろうか?イザナギ、イザナミは国うみのために天上界から降りてきた性別を持つ神である。それ以前に出現した神々は造化三神のように、男女の別を持たない神々である。これこそ本来の神々の姿であろう。それが様々な思想や種々の知識を得ることにより、次第に人間界に似せて神が造られて来たのであろう。そのように考えれば、男性と女性というような区別だけでなく、人間が死んで神になる事がある日本の神道の考え方の根本は、差異を持たない存在としての神であり、そこにはすべてのものが平等であるという思想が色濃く流れている。現在にまで続く日本人の平等性を求める強さなどの理由もそこにあるのではないだろうか。
卑弥呼・神功皇后
神話から実際の歴史に進んでも、女性の活躍は止まらない。卑弥呼がシャーマン(巫女)として君臨していたから、政治的統治の王ともなったとされるのだが、政治と祭祀の担当者が別れている古代国家は珍しくはない。女性を王として仰ぐことに抵抗がなかったと見る方が自然であろう。尚ここで、「王」とは仮に呼んだに過ぎない。
神功皇后は仲哀天皇の皇后であり、やはり巫女的性格を持つ女性とされる。天皇の死後、妊娠中にもかかわらず、朝鮮半島に攻め入り、新羅(しらぎ)を征し百済(くだら)・高句麗(こうくり)を帰服させたという。何とも勇ましい女性である。昔の人々にとっては、女性が活躍してもそれほど不思議ではなかったのだろう。日本書紀の編者が神功を卑弥呼に比定していたとの説など、おもしろい話はたくさんあるが、ここでは省略しよう。
女帝
女帝とは、女性の天皇のことだが、ここではもう少し広く統治権力を有した女性としてみている。国が乱れて騒乱となったときにも、男性では無く女性が中心に立つことで全体の統治がうまく進んでいる。それは単に女性が巫女としての呪術的祭祀を司ったからだけではあるまい。男の王の下に祭祀の女性が使える統治形態は世界では珍しいことでもない。実際の権力まで女性が握ることに抵抗がなかった証としか考えられないだろう。
男尊女卑の思想が流入したのは、弥生時代の渡来人我持ち込んだのが最初で、本格的に持ち込まれたのが中国の思想や体制をそのまま日本の天皇の統治に持ち込んだ律令時代であろう。天皇という名称が使われ出したときから日本という国がひとつの国家像を持つことになったと言う歴史家は多いが、個人的には首をかしげる。それ以前にも、多くの国が集まっていわば日本合衆国のような政治形態をとっていただけで、そこに日本全体をひとつのくくりとしてみる意識が無いと言うのは、明らかに後世から見た邪推に過ぎないだろう。それはさておき、女帝は日本に多く存在した。律令国家が完成する7世紀以前にも出現しているが、皮肉なのが律令制の基礎を築いた持統帝かもしれない。天智天皇の皇女であり、天武天皇の皇后であった彼女。彼らこそ、天皇中心性の中央集権体制や直系による天皇の連続性を定めた人たちだからである。当然それが男尊女卑思想を広めたことは間違いが無い。それをしたのが、女性自身であるとは、歴史の皮肉なのか。まだ、それほどの差別意識が無かったのか。
通い婚
古代から中世においては、通い婚というのが行われていた。戦前までの夜這い風習もこの流れにつながるのかもしれない。男性が気に入った女性にたいして文(ラブレター代わりの恋の和歌)を送る。気に入られたときだけ、ようやく訪問が許され、肉体関係に進んだのである。つまり主導権は女性の側にあったと言うことになる。むろん、旦那となった男が全く通わなくなれば捨てられたのと同じ事にもなるのだが。
女流文学(源氏物語や枕草子)
源氏物語と枕草子、言うまでもない、日本の女流文学の傑作である。ともに平安時代すなわち男尊女卑が強かった時代である。心底から男尊女卑であれば、そんな時代に女性がこれだけの傑作を残せるものであろうか?現在でも女子への教育を認めない国が世界には数多くあると言うのに。いかに貴族という限られた社会であろうが、女性が高い教養と知識を身につけることが尊ばれ、小説や日記を書くことさえ許されたのである。本当に女性蔑視の国民性であれば、仮にあのようなすばらしいものを書いたとしても、世に出ること無く抹殺されてしまうであろう。
日本人は、もっとこの世界でも最古の女流作家とその作品を誇るべきで、人類の遺産としてたたえるべきであろう。
かな文字
源氏物語や枕草子の時代には、仮名文字が発明されて使用されていた。男性は漢字を使うのが正当とされ、かな文字は女文字、女手ともよばれた。これだけ聞くと女性軽視のようであるが、女性専用の文字を生み出すなどと言うこと自体が、どれだけ女性を尊重していたかわかる。ま、実際には男女の別なく、日本人にとって自らのやまとことばを表現できる文字がほしかったと言うことであるが。唐文明の過剰受容の反動ともとらえられると同時に、やはり日本人はすでに持っていた自らの文化を決して捨てることは無かったという証でもある。
北条政子
いうまでもない、鎌倉幕府を開いた源頼朝の妻である。海のものとも山のものともまだわからない頼朝と大恋愛の末に結ばれたという情熱の持ち主でもある。何よりも驚くのは、演説で有名な承久の乱であろう。(1221年、承久3年)後鳥羽上皇が執権北条義時追討の院宣を下し挙兵するが、朝敵となることをものともせずに19万もの大群を持って、上皇軍を打ち破り3上皇を流罪にしてしまったのである。いやはや、やはり女性は怒らせると怖い。朝廷という権威も女性には通用しない。錦の御旗を見て逃げ出す男とは違うのだ。
山の神
山の神は女性であるから、女性が山に登ると嫉妬して災害がおきるので、女性は山に入れないという話がある。これこそ、男尊女卑思想が流入した後のさまざまな考えや風習が絡み合って生まれた説であろう。いま、その内容にまで立ち入るつもりはない。言えることは、山の神を始め女性の神々は日本では当たり前のようにたくさんおられるという事実である。真に女性蔑視が激しい民族においては、このような話は作られないのでは無いだろうか。
神道にある女性が行えない神道儀式の存在
この問題も、根が深くとても簡単に触れられるような事柄では無い。ただこれも仮にそうだとしても、そのこと自体が、男尊女卑思想が注入した後に造られたものである事は明白である。したがって、そのような思想が日本に流れ込んだ事の証にはなりえても、日本民族の根本的な感性がそうであると言う証には全くならない。それを指摘するにとどめておきたい。
こうして色々とみてくると、男女平等の意識のほうが、日本人本来の感性であることは明確であろう。太陽神が女性であったり、紫式部や清少納言が優れた文芸作品を残していることからも日本では昔から女性が活躍していた。世界では、女性への教育が否定される国や社会の存在が問題となっているが、日本が本当に同じような差別感を気質として持っていたなら、このような女性活躍事例が発生することすらなかったであろう。中国文明さらには明治維新の西欧文明の受容によって、男尊女卑的な考え方が強められたのであり、気質や感性としての本質では、日本人は平等性を尊び、当たり前のことと感じていた民族なのである。
社会的差別と性差の混同
男女平等を要求するのは至極当然のことである。だが、極端に走る原理主義的な運動は、男女間にある性差まで認めようとしなくなる。スカートはけしからん、女性らしさを要求するのは男の差別によるものだと。社会的な男女間の差別撤廃と、男女の性差による違いを認めないこととは全く別次元の事柄である。そんな行き過ぎた運動の中、女性の中から反対が出てきた。上半身裸になり、女性らしさは女性の権利であると主張した。興味本位でとりあげたのでは無く、ここに事の本質が現れていると言いたいのである。
そんなにすべての歳差をなくすことが男女平等思想だというのなら、男女別のトイレも、男女別のスポーツも誤りだと言うことになる。学生時分に「性差心理学」を学んだが、その後そのような事を言うことすらはばかられる時代が一時来た。しかし、さらに科学が進んで、脳科学や心理学の分野の発達により、男女間の性差は間違いなく生物学的な差異として存在していることが確認された。いまやアメリカの学校では、男女でクラスを分けて異なる教え方をする授業まであると言う。数学など論理的解を求めるのに、男女でそのプロセスが異なることがわかってきたからである。
まだまだ、日本社会では男女間の社会的差別が大きく存在している。いい加減で、本来の感覚を取り戻し、男女同一賃金を実現すべき時であろう。同時に正社員と非正規など多く存在する、言われ無き格差の是正も合わせて。本題から外れるので触れないが、それがGDP拡大すなわち経済的成長にもつながる。(コラム「いま日本で起きていること アメリカ文明の過剰受容」の「男女平等という名の低賃金労働者確保」平成27年7月9日参照)
日本人の平等気質
日本人は男女に限らず、人間は皆平等であるという意識、感覚が強い。それ故に、いわゆる奴隷制や宦官のような奴隷的存在を制度として受け入れなかったのであろうか。
欧米をはじめとする多くの国々において奴隷制が容認された理由として、山本七平は「ユダヤ人と日本人」の中でこんな事を述べている。彼らは牧畜を常とした歴史の中で、羊でも豚でも『家畜』というとらえ方をする。その家畜の中の動物にたまたまヒトも入っていたのであり、ヒトを意図的に差別したのでは無く、家畜の中にヒトがいた感覚なのだと。つまり彼らは、家畜というくくりと人間というくくりとが交錯していたとも言えるのであろうか。
これが本当であるとしても、日本人は家畜のくくりに「ヒト(人)」が混ざること自体を拒否しているのであり、彼が言うような日本での牧畜の歴史不在と言うことではないように私には思える。また、奴隷制が当たり前の社会において、白人の女性が男性の黒人奴隷の前で平気で裸になれたという。つまり、動物の前で裸になることを恥ずかしがらないという意味であるが。しかし個人的には動物の前でも、裸になるのはちょっと恥ずかしい。そしてこの感性の違いこそが、日本において奴隷制が採用されなかった大きな理由なのでは無いだろうか?つまり、奴隷はさておき、人間の間における平等性は、日本人の感性によってもたらされたものと考える。それは、まさに神観、自然観によるものだろう。
日本人にとって自然そしてそれを含む神は絶対的なものである。その前には、人間などの差異はさしたる意味を持たない。地震が来れば男女の別なく、津波に呑まれれば貧富の差も権力の違いすら無い。そのような絶対的な力の前では、人間は等しく平等であるとの考え方や感じ方が日本人の遺伝子の根底にくみこまれている。男女の差異も、そのような平等性から見れば小さなものに過ぎない。だから、日本人の本質は男尊女卑などでは無く、男女平等なのである。
ここで述べたかったことは、日本では男尊女卑など全くなかったなどということではない。むしろ他文明の過剰受容が男尊女卑的な社会をより推し進めてしまったのではないか、それでもなお我々の感性の奥底にあるのは男女を問わず人間とは平等なものなのだという感覚が残っていることを述べたかったのだ。ただ残念な事に、極端に走りやすい、外来崇拝指向などの気質により、さまざまな差別感が生まれたことである。差別感のほとんどは知的認識によって成立していることを思えば、これは日本人に限らず、知性を与えられた人類が引き替えに持たされた業なのかもしれない。
屈強な旦那が、家では山の神を恐れ従う。単純な男を表面上は立てて好きなようにさせておいて、実は軽くあしらう芯の強い女。当人たちが認め合っているほほえましいものを、男女差別だとわめき散らすような社会には、なってほしくないと思うのである。
平成27年7月22日(水)
日本を守るのは日本人だけ
常識の毒 日本を守るのは日本人だけ
ーーこれは電子書籍「常識の毒」に収録した「日米安保が日本を守るは幻想」の捕捉とも言えるものーー
このようなニュースはいわゆる右よりとされる新聞社からしか出てこないのだろうか。 実際、検索しても、他には出てこなかった。
もうしわけないが、そのまま使わせてもらおう。
4月の北ミサイル発射 米「迎撃は本国防衛のみ」日本へ通告
産経新聞 2012年7月14日(土)7時55分配信
『北朝鮮が4月に長距離弾道ミサイルを発射した際の米軍の迎撃態勢と日米の情報共有 の全容が13日、分かった。米海軍は7隻のイージス艦を展開させ、大半が海上配備型
迎撃ミサイル(SM3)を搭載。うち1隻を北朝鮮に最も近い黄海に配置したのは日本 側の要請だった。米政府は発射前の協議で日本側に「ミサイルを迎撃するのは米国の防
衛目的に限る」との対処方針も通告してきていた。
(省略)
黄海以外に配置された米イージス艦の任務は、日本海と太平洋の3隻がミサイルが米 本土に、鹿児島沖の1隻はグアムに向かう際の迎撃に備えていた。』
当たり前の常識なのだが、それが今の日本では忘れ去られている。自国を守るのは自国民 だけ、という常識。
日米安保で日本を防衛するといいながら、実体はこのようなものなのだ。政府も、これま でアメリカ一辺倒だった自民党などの多くの政治家も、この現実にどう答えるのだろうか。
日本人も、いい加減で、眼を覚ますときがきたのだろう。
平成24年(2012年)7月14日
三國連太郎が亡くなった
人生は迷路かな⑤ 三國連太郎が亡くなった そして仲間の父も
私の人生の迷路ついて書いている。だから最新の話題は入れないようにしたいのだが(そのほうが、古くなってもなにしても、時代も分からないし)今回は、それを破ってしまおう。
俳優の三國連太郎が亡くなった。テレビでも、関連する様々な話題がとりあげられた。その中で、親子関係についての話があった。
彼のような表現者とでも呼ぶ様な人々や芸術家には、一般の平凡な家庭や人間関係を築けない人も多い。彼もその典型的な一人だったようである。4度の離婚をしたとか、嫁と子供をおいて家を出てしまったとか。この3番目の奥さんとの間に出来たのが、俳優佐藤浩市なのだそうだ。むろん、捨てられた形の佐藤浩市から見れば、とんでもない親父である。はっきりと「ひどい親だ」と発言していた。死んだときにも、涙は出なかったと言う。
一方で、三國連太郎は、こんな発言をしていた。「良い親とか、祖父とか(でありたいと)いうのは、(親の)私利私欲だ。親は、子に(自分の)生き様をみせるべきだ」と。
普通の人には、分かりづらい発言なのかもしれない。私のようなひねくれた、変人には良く理解できる。学生時代、クラスの人間とこんな話で意気投合していた。それは、「(他人に対する)同情なんて、しょせん優越感の裏返しだよ」と。ますます、混乱したであろうか?
私利私欲、我欲、自己中心、なんでもよいのだが、他の人に同情するというのは、心底から人間愛に満ちた崇高なものでは無く、自分が高見から偉そうに言っているだけの、己の優越感を裏に隠した心持ちなのだと。親子愛もまた同じ。良い親でありたいなどというのは、しょせん、親の身勝手、自分勝手な自己中心的な考えで、本当に子供のことを思っているわけではないと。良い親であろうと見せるより、自分の人間としての生き様を見せることこそ、本当の親の愛なのだと、三國連太郎はそう言っているのではないだろうか。
昔の迷路に戻ろう。この三國連太郎の親子の話を聞いていて、思い出した事がある。先の就職した頃の話につながる話しでも有る。腐りきった会社に長くいたくないと考えた私は、早々と会社を辞めることを考えていた。考えるだけで無く、2年目には上司にその旨を話してしまった。若さという愚かさであろう。次の会社が決まってから言えば良い物を、変な自信もあったのかもしれない。
だが、人生とはまさに先の分からない迷路。その上司が、実は自分も新しく出来る会社に移るので、良ければいっしょに来ないかと言われたのである。同じ親会社が作る新会社など、どうせろくな物ではないと思いつつ、まったく新しい技術をアメリカから持ってくるという話に興味を引かれてしまった。即決で承諾した。こうして、私の会社を渡り歩く流浪の旅が始まったのである。
当時、新会社のビジネスの許可が、日本政府からなかなか下りなかった。詳細は省くことにして、とにかくSE(システムエンジニア)の仕事は続き、アメリカに出張して合弁の相手先の会社で、アプリケーションの開発をする事になった。新しく出来る会社の社員と協力会社(ソフトハウス)の社員が、シリコンバレーに乗り込んで,プログラム開発の作業を行ったのである。
会社近くのモーテル(日本で言う旅館のような安いホテル)に陣取って、毎日仕事に追われていた。ある日の夜、遅い夕食をとるため、いつものようにモーテル内のレストランに、みんな集まっていた。長期滞在で顔見知りとなった我々に、店の女の子も愛想良く声をかけてきた。だが、その夜は少し様子が違っていた。
直前に、日本から連絡があった。協力会社の一人の親が亡くなったと。その彼は、若いリーダで冷静沈着、悪く言えば冷たい感じのタイプであった。我々発注側にも、遠慮無く意見を言うので、時に煙たがられたりもしていた。
重苦しい空気が流れる中、型どおりのお悔やみを述べて、早く航空券の予約が取れると良いのにと、話題に詰まりながらも時が流れていった。はじめは、何でもないといつものような態度の彼だったのだが、ぷつんと何かが、彼の中で切れたのであろう。堰を切って、言葉が流れ出た。
「酒乱でひどい親父だった。自分も母親もどれだけ、苦労させられたか。学校も自分で稼いで卒業した。どれほど憎んだ事か。もう、音信不通になってから長いのだ」と。
大粒の涙が、彼の両目からあふれ出た。止まらない涙の中で、彼は言葉を続けた。「あれほど憎い、苦しめられた父親なのに。こうして死んだと聞かされたら、やっぱり涙がでる。あんなおやじなのに」と。
涙ながらに語る彼、そこには仕事の時の厳しい姿はもはやなかった。一刻も早く日本に帰りたいと願う、親を思う子供の姿だけであった。今から40年も前の話しで有る。シリコンバレーなど、日本から遙かに遠い異境の地でもあった。
血は水よりも濃い。この言葉がまだ生きていた時代なのかもしれない。親殺し、子殺しが当たり前のようになってしまった現代の日本社会。それでも、まだ希望はある。日本人の中に、家族を思う心は生きている。
父親が死んだときに涙も出なかった佐藤浩市が、身内だけの密やかな告別式の時、涙を浮かべていたという小さな報道があった。三國連太郎なら、良い親を演じるのは、それ程難しくなかったであろう。それでも彼は、そうしなかった。代わりに、憎まれても嫌われても、ひたすら自分の生き様を、己の背中を子供に見せ続けたのである。それが、親なのだと信じて。
(文中敬称略)
平成25年(2013年)4月21日
部下より低年収なんておかしいだろ
人生は迷路かな⑥ 部下より低年収なんておかしいだろ 残業月200時間超え部下 数ヶ月でやめた後輩
前回、と言っても何年前のことやら...時期がわからないよう時節のニュースは取り上げないと書いたのだが、またまたそれを破ることに。成果で報酬を決めるための新労働時間制度の議論が大詰めを迎えているとか。導入反対派のいう「残業代ゼロ法案」である。「新労働時間制度については政府の成長戦略で年収が少なくとも1000万円以上で高い職業能力を持つ労働者を対象」なのだそうである。
この話、自分の経験と「日本人の気質」両方に照らし合わせてみると、なかなか複雑で奥深い話となる。が、最も単純に感じるのは、「今頃残業代の話?」というものである。すでに会社勤めを辞めて、いや辞めさせられてから長い年月を経ている私の古びた経験から言っても、時代がどこかで止まっているような話に聞こえる。
部下より低年収
私自身、確か30代の初めにはすでに管理職扱いとなっていた。SE兼プログラマーの仕事に残業はつきものであった時代でもある。いまでもIT技術者の待遇が変わらないというのは、日本社会の「時代遅れ」以外の何物でもないと思うのだが、それはひとまず横におこう。
会社員にとって、確かに残業代は魅力がある代物である。実際、多額の残業代を手にすると、とんでもない余裕が生まれたような気がしたものである。それが、やることも変わらずに、いきなり残業代を召上げられたのである。労働者としては、非常に腹が立ち、しばらくは、定時で帰ろうと努めたほどであった。さらに腹立たしかったのは、さして年の変わらない部下や後輩が、残業代により年収では私を上回っていたことである。管理職になってなまじ部下の給与を知っても、これではやる気も失せる。すずめの涙の管理職手当は、営業職の営業手当程度で結局、若い社員より安い給与だったのである。その後、転職と会社の経営母体の変化により多くの会社に勤めることとなったが、以降一度も残業代はもらうことなくサラリーマン時代を終わったのである。
残業月200時間超え部下
管理職や外資系企業で、およそ残業代に縁のなかった私には、いまだに残業代でもめている日本の社会が奇異に見える。同じ仕事をしても、夜や休日にやると給料が良いというのは、どこかおかしいとも感じるし、とんでもない社員を経験すると、いわゆる企業側の立場も理解できてしまう。
毎月これだけの残業はすると決めている社員は、結構いたものである。元々の給与が低すぎるかどうかはさておき、こういう意識をもって働く人間はあまり好きではない。少なくとも、武士は食わねど高楊枝でいたかった。月20時間の残業なら、かわいいものであろう。長時間の残業をする社員が会社全体で問題になった経験は何度かある。自分の部下にもそれがいたから、たまらない。管理不行き届きで、こちらの評価が下がるのだから。
そのつわもの、なんと月に200時間を超える残業をしていたのである。残業代もさることながら、労働基準監督局ににらまれるのではと、人事などでは大騒ぎをしていた。いかに週休2日の会社でも、月200時間を超える残業をするには、ほとんど会社にいなくてはならない。
土・日に8時間x4回=64時間
平日7時から11時まで毎日(月22日として)=88時間 計152時間
まだ足りない。そこで、週に何回も徹夜をしていたのである。いかに仮眠時間3時間があろうとも、徹夜明けのまま翌日勤務するのは非常につらい。プログラミングなど頭が動かないし、実際それを何回もやるなど不可能であろう。そう言わせないために彼は狡猾だった。時々、休日の徹夜にして翌日休んだり、徹夜の翌日は午前中半休をしたのである。この状態が何か月も続き、やめさせるのに苦労したのだが、何とか異常な残業はやめさせた。
逆恨みの告げ口
そのためなのか、彼は、ま彼だけではないのだが、私の追い落としをはかり嘘八百を社長に告げ口して、私は会社を退職した。この事実は会社を辞めてから、他の部下とあった時に始めて知った話である。権力闘争に興味のない私が甘かったのであろうが。男の嫉妬や権力争いの醜さは、男女差別以上に陰湿で激しいものがある。
もともと異常なこのつわもの、その後も会社ともめて結局首になったそうである。この人物、いわゆる有名大学、それも修士卒で大企業からの転職組であった。この最初の会社も、どうやら同じようにもめて首になったようである。採用時に人物調査はするのだが、日本の大企業は、自分の恥となることは隠して、なかなか話してくれない。そのために、こういう人物がはびこり、多くの人が迷惑を被ることになる。それもまた人生なのだが。
労働時間や労働内容などさまざまなことを経験し、経営側の立場も労働者の立場も共にいやになるほど知ってしまうと、今の騒ぎがどこかぴんとはずれで、もともと別の意図があるのだろうと思えてしまう。管理職、営業職、外資系、年俸制、非正規社員など、すでに残業代が付かない会社員は相当多いはずであろうに、ここまで政官財が一致して進めようとするのは、腑に落ちないのだが、このコラムの趣旨から外れるので、そこは触れないでおこう。
残業には、労働時間と効率の問題が常に絡んでくる。技術の進歩は、個人間の能力の差をうずめてくれる。それでも、大きく差がでてしまうことは良くある。ノーベル賞級の発明や発見をすべての人間が出来るわけでもあるまい。ただ日本からは、もっと多くの受賞者が出ておかしくないと思うのだが。なかなか認められないという意味と、多くの日本人には才能を発揮しないまま終わる人も多いという両方の意味で。
数ヶ月でやめた後輩
私が会社員になりたての時代、コンピュータもまだそれほど発達していなかった。プログラマーの能力差が目立つ時代でもあったのだ。とくに、扱っていたオフコン(office
computers)は、機械語に近い言語でプログラムを書いていた。ハードを直接動かせるという柔軟性は、時に暴走も生みやすい。
入社して翌年には、なぜか後輩が出来た。私と違っていわゆる理系卒であった。教育期間を終わり配属されてきてから、現場教育(OJT)となったので、あるプログラム作成を頼むことにした。むろん、期待はしてないから、出来なければ、私がやるつもりでいたが。いきなり無茶と思う方もいるかもしれないが、企業とはそんなものである。実際コンピュータのコの字も知らない私は、初年度SEとして、何人かの外注さん(今でいう協力会社というやつ)、当然私より年上で経験も豊富な人達を、指示してこき使った、いや、一緒にやらせていただいた程である。
そんな彼、悪戦苦闘ののちにようやくプログラムを完成させた。だが、動かしてみると動きがおかしい。簡単にチェックしてみたのだが、私にもよくわからなかった。責任感の強い彼は、毎晩遅くまで残って必死で作業を繰り返した。ついには徹夜まで始めた。それでもだめだった。で、とうとう私も徹夜に付き合うことにした。
プログラムの命令を1行づつ実行していく気の遠くなるような作業である。実行命令がある時、あるところからおかしくなる、勝手に変なところに続いてしまうのだ。(少し専門的に言えば、ジャンプ命令もないのに、ジャンプしてそこから続きが実行されるという事。それも何回も繰り返し実行されたある時だけ。)バグ(プログラム内のミス)の内容はさておき、明け方にようやくその原因がわかった。その後二度と経験しない、偶然のいたずらが重なった信じがたいものであった。(データがアキュムレータにロードされるが、ある時そのデータがジャンプ命令と同じバイナリ―データがロードされて命令として実行、それがまた偶然に正しいアドレスを指していたので、そこから次の命令に。)
それから一月もしないで、彼は会社を辞めてしまった。自分にはこの仕事が向いていないと言って。偶然のいたずらは、一人の人間の運命を大きく左右した。能力なのだろうか、それとも運なのであろうか。人間の成功など、しょせんは運が大きく影響しており、能力だけではどうにもならないと思うようになった始まりかもしれない。
この時は、ほかの先輩や上司が面倒を見ないことにかなり腹を立てていたので、自分の責任についてはあまり感じていなかった。それより、向いていない職業には早く見切りをつける方が賢明で正しい判断だと思ったのだ。
会社人間い染まると、会社を辞めることすらできなくなる。ついには自殺という悲しい選択までしてしまう。それよりは、いやなら、だめなら、思い切って野垂れ死にを覚悟してでも、会社などさっさとやめてしまう方が良いのだと思う私は変人なのだろうか。なにせ、私も同じころ上司に辞表を出したのだから。会社員になってまだ1年半だった。
平成25年(2013年)11月1日
天才と赤穂義士
有る著名な作曲家が、赤穂義士のミュージカルをやると、テレビで話しているところを偶然みかけた。そこで彼は、赤穂義士の行動は日本人として非常にまれなものである。事実、江戸時代に多くの大名が改易、取り潰しとなったが、あのようなあだ討ちを行ったのは彼らだけである。と言うような趣旨を話していた。ほんの一瞬だけ小耳にはさんだので、もしかすると違っているかもしれない。が、とりあえず、そんな話だったとして続けたい。
赤穂義士のあだ討ちが日本においてまれな行動であったかどうかは首を傾げないでもないが、問題にしたいのは、そのようにまれな行動をなぜ多くの日本人が、是として、それが気に入らなければ、美として受け入れてきたのか、そしてまた我々の琴線に訴えるものがあるのか、と言う点である。
いかにまれな行為とはいえ、それを受け入れる多くの人々がいなくては赤穂義士の話は成立しまい。
官僚の不祥事が相変わらず止まらない。また、その無責任な言動がこの国を動かしているのかと思うと、「この国をいつでも逃げ出せる準備をしている」、との知人の言葉にうなずきたくもなる。むろん、いまこの国の病んでいる現状は、官僚だけの問題ではないであろう。しかし、官僚機構が国の命運を左右することがあることを思わずにはいられない。
私は常々、大日本帝国陸軍が、(無論海軍も含めてだが)なぜ、この国を人類史上まれに見る無謀かつ悲惨な状況に陥れたのか、その最大の理由の一つは日本陸軍における『軍人官僚』の存在によるものであろうと思っている。
およそ官僚的な発想をする利己主義的な人間達に、共通の思考回路が2つ有る。ひとつは、「うぬぼれ」であり、もうひとつは「自己保身」である。この二つの相乗効果はすさまじく、ついには己のためならばその所属している組織を滅ぼしても良い、というところに行き着く。幸か不幸か、そんな人間たちを現実の社会の中で見てきた。彼らは日常、自分は選ばれた優秀な人間であり、その判断は常に正しく、同じ選ばれた人間以外は自分よりも劣ると本気で思っている節が有る。従って、上の人間には面従腹背でへつらい下には傲慢である。それだけならまだしも、利己主義は、責任逃れのためなら何でもやることになる。
実際、自分の責任を他人になすりつけるために、上司にその人間の陰口を言ったり、組織そのものに責任を押し付けたりもする。外資系では、海外からきている上の立場の外人が、自分の成績のために現地の会社を陥れるようなことを平気でやる。むろん、責任は自分にないことを力説しながらであるが。この場合、その人間は本国に戻るのであるからまだわからないでもないが、理解不能なのが、自分の所属する組織についても、それを平気でやる日本の官僚的人種の思考回路である。自分の責任を逃れるためなら、自分の所属組織をつぶすようなことを平気で行う。自己保身のためなら国でも売る、その結果が帝国陸軍の所業なのであろう。頭ではわかっていても、まさかそのようなことを本当にやる人種が存在するなどとは、官僚のように優秀な頭脳を持たない私には縁なき世界で、信じられなかった。
小役人から高級官僚にいたるまでこのような体質は日本においてもかなり古くからあり連綿として続いている。それでもこの国が滅びなかったのは、そのような人間とは対極の人々がいたからであろうか。時々思い出したように歴史にあらわれる、清廉潔白、あるいは、組織や国のために自己犠牲をいとわない人々である。
赤穂義士の取った行動は、再就職活動のデモンストレーションであるとか、大局的に物事を見えない人間などと、批判的に片付けることは簡単である。だが逆に、何年もの赤貧に耐え、命をかける賭けにのりつづけることは容易なことなのであろうか?そうでないことをよく理解していればこそ、多くの日本人がその行動を是とするのであろう。しかし、いま赤穂浪士など見向きもしない、自己犠牲など論外とする風潮が蔓延し、赤穂義士なども省みられなくなっている。これは、わずかに残る精神性への歯止めが、はずれてきていることを意味する。
欧米社会での官僚的な人々の倫理的、道徳的規律を成立せしめているのは無論、キリスト教派的宗教観が大きいであろうが、もうひとつの要素として、特に近代以降は、「天才」の存在があげられるのではないかと考えている。学歴的優秀性は官僚的思考者の持つ大きな特徴であり、それが方向性を失った時に、傲慢で私利私欲におぼれた者をうみだすことになる。
しかし、よりどころとしての学歴的優秀性は、破天荒な天才の前には意味をなさない。ペーパー知識人のもっともにがてとすることは、創造性であろう。逆に天才の構成要因の大きな一つは創造性に有る。欧米での官僚的人種にとっての天敵的な存在は、時々出現して時代を変えていく「天才」ではないのだろうか。これが彼らにとっての精神的な歯止めの存在となる。
欧米では天才、日本では赤穂義士が官僚的志向人種の暴走に対する、精神的な歯止めの機能を果たすとするならば、今我々は、その歯止めすら失おうとしているのかもしれない。
NHKの人気番組に「プロジェクトX」という日本人のさまざまな挑戦のドラマをロマンチック、センチメンタリズムたっぷりに描いた番組がある。この番組について製作者の一人が、「中年向けのお涙頂戴をテーマにした番組ならそれなりの視聴率が取れるのはわかっていたが、まさかここまで取れるとは思わなかった。」という内容を話していた。
番組の内容に関しては、成し遂げる経緯にばかり光をあて、その結果についての冷静な判断を提示していない、との批判も聞かれる。番組の趣旨が違うのだから、この批判も的外れのような気もするが、それより、赤穂義士が受け入れられ続ける日本人の精神基盤に目を向けるなら、この番組が受け入れられ続けることにこそ注意を喚起すべきであろう。
赤穂義士はさておき、『天才』は少々強引であったかもしれないが、要は、道徳や倫理と呼ばれた(いまや過去形で書きたくなるのが問題なのであろうが)ものがもつ、自律すなわち、「自我の欲望の発散が人間だけでなく環境も含めた他者に対してして与える悪影響をどれだけ自己規制できるか」が、今この国の抱えている大きな問題のひとつである。
そう考えるとき、タリバンの支配時には犯罪が少なかったと言われるように、強圧的な政治体制によってそれが実現されるより、赤穂義士をたたえる精神性、つまり道徳心で自律出来る社会の方が、はるかに健全であると思う。日本人の精神的構造の根底に流れる道徳心や、正義を是として素直に認める受容機能が、消え去らないように願わずにはいられない。
平成13年(2001)12月10日
情報伝播のグローバル化がもたらすもの ~タイ紀行によせて~
【ここで述べているタイの姿は、20年も前のものである事に留意してお読みください。それでも本筋の指摘は、今なお色あせていないと確信しています。
2023.01】
久しぶりにタイを訪れて来た。タイが初めての方々といっしょに、バンコク市内とアユタヤのお決まりのコースをまわっただけの旅である。それもわずか3泊でめぐる非常にあわただしいものであった。
タイの変貌は他のアジアの国々と同じ発展過程を忠実に再現しており、空港からバンコク市内まで高速道路を走りながら目にする景色は、アジアのどこの国々も同じように見える。街中を歩くと、日本では渋谷でもあまり見かけなくなった厚底を履いた女の子が闊歩し、スリットの入ったスカートが目立ったとしても、その様子はとりたてて珍しいものではないように思われた。従って、その手の議論は別の機会に譲るとして、ひとつ別のことを考えた。
それは情報、とりわけ風俗に関わるような情報の、広域かつ急進的な伝播をもたらすグローバル化についてである。グローバル化という意味が、アメリカナイズすることであるかないかという議論はひとまず脇におき、ここではテレビやインターネットに代表される種々のメディアを介して各種の情報が、より早く、より多くの人に同レベルで伝わることをグローバル化と呼んでおきたい。
グローバル化以前の状態では、有る情報が世界中の人々に行き渡るには、それなりの時間がかかり、かつ、その情報の密度というものは、放送で同じものを見るような形での、情報レベルの均一化されたものではなかった。しかしいまやTVカメラが冷戦解体に大きな役割を果たしたように、グローバル化の進展が情報の伝播においても大きな変化を生み出している。
この情報の広域、急速かつ均一的な伝播は、今後思わぬ結果をもたらすことが多くなるかもしれない。そしてそれは、良い効果ばかりとは限らない。大げさに言えば、バーチャル世界のリアル世界への侵略とも呼ぶ内容も含まれてくる。有る情報が、その信憑性に関わらず伝播の広域かつ急速な拡大によって、その情報の真実性(みせかけの真実性ではあるが)を深化させる役割を担うことがある。このことは、個人の生活においても、企業活動においても多くの影響を及ぼすことになろう。
タイはこれまで訪れた外国の中でも、好感を持った国に入るので、少々引き合いに出すのをためらわれるところもあるが、たまたま実感したことは、具体的な例示としてわかりやすいもので有ろうと思い、ここで取り上げてみたい。くれぐれも、タイ国への悪意有る中傷などとは、間違っても受け取らないで欲しい。
前置きはさておき、夜の盛り場としてタイで有名な繁華街といえば、パッポンである。王宮付近から東南の方向にラマ4世通りが長く伸びている。高速道路と平行に走るニューロード通りと、このラマ4世通りを結ぶのが、昼間ビジネスマンが多く行き来するシーロム通りである。この一本北側にスラウォン通りがある。この2本の通りを南北につなぐ小さな路地裏のような通りの何本かが集まった地域がパッポンである。
西からパッポン1通り、パッポン2通りそして少し東に離れた、タニヤ通りがある。夜ともなれば狭い通りに多くの露天が軒を連ね、人であふれ返り、歩く場所さえなくなってしまう。路地通りにはディスコやゴーゴーバーがならび、若い女性たちの嬌声と呼び込みの声やらなにやらで、騒々しいほどにぎやかである。
タニヤ通りは、日本人向けのカラオケやクラブ(こちらではほとんど同じであるが)を中心とした日本人街としてつとに有名である。通りを歩けば、日本語で声がかかり、無視すると「けち」という罵声までかかる。長引く日本の不況はタイの女性に、これまでとは違う日本語を覚えさせるほどの影響を与えているようである。ここがバンコク一番の繁華街だと言って誰も疑う人はいないであろう。それはあながちうそではない。
しかし、日本で売られている今年発行の最新の旅行ガイド(「個人旅行11 タイ」昭文社2002)によれば、それはもはや過去のことであるという。
王宮の東にある高速道路あたりから東は、はるかカンボジアにまで届く国道に連なるのが、スクンヴィット通りである。タイでは通りから南北に走る路地をソイと呼び、順に番号がふられていく。スクンヴィット通りのソイ4あたりに新しい第三の歓楽街ナナ・エンターテイメント・プラザがある。ソイ12から21にはショッピングセンターやホテルが並ぶ。このあたりがソイ・カウボーイと呼ばれる第二の歓楽街であるが、パッポンほどの賑わいはない。
さて、そのまた先、さらに東に進むと新しい日本人街である。 日本人街として隆盛を極めたタニヤ通りが寂れたのは、日本の不況のせいだけではなく日本人の居住地が移ったことによるという。土着的に根を張る華僑を別とすれば、日本人はやはりまだタイでは金持ちの部類であろう。そんな日本人がかっての中心から東に離れた地域に集まって新しい日本人街を形成しつつあるという。
バンコクという都市の巨大化による盛り場の分散と言ってしまえばそれまでだが、地元の若い人たちはパッポンのディスコよりも、ナナやカウボーイの方に流れているという。ディスコは日本と同じで、ナンパされる目的の若い女の子が集まってくる。お目当てのバンドを見に来る子も多い。したがってパッポンに集まる外人より、地元や中華系の金持ちを目当てにする女性は、別の地域のディスコに集まることになる。とりわけ日本人相手はそうだという。
たまたま、我々の滞在したホテルがまさにその近くに有ったので、あたりかまわず歩いてみた。なるほど、ちょっとしゃれた一軒家や、豪華なアパートが点在し、そこかしこで新しい建築が行われていた。所々点在するレストランもいかにも日本人好みのしゃれた感じで、しかも必ず入り口や脇に駐車場が完備されていた。昼間だとはいえあたりを歩いている人をあまり見かけなかった。みな自動車での移動があたりまえなのであろう。各国の高級車がそちらこちらに隠れるように停められていた。その住宅街に続く通りには、日本語で書かれた看板のお店が目立つようになったが、その数はタニヤ通りに比べるとはるかに少なかった。雰囲気的にも、夜になっても女性が黄色い日本語で呼び込むような雰囲気には程遠い店構えが多かった。
少々前段が長くなったようである。バンコク紀行を書こうというのではない。情報の伝播のはなしである。 一言でいえば、前述のガイドブックは正しかったということである。正しすぎるほどに情報が早かったということである。実際に新旧いくつかの繁華街をみてまわった感想から言えば、書かれていたことは間違いではないが、少し情勢の先取り部分があるように感じた。昔のように書いたものがかなりしてから目にとまる時代であったならば、それは非常に先見の目の有るすばらしいことであったのは間違いがない。しかし、現在のように、各国の都市の風俗情報がインターネットを初めとして多くの媒体で瞬時に伝播されるとき、少し先のことを考えて述べる必要性は薄れている。書かれた内容の正確さにはむしろ感心したのであるが、ナナなどは別として、タニヤに変わる日本人向け繁華街というにはまだ早いような感じであった。
しかし、同行した4人の日本人は書かれていた内容で記憶に刻み、次の人に伝えるであろう。そして、我々と同様に、タニヤを歩いてみて、呼び込みの女性の数のほうが歩いている日本人より多いと思うことで、その観をいっそう強くするのであろう。かくして、タニヤから日本人が消え、車でひそかに乗り付ける店が並ぶ新たな日本人街がガイドに登場してくることになる。
つまり、情報の内容が現実にまだ一致していないにもかかわらず、情報の加速度的な伝播により現実がより進む、ということになる。
繁華街だけではない。タイ式マッサージに多くの日本人が詰め掛けている。それも、女性が男性のいかがわしいマッサージを行うほうではなく、こちらではトラディショナルと呼ばれる伝統的な足マッサージやハーブオイルの全身マッサージのことである。ここでも、トラディショナルと書いとけば良いということか、日本語の呼び込みをする店の前にもあちこちでトラディショナルと書かれた店がめだつ。
いっぽうで、ホテルなどのSPAと呼ばれるマッサージはどこも予約で満員、ちょっと時間が空いたからマッサージでもというわけには行かない。多くの日本人女性が予約帳を埋めている。情報の伝播は、フィードバックもかねて、現実の世界を変えてしまっている。
いま、観光地でツアーと言えば、中国か韓国の人たちで有る。旗の下にカメラをもってぞろぞろという光景は、日本人には無縁となってしまったようである。2-3人の少人数でドライバーつきの車を借り切って好きなコースで行きたいところを自由に廻る。私など10年もかかってようやくこの技を習得したというのに、誰が教えたのであろうか。夕方ホテルの入り口には、帰ってきた車から次々と降りてくる日本人観光客であふれている。
観光地の動向などリアルな現実世界の反映であるはずの情報から、バーチャルな情報がリアルの現実世界を変えていく力をもっている。われわれはこれからこのような世界に生きていかなくてはならない。
マスコミ、権力、企業による情報操作は、その意図や操作の明白性によらず数多く行われているのが実情であろうが、これまでの情報操作と、ここで言う情報伝播のグローバル化の影響によるものとは大きく異なる点がある。
それは、伝播の強さが情報の内容を逆に規定しかねないということだ。情報操作が意図せざる方向に行くことはあったであろうが、その強さにおいて両者は比較にならないであろう。
いまだ現実とはなっていないような情報であっても、それが強力な伝播力によって流布されるとき、それ自身の持つ真実性が確実に増大することになる。
近代以降、科学の発達は級数的に進んでいるというが、情報の伝播においても同じことが言えるのではないだろうか?いわば仮想世界の出来事が、情報の広域かつ急速な浸透により、リアルそのものが、その仮想世界の方向性に合致してしまうことになる。
タイの夜を楽しみに訪れる多くの日本人が、タニヤにはいかず、スクンヴィット通りを徘徊するとき、そこに新しい日本人街がそのことによって誕生してしまう。そして、試みにタニヤを訪れた人々に浴びせられる汚い罵声がさらに日本人を遠ざけ、もはやここは日本人の来るところではなくなったと多くの人が実感してしまうのだ。
もう一度まとめてみよう。二つのことが言える。
個人レベルにあっては、今後われわれが手にする情報は本来誤りではないが、情報伝播によって、より情報の真実性が深化しうることを認識すべきである。
ふたつめには、日本人はこれまで情報の管理が非常に下手であるとされてきたが、こと観光に関していえばそうでもなさそうである。ということは今後企業の活動においても同様な意識を持って情報に対応すれば必ずしも、他国に劣るものではない言う自信を持ってもよさそうである。そのうえで、単に情報の管理そのものだけでなく、情報の伝播が元の情報に影響を及ぼすということをしっかりと頭にとめておく必要があろう。
情報の操作は今に始まったことではなく、流行もまた、その多くが特定の企業によって仕掛けられたものであることは言を待たない。しかし、今その意味合いが決定的に異なるのは、情報伝播のもたらした意図せざる結果である。意図せざる結果が大げさすぎるならば、情報のもつ真実性の強化と置き換えても良いだろう。
微笑みの国を歩きながら、こんなことを考えるのは私ぐらいであろうか。
平成14年(2002年)2月14日
人生やり直し症候群
話題を決めて話をしたり俳句を作ったり、人気タレントと小学生が、いろいろなことをやるテレビの人気番組がある。このまえ、「大人のここが理解できない」というテーマで子供たちの意見を聞いたところ、小学生の女の子が、40過ぎの女性が若い人のようなミニスカートの派手な格好をしていたが似合わない、「どうしてあんな服を着るのだろうか、もっと会ったものを着れば良いのに」と発言していた。服装が似合う、似合わないは必ずしも年齢とは関係しないので、一概にはそう決め付けられないのだが、そういわれてみればたしかに最近その手の人を割合見かけるようになった気がする。そしてこれが、必ずしも若づくりということだけではなさそうに思われるのだ。
一部のデパートなどでは、中年以上の女性を対象とした新しい試みとして、色柄やデザインは若い女性向けとおなじで、サイズだけ中年向けの服を取り揃えたコーナーを開設したところ、評判も上々だそうである。この狙いは、最近の中年やシニア世代に、『もう一度人生をやり直したい』という願望が多く見られるようになった、それに基づく戦略だとインタビューでデパート側が答えていた。この手の市場は今後個人消費の中でも拡大をして、個人消費全体の1/6を占めるまでになるそうである。そうしてみると、先ほどのちょっと似合っていない服装の人が増えたのもうなずけることなのかも知れない。
この『人生をもう一度やり直したい』と言う願望は女性だけではなく、いわゆるサラリーマン層に、広く深く広がっているような気がする。現在不況の真っ只中、それも雇用という点では、深刻な状況に入っている今の世相からして、好まずともリストラなどによって、新しい人生を歩まざるを得なくなった人も多いと思う。こういう人たちまでひっくるめて、人生のやり直し願望組と決め付けるわけにはいかないかもしれないが、もう一度別の人生に挑戦してみようという気持ちで、早期退職制度を活用した人も多いのではないだろうか。私はこれを「人生やり直し症候群」とひそかに呼んでいる。
「人生やり直し症候群」の年代は何歳ぐらいなのであろうか?昭和20年の敗戦後に生まれた団塊の世代と呼ばれる人達から始まり、10年一区切りと考えれば、20年代に生まれた、45歳から55歳位の間の人々を指すことになる。この世代もさらにいくつかに別れるような気がするが、他の世代とは異なる精神構造の基盤を有するように思う。戦後民主主義の恩恵を受けて、と言えば聞こえは良いが、これまでの価値観を根底から破壊され自己を喪失せざるを得なかった親に育てられた最初の世代である。したがって、価値の大転換を目の当たりにして、一種の軽い虚無観、ニヒリズムを受け入れやすい、それでいて、そのような主義・思想そのものを信じることができない世代である。
いわゆる進歩的教育者と言う名の教師達にゆがんだ教育を押し付けられながら、戦前までの日本人としてのアイデンティティを持った親の躾がわずかではあったがまだ残っていた世代と、反動で自由と言う名の放任主義で育てられた世代とに別れるのだが。それでもなお、この世代にはいくばくかの救いがあるのは、貧しさをおぼろげながらも知っていることであろうか。いわゆるコッペパンの味を知っているのもこの世代だけであろう。戦後の日本人が、高度成長の経済的な恩恵をこうむるようになるにはもう少し時間がかかったのである。このことが、それ以後の世代との大きな違いを生むことになったのではないだろうか。
なぜ症候群なのかと言えば、その原因が多岐に渡るにもかかわらず、症状としての目に見える行為(現象)はみな同じだからである。
ひとつは過去を水に流して清算し、もう一度ゼロから始めたい、ふたつ目は、服装などに現れているように、年齢とか既成の概念にとらわれず、自分が良いと思うものを選択し、良いと思うことを自由に行いたいというもの。
そして、これは、そうあって欲しいとの願望も含まれているのでははあるが、単純な成長主義、金権主義から距離を置くことになる。かつてこの世代は、ヒッピーと呼ばれる反体制の人々を生み出している。しかし、日本でこれがあまり受け入れられなかったのは、単純な反対のための反対を好まなかったのと、より良い暮らし、言い換えれば成長や進歩そのものを悪とはしない考え方によったのだろう。症候群はこのような精神性の土壌から生まれているのではないだろうか?海外での老後なども、日本より生活がすごしやすく、環境も良いことを前提としての話であり、決して田舎の隠遁生活と軸を同じくするものではない。
では、人生のやり直し、すなわちもう一度というのは、バブルの夢よもう一度、ということなのであろうか?そういう人たちも一部にはいるであろう。だがそういう人たちは、なかなか人生やり直し症候群にはかからないようである。むしろ、バブルガンの末期症状であろう。大多数の人の思いはそうではあるまい。
これまで家庭も顧みずモーレツ社員として、会社や社会の一歯車として自分を犠牲にしながら、すくなくともそう感じるよう自分に言い聞かせながら、全速力でここまで時代をかけ抜けてきた。そして、それが多少なりとも豊かな老後の夢を描いてくれるのならばまだしも、そんな自分の生き様と価値観を否定され、あとにはずたずたに引き裂かれた自己だけが残された。これまでのがんばりが無駄な徒労だったとしたのならば、いったい自分の人生は、自分自身は何だったのだろうかと思い悩んでも不思議は無い。そのやりきれない思いが、もう一度やり直したいとの気持ちをさらに強くする。
すべての過去を水にながして、やり直したいというのが大方の偽らざる気持ちではないだろうか。成功もあったかもしれない、人並みの生活や幸せも有ったかもしれない、だが、それすらいまとなっては遠い夢、見果てぬ夢だったとしたら。そんな人々に残された夢は、もう一度全てをやり直すことなのかもしれない。
精神的にも、さらにひどければ経済的にも満たされない状況にある自分を振り返るとき、人生のページをめくって、白いキャンパスからもう一度始めたいと思うのである。
日本人が「すべてを水に流す」と言うと、反省していないとか、過去の教訓が生かされていないなどと批判されることがある。それは一面の真理ではあろうが、我々日本人にとっては別の意味がある。欧米人にとってはもう一度やり直すと言うことは、悪かった点、改善の余地のある点を正して、元の正しい道にもどす、という意味合いが強いのではないだろうか?それに対して、日本人は、良かったことも、悪かったことも同じように忘れて、まったく白紙の状態から始めたいとする心の働きがある。新年にはまったく新しい再生された魂になることを願う、根源的な民族の精神構造があるように思う。
疲弊し、行き場を失い、汚れた魂を抱えて、もがき苦しむ今の日本人が、もう一度再生し生まれ変わっていく。『人生やり直し症候群』が、そんな姿の第一歩であることを願わずにはいられない。無論、自分自身のことも含めて。
平成13年(2001年)12月15日
欧米が風力・太陽光発電をやめ始めた理由
欧米特にヨーロッパで、これまでひたすら自然エネルギーへの切り替えで、二酸化炭素の排出削減をすると騒いでいたが、その雲いきが変わった。とくに、これまで推進していた風力発電と太陽光発電は、削減の方向に動き出しているかにさえ見える。そして例によって、そのツケを日本に回そうとしている。欧米のものまねと目先の利益しか追わない政財官の癒着が、それを推進する。さらに進歩的を自認するだけで、実は認識不足の大方のメディア、文化人等が、それを後押しする。
この日本の課題は、切りが無いので取り敢えず脇に置いて、現状と何が問題なのか簡単にまとめて見よう。個々の問題の詳細はネット検索で充分理解出来る。ただ、検索結果に自然エネルギー推進派の発言ばかりが目立つのは、SNSの偏向もあるのかもしれない。
前置きが長くなったが、風力・太陽光発電だけではなく、実は2050年カーボンニュートラルの目標そのものの達成が、危ぶまれてきたのである。これをロシアのウクライナ侵略が原因だとする発言も多い。それは半分正しいが、本質ではない。ただ、これが問題をより鮮明にさせ、事態を深刻化させたのは事実だろう。より本質的な問題は、数年前からはっきりしていたのである。それは、CO2削減の切り札である自然エネルギーによる発電の、力不足が明らかになったことだ。
力不足という意味は、大きく二つある。一つは、自然エネルギーによる発電の効率の悪さ、ベース電源として全く使えない力不足の問題。そして数年前から明らかになった、より大きな問題は、風力・太陽光発電という、これまで欧米が積極的に進めてきた発電で特に判明した鉱物資源問題である。
風力発電で使う風車、太陽光発電で使う太陽光パネル。この製造には多くの銅が使用される。もしこのまま、これらの発電による削減目標を達成するには、現在の世界の銅産出量を何倍にも増やさなくてはならない。それには多額の開発資金が必要になる。それだけではない、多くの鉱物資源は、資源国と呼ばれる特定の国に偏っていることが多い。銅で言えば、2021年の銅生産量の上位国は、チリ、ペルー、コンゴ、中国、アメリカの順になる。埋蔵量ではチリが圧倒的に大きい。
生産量の多くを占めるチリとペルーだが、いま両国ともこれ以上の採掘には国民が反対をしている。つまり作りたくても、材料の銅が足らないのだ。
銅だけではない、EVのバッテリーは、レアメタルなど希少な鉱物資源を多く必要とする。レアメタルは存在する国に偏りがあり、その中には、東南アジアや中南米、アフリカなど、政情不安などのカントリーリスクのある国や、輸入禁止などの資源ナショナリズムが顕在化している国が少なくない。特に中国は多くの希少資源をおさえている。欧米が経済安保を急に騒ぎ出したのは、半導体不足だけでは無かったのだ。こういう状況が、数年前から起きており、CO2削減が行き詰まり始めていたのである。
二酸化炭素排出実質ゼロのためには、これから多くの資源開発が必要で有り、さらにそこに政治的なリスクが大きく立ちはだかっていたのだが、この事実は一般に広く知られていない。すべての関係者にとっては、一般に知られない方が都合が良いからである。それをウクライナ戦争が、エネルギーや食料が武器になると言う現実を、世界に認めさせてしまったので、もはや資源リスクを隠せなくなっている。
このままでは、CO2ゼロ目標の達成は非常に困難、いや今のままならほとんど不可能な状況にある。欧米では推進派の一部でも、この事実を認めるようになっている。相変わらず脳天気で一周遅れなのは、日本だけ。無知で欧米崇拝の政財官の人達は、利権と自己保身しか考えず、風力発電と太陽光発電に注力するなどと寝ぼけたことを言っているのだ。
日本人は、自然エネ先進国の最新の状況を正しく認識すべきである。遅れているなどとだまされないように。
少し長くなりますが、ここからは、風力発電と太陽光発電をなぜ先進国がやらなくなってきたのか、その理由を簡単にまとめておきます。
いま、ヨーロッパでの自然エネルギーの中心は風力と太陽光です。ですが、早くからこれらを取り入れた経験から、予想以上の大きな問題があることもわかってきたのです。それは、鉱物資源の問題だけではないのです。
いくつかの大きな問題点がありますが、並べてみます。
・発電力の力不足と不安定さ、発電の地域偏り
・環境保護と相容れないことが明らかに
・健康への問題が発覚
・コストが高くて儲からない
・経済安保や人権問題
・廃棄での課題が未解決
・送電線網の整備と地域間融通問題
課題を軽く考えて風力・太陽光に飛びついたのですが、発電の比率が大きくなるほど問題も大きくなり、ついには導入が停滞してしまったのです。
電力を自然に頼る事の不安定さをいやというほど思いしらされたのが、ヨーロッパです。風が吹かない、曇っているなどで、ドイツやスペインでは停電等の大きな障害が引き起こされてしまったのです。社会問題にまでなっているのです。ベース電源にならないばかりか、バックアップの発電を用意しておかなくてはならないのですから、ひどいものです。
自然に優しいのうたい文句も、実は過大評価だったと明らかになりました。これまで推進派だった環境保護団体が導入反対に回る騒ぎになっているのです。風車やパネルは、景観を損なうだけでは無く、自然環境を破壊しているのです。
さらには、風車の風切り音(人の耳には聞こえない)が、健康に被害をあたえている事が認められて、陸上風車の新規設置は事実上出来なくなってしまったのです。これまでの陸上から洋上風力に変えたのには、こういう背景があるのです。
原材料などの経済安全保障問題や中国の人権問題が、より大きくなりました。結果、アメリカだけでなくヨーロッパでも中国の太陽光パネルの導入が止められたのです。でも欧米メーカは今更パネルを作る気は無くなっているのです。
巨大風車や太陽光パネルの廃棄に関しては、多くの課題が積み残されたままです。廃棄処分方法も決まっておらず、有害物質の土壌汚染すら一部で見られるのです。この廃棄の方法確立と多額のコストが、これから大きくのしかかるのです。
自然の気まぐれに付き合うには、高度な送電システムが必要になります。突然風がやんだり、太陽がまだらに照りつけたり、自然は人間の都合になど合わせてくれません。不安定な発電は、他の安定的な発電との接続などが不可欠になります。ドイツは、フランスの原発による発電の融通を受けているのです。
これだけの課題が明らかになれば、もはやコストがとても採算に見合うもので無いことは、誰の目にも明らかです。欧米でこれまでこれらに投資していた投資家達は、すでにこれらの投資から逃げ出しているのです。
ウクライナ戦争で起きたエネルギー危機への対応のため、ヨーロッパは、石炭・原子力の発電まで事実上許すことに政策を変えました。この時なぜ自然エネ拡大を大きく言わなかったのか。背景には、こういう現実があったことぐらい、日本のメディアも伝えるべきだと思うのですが。
風力・太陽光発電の先駆者である欧米の状況を正しく認識していたならば、今更日本で積極的に導入するなどとは、正気の沙汰で無いことがわかります。国民の無知につけ込む一部の政治家や経営者達によって、この国はさらに蝕まれているのです。
日本における風力・太陽光発電の問題点
欧米で導入されなくなった風力と太陽光発電。困ったのが機器のメーカーです。風車はヨーロッパ、太陽光パネルは中国が中心です。在庫を大量に抱え困った彼らが目を付けたのが日本です。安売りしてでも押しつけようとしているわけです。それの片棒を担いでいるのが、日本の政治家と一部企業経営者なのですから、やりきれません。
上述した問題点以外にも、日本にはこれらが不向きである独自の理由があります。それはまさに、日本の自然環境にあります。
欧米でこれらの発電が普及したのには、その自然環境に要因があります。たとえば同じ島国でも、イギリスで地方に向かう鉄道に乗れば、その違いがすぐわかります。山がないのです。平坦な土地が続くのです。広大な平地と風が比較的おだやかなうえ、一年中同じ方向に吹きます。ですから、ヨーロッパでは、陸上風力発電が普及したのです。日本は全く違います。国土の7割が山地であり、平坦な土地はほとんどありません。また風も非常に激しく吹いたり無風になったり、変化が激しい上に、吹いてくる方向も一定ではありません。だから、売り込む側も陸上ではなく洋上風車を売り込んできたのです。ですが、日本周辺の海の荒さは、もっとすごいものがあります。いずれその見通しの甘さが露呈するでしょう。
太陽光も同じです。山を削りパネルを設置しても、ちょっと台風が来れば半分近くが飛んでしまうなど、すでに各地で被害が出ています。また廃棄が成されずそのまま放置され、土壌の汚染すら発生しています。取り締まるべき環境省が、これを進めてるのですから話になりません。そもそも、国土の狭い日本です。全土をパネルで埋め尽くしても、今の発電量をまかなえないのに、なぜこだわるのでしょうか?
これが今の自然エネルギー先進国、欧米の現状です。これらを正しく伝える人は、日本では少数です。特にメディアはひどすぎますね。率先すべきNHKなども、ひたすらCO2削減ばかり騒いで、今の自然エネルギーの問題点を伝えません。それでもさすがに、正月にやったスペシャルの中で、両発電の資源問題はとりあげていましたが、深掘りは全く成されていませんでした。
ネットで丹念に追っていけば、隠された世界の現状と課題も見つけることが出来ます。国民の皆さんも、もう少し自分たちの事として関心を持つべきです。ウクライナだけではなく、日本でも自然災害による長期の停電が起きています。もう一度エネルギーが、私たちの生存そのものに関わることを肝に銘じるべきでしょう。
令和5年1月3日(火)
危機意識も経験から
人生は迷路かな⑦ 危機意識も経験から それは放浪生活から始まった
平成27年(2015年)のISIL(イスラム国)による日本人人質殺害事件(対日テロ)では、日本中が大騒ぎとなったが、相変わらず、何もしなければ何も起こらないという「さわらぬ神にたたりなし」的な発言も目立っていた。集団農耕型気質の現れだという話はさておき、安全に対する鈍感さや危機意識のなさは、只々あきれてしまうのだが。あきれていてもしかたがないので、気質とは違う話を「わが迷路」から抜き出してみよう。
学生最後の春休みに友人と二人で、初めての海外旅行に行ったのは、いまから40年以上も前のことである。ツアーと呼ぶ代物ではなく、往復の飛行機と3週間有効なユーレイルパス(欧州の長距離鉄道のパス)が与えられただけの物であった。飛行機が到着した国と帰国便の国も異なり、さらにいかなる宿泊等の予約もなかった。ようは、「かわいい子には旅をさせよ」を実践した代物である。そのくせ帰国して就職してからは、かなりの額のツアーローンという名の借金返済が待っていたのだが。
生まれて初めての海外旅行だというのに、宿泊先も行く先もすべて自分で決めねばならないのである。相当な不安というか無謀ともいえるのだが。自分の人生で、もう海外へ行く機会などないだろうと思い、出かけることに決めたのだった。当然すべてが初めてのことで、かなりの緊張感と危機意識を持っていた。いまの日本人の多くは、海外へ出かけるにも、国内と同じ気軽さで危機意識など持たずに出かけるのだろう。各種の情報も豊富にある。だが、当時の我々は、一日3ドルの貧乏旅という英語のガイドブックだけが唯一の頼りであった。ま、実際には、ほとんど役立たなかったけど。ガイドブックよりは、大きな駅にある観光案内所のほうが有益だった。
薄汚い服装で、リュック一つの若僧を狙うものもいないだろうが、当時は真剣に身の安全を考えて常に緊張していた。実際、いろいろな体験の中には、危機管理に関わるものも多くあったのだ。パリ(だったと思うのだが)の中央駅から、列車に乗ってしばらくすると銃をかまえた警官らしき人たちが乗り込んできた。パスポートによる身元確認をしていったのだが、やけに緊張感が漂っていた。後でわかったのだが、列車が出発したすぐ後に、駅構内で爆弾騒ぎがあったとか。まだEUなどない時代ではあるが、大陸の入国審査は列車に乗ったままパスポート提示で済む国も多かった。
スペインでは、ライフルか何か大きな銃を構えた人達が乗り込んできた。ひとりがこちらに銃口を向けたまま、ほかの人間がパスポートチェックをする。長い人生いろいろ経験したが、銃口を直接体に向けられたのは、後にも先にもこれ一度である。このときは、なんでも地元の警察署長が殺害されたため極度に警戒していたらしい。アメリカの警官が犯人逮捕時に、銃を向けるシーンはおなじみであるが、まさか自分が経験しようとは。当時はテロというよりは、強盗などの犯罪への警戒が強かったのだが、今考えると欧米は昔からテロがなくならない国々のようである。
最初で最後の海外というつもりだったので、出来るだけ多くの国を見ようとしたのだが、ロシアにはいかなかった。どうやって入国したのか知らないが、同じツアー参加者の中には、ロシアに行ってとんでもない目にあったというツワモノもいた。欧州が、先進的すなわち平和な国々というのは、日本人の幻想に過ぎない。どこでも大きな銃を持った警官や軍隊が、街中に展開しているのは、ごくありふれた日常なのである。
いま独立問題で騒がれているスペインのカタルーニャ地方の都市バルセロナでは、ホテルに泊まってみた。ホテルの人に教えてもらって、夕方以降に本場のフラメンコを見ようと出かけることにした。安全のためにといっても、武器はおろかナイフすら持っていないので、考えた挙句、何かあったらズボンのベルトを手に巻いて使うことにして、一番はとにかく逃げることと二人で話し合った。幼稚と言えば確かに幼稚なのだが、それでもどこに行くのでも、常に緊張感をもって安全を考えていたという事実を知ってほしい。暗い路地裏のようなところを通って、薄暗い店に入ったのだが、中では、陽気なアメリカ人観光客がコーラを片手に騒いでいるのを見て、ほっとした。ついでに言えば、本場のフラメンコはかなりエロチックなもので、その後新宿のフラメンコレストランにも何度か出かけたが、同じ内容にお目にかかることはついになかった。
危機意識を持てと言っても、安全がただの日本国内にいる限り、危険な目に合うのも限られた人だけになる。しかし、観光地でもない海外などに出かけてみると、身の安全は自分で考えなくてはならないと肌で感じることが出来る。その経験は重要なのであろう。海外で危険な目に合わないように対策された旅は、それで素晴らしいことなのだが、一方で、恐ろしさを味わう事もなく、危機意識が醸成されることにもならない。その意味では、むずかしい問題である。少しだけ緊張する経験をして感情で記憶すると、危機意識を持てるのだが、それでは危険すぎる。となれば、やはり知性で、安全や危機意識を持つ必要性を学習するしかない。ISILのテロにおいても、恐怖を拡散させるのが彼らの目的のひとつであるから、徒に怖がって騒いではならないが、全く無関係であるかのような無防備さはさらに問題である。この問題は、「わが迷路」からは外れるのでやめておこう。
海外へ行くことは二度とないと思っていたら、どこでどう迷路にはまったのか、その後やたらと海外に行く機会や、飛行機に乗る機会が多い人生を送ることになった。幸い自分が被害を受けるようなことはなく済んできたのだが、危機への接近は何回もあった。
大きな空港で、搭乗を待っていたら火災報知機が鳴り、みんなで逃げ出したこともあった。台風などの天候によるのならいざ知らず、爆弾騒ぎで飛行機がキャンセルされたことも何度もあった。火山の噴火による影響で飛行機が飛ばなかったり、飛んでる最中に噴煙が迫り、機長達が慌てふためいていたこともある。アジアでは、出発して1時間以上も飛行してから、エンジンが不調なので引き返しますとのアナウンスを英語で聞かされた時もあった。こういう時は、やはりせめて日本語で聞きたいなと思ったのだが。引き返して着陸態勢に入った時は、さすがに機内はシーンとしていた覚えがある。
飛行機で一番びっくりしたのは、やはり乱気流での急降下である。まるでバスの最後部のように揺れる飛行機には慣れたのだが、時々ジェットコースターのようにすとんと落ちるときがある。少しなら良いのだが、ベルトをしているのに体が浮いてしまうほどの時もあった。高度が一気に千メートルくらい落ちたようである。座っているCAの顔もさすがに緊張していたが、ま、機長だって死にたくないから真面目に操縦しているだろう、という変な開き直り感があったのも懐かしい。人間、何かあった時には意外と腹は座るものである。まして、サムライなら。
海外便に限らず、国内便でもエンジンから煙が出ていたり(たいていは水蒸気で問題がない)、油の焦げるにおいがしたり、時には小さな火花だって。一番嫌だったのは、窓の外側のガラスに、ヒビのようなものを見つけたときかもしれない。
海外出張が多い人は、それなりにいろいろ経験する機会も多いのだが、やたらと災難に遭遇する人もいる。人生最後の会社で出会った人がまさにそうであった。その人と一緒にロンドンへ出張したら、なんとまさにテロに巻き込まれてしまったのだ。
ホテルからタクシーで相手先に行くときからすでに何か街中がおかしな雰囲気だったのだが、タクシーを降りたら、大勢の人が地下鉄の階段を上ってくる。みな、どこかに急いで走っていく。とにかく相手先を訪ねたら、門前払いされた。仕方なく、近くの別の知り合いの会社に行ってみた。みな、真剣な顔をしてテレビをのぞき込んでいた。首相が何か画面の中でわめいていた。ようやく、また爆弾騒ぎがあったのだと理解できたのだが、その時はまだどうもピンと来ていなかったのか、騒ぎのただ中に巻き込まれたとき人は意外と居直るものなのか、それほどの不安や恐怖は感じなかった。仕方ないからホテルにもどろうと外に出たら、人の波である。地下鉄の入り口はすべて封鎖され、当然タクシーなど走っていない。どこが安全なのかもわからず、とにかく大通りを何本か離れることにして歩き出した。今考えれば、無茶だったのかも。相当に歩いて喧騒を離れたら、ようやくタクシーを捕まえることが出来た。幸いホテルが封鎖された地域の外にあったので、遠回りしながらも戻ることが出来た。
部屋で改めてニュースを見て、それからのほうが恐怖心がわいてきたのだから、不思議なものである。2005年に起きたロンドン同時爆破事件と呼ばれ、地下鉄の駅3か所とバスで爆発が起き、自爆犯4名を含めて56名が死亡したテロのど真ん中にいたのだった。
すでに日本で1995年(平成7年)オウム真理教による地下鉄サリン事件を経験していたので、ロンドンの地下鉄テロでもパニックにならなかったのかもしれない。オウムの時も、よく使う地下鉄だったので、客先に直行などしていれば私も被害を受けていたかもしれないのだ。どちらもそういう朝の時間帯が狙われている。
こういう物騒な経験などしないに越したことはないのだが、あまり未経験でも、「平和ボケ」になり、自分たちが何もしなければ、災害やテロは勝手に避けてくれるものだという都合のよい考えを持つことになる。仕事で海外に行くことが増えれば増えるほど、真剣に危機意識を自ら持つことが求められるようになる。海外進出の企業では、それなりの危機管理が昔からなされてきた。この話の続きは次回にしよう。
平成27年(2015年)3月20日
危機意識も経験からー続
人生は迷路かな⑧ 危機意識も経験からー続 海外進出企業vs米英企業
日本人は危機意識が希薄だという話。それだけ日本が安全な国の証でもあるので、決して悪いことではないのだが、世界中がそうならない限り危険は去らない。
多くの日本人は感情的だと言われる。その是非はさておき、危機意識も危ない経験をすると感情を伴った経験として強く記憶されるのだが、そうもいかないだろうというのが前回の話(のつもりだったが、伝わっていたかどうか!?)。
経験というか体験が無くても、学習などによる広義の経験は出来る。つまり知性を働かすことである。ところが、ここでも元来楽天家の日本民族は、あまり悪いことを考えない。それどころか言霊信仰まで動員して、悪い事態の想定を口にすることすら拒否するのだ。いやはや、始末の悪い民族である。災害列島に暮らしてきた日本人は、自然災害に遭遇する機会は多かった。そして、そのような危機は、人間がどうにかできるものではない。したがって「あきらめる」しか、しかたがない。という事が一連の気質や思考を生み出したのだろう。
前回、やたらと飛行機やテロがらみの話が多かったが、最初の会社をわずか1年足らずでやめようと決心したところから、迷路に迷い込んだようである。やめるならと上司に誘われて移ったのが、まだ会社も設立していない海外との合弁企業だったのだ。さらに悪い(?)ことには、国際データ通信などという日本にはまだない業界だった。そのため、顧客企業はほとんどが「海外進出企業」という本に載ってる会社ばかり。そりゃ、何かと飛行機に乗って海外、それも結構地方に行くわな。
で、そういう海外進出企業は、昔からそれなりに危機管理を行ってきた。中には、現地での女性との付き合い方なんて危機管理かよと言いたくなるものもあったが、結構男女問題を起こす海外駐在員もいたようである。男女問題も怖いが、犯罪、テロなどの生命にかかわる問題はより深刻である。
今回のISIL(イスラム国)によるテロが、あたかも安倍内閣の言動により起こされたかの報道や発言がいつまでも続いている。あまりにも「熱しやすく冷めやすい」性格にも困ったものである。安倍内閣の対応の是非はさておき、日本人がテロに巻き込まれたのは今回が初めてではない。わずか2年前の2013年1月にはアルジェリア人質事件が起きて、実に10名もの日本人が犠牲となった。この時も報道が過熱して、あまりにも執拗な取材に遺族等から批判が起きたほどであった。それすら、忘れてしまったのであろうか?浅はかな(自称)知識人が多すぎると思うのだが。
この不幸なテロに巻き込まれた日揮というプラント会社、昔一緒に仕事をしたことがあるので、他人事には思えなかったことを覚えている。ただプラント以外での仕事だったので、中東やアフリカに行くことはなかったのだが。日揮ではこの事件を受けて、さらに海外駐在の危機管理を強化したという。
欧米には、セキュリテイを専門とするさまざまな会社がある。情報提供とコンサルティング、物理的な警備、武装した警備員の派遣まで、実に様々なものがある。このような危機対応がビジネスとして成立している世界はあまりにも悲しいのだが、それが現実である。会社勤めをしても、多くの日本人は、このようなビジネスと直接かかわることはまずないので、知らなくても仕方がないのだが。
大手企業、それも海外進出企業では、海外の危険情報の収集は最大にして第一の仕事である。ごく普通のサラリーマンの私が、日本、アメリカ、イギリスの大企業の傘下で、そのようなビジネス上のセキュリテイ情報を受け取る経験をすることができたのは、やはり稀有な事と言えるのかもしれない。そのささやかな経験の中でも、米英と日本の違いを感じたように思う。それが思い込みであってほしいと祈りつつ。
外務省の渡航情報などをもとに、海外出張の延期や中止、禁止などは国内企業でも出されていた。さすがに詳しくは書けないが、(もうろくで覚えていないのが実体だったりして!)米英企業の情報は日付(期間)が指定されていたり、時には飛行機の便名まで指定されることすらある。精度はわからないが、情報の細かさには、ただ舌を巻くばかり。こんな経験が、私の日本政府とりわけ外務省の情報収集能力不足批判につながっているのかも。
迷路を少し進もうかな。昔、国際電話などもまだ十分でなかった時代がある。だからこそ、国際データ通信が新しいビジネスだったのだが。なかなかつながらない国際電話がたまたまつながって現地と話をしていたら、その電話を切るなという指示が出されたこともあった。回線数が限られているため、一度切るともうつながらないかもしれないので、切らずにおいたのだ。これが親会社や某筋からの依頼まであったとか、なかったとか。今の目先の利益しか考えない経営者たちなら、何日も国際電話をつなぎっぱなしにするなど、到底許さないのでは?グローバル化などと騒がれてからのほうが、かえって情報収集力も危機意識も落ちているのかもしれない。
あ、知らない人に一言。電話じゃなくインターネットがあるだろうと思うかもしれないが、まだない時代から海外に多くの企業が出ていたし、そもそも、インターネットも電話回線を使って始まったのだよ。今もそうだけど。回線を電話だけに使うか、データだけに使うか、それとも両方か、そう考えるとわかりやすい。
企業には、警察からの問い合わせも来る。事件があった時、いわゆる「聞き込み」が行われて一般人は普通に協力する。ところが、企業はそうはいかない。あるとき、ある人物がらみのメールに関わる情報が欲しいとの依頼があった。当時国内の親会社には法務部というのがあり、弁護士もいた。答えはいつも同じ。「口頭での依頼に回答してはならない。正式な礼状を要求せよ。」個人的には、緊急だったらどうすんだよと思うのだが、ま、たいてい正式な礼状が来て、回答する。だが、この話で本当に言いたいことは、別にある。
ここでのメールは、インターネットや携帯のメールではない。もっと以前のパソコン通信と言われていた時代のメールである。それを、ある大きな事件を引き起こした組織に関係する人物が使っていたのである。ISIL(イスラム国)がネットやメディアを非常にうまく使いこなしているという話がある。その通りだが、そういう言葉が出る裏側には、テロや犯罪を起こす組織なんて、最新の情報ツールなど使いこなせないレベルだろう、との馬鹿にした思い込みが隠れているのだ。反社会的な人間は、最新技術に弱いなどという事はまったくない。むしろ逆である。特にサイバー空間の発達は、反社会的な行為を「犯罪である」との意識を薄くして実行させる役割を果たしている。
もう一つ言いたいのは、技術や技能、専門知識を持つ人材が、働ける場所を社会の中に十分に用意することの必要性である。どうして高学歴、高知識の人達が、ISILやオウム真理教に参加してしまうのか。部分的であれ、高い技術や能力を有する人物は、その力が存分に発揮できる場を常に求めている。科学者の良心があれば原子爆弾など開発しなかったであろうと考えがちであるが、必ずしもそうではないのだ。自国の防衛、邪悪な敵を倒すためという錦の御旗が与えられれば、技術者、科学者はその持てる力を最大に発揮したがるものである。ま、あとで後悔する人も多いようだが。
欧米では、サイバー犯罪者が、後に犯罪防止の側に回ることは珍しくない。つまりは能力を正しく発揮できる「場(仕事)」が与えられるかどうかなのだろう。IT関連の仕事をしていたときには、少しおかしな技術者はたくさんいた。道を誤ったものもいる。社会は、常に新しい技術や科学に対応する人材の働く場を用意し続ける必要があるだろう。それは、経済成長だけでなく、社会の安全性を高める上からも重要なのだが、日本は明らかに遅れている。いや、正しく理解できていないのだろう。
今回はどうも「わが迷路」の外側の話が多かったようだ。反省して、次回はまた迷路に迷い込もう。
平成27年(2015年)3月21日
半世紀を経てようやく実現
人生は迷路かな⑨ 半世紀を経てようやく実現 心理師万歳
心理の国家資格に関する「公認心理師法」が国会で成立した。2017年度に施行されるという。
いやはやいやはや、長かった。私がその不備を知りながらも心理学を学びたいと考えてから、半世紀!この国のピント外れでいい加減な政治には、ほとほと嫌気がさす。当時でもアメリカでは心理専門家が医者と対等に仕事をしていたのに、日本では全く格下の専門家とすら見られていない状態であった。それでも、多くの心理学コースの仲間は、専門的な知識が活かせる職場を求めて就職していった。
私も心理を一生の仕事にしたかったのだが、職業家としてよりも学問として研究する事を望んでいた。だが、経済的な事情からとても無理ということで、一般企業に就職を決めた。そのとき、私に少なからぬ影響を与えた本がある。元々気の多い私は、コンピュータのSE(システムエンジニア)にも興味があった。そして、いずれコンピュータは、人間の心理に関する知識を必要とする時代が来るだろうと密かに思っていた。その考えが間違いで無いと教えてくれたのが、『「システム設計と心理学」Robert
M.Gagn´e著、 翻訳:吉田 正昭、丸善1973年(昭和48年)』である。まさに我が意を得たりであった。
よく人生に影響を与えた1冊などと言われることがある。自分が同じ考えをもっていたので、正直そこまでの感は無いのだが、忘れられない1冊である事は確かだろう。
あれから40年以上が経過したいま、人工知能や感情を持つロボットなど、実にすばらしい進化を遂げてきた。それでも、どこか物足りなさを感じている。心理学からの劇的アプローチによるシステム設計の例をまだ見たことが無いからかもしれない。当時の医者と心理専門家との関係のように、心理専門家の下にSEがつく、そんなわがままを夢見たのかもしれない。何より人間の感情や感性に関するロボットやコンピュータなどの進歩が、ようやく始まったばかりだからかもしれない。
ただ、どこかで劇的なブレークスルーが待っているような気さえするのだが。ロボットに依るカウンセラーが普通に行われる時代になるかもしれない。コンピュータや脳科学の技術と心理学とが融合して、その元であらゆるものが作られていくことが当たり前の時代。そんな事すら夢見ている。
さまざまな思惑や権力闘争などが絡みあい、心理の国家資格が出来なかったのだろうが、人間を扱う心理専門家をどうやって試験で見極めるのか、それこそ非常に難しい問題であろう。
「アナタは人の心を扱うのに ヒトノココロ 理解 してていません」などとロボット審査官にだめ出しされたりして。
平成27年(2015年)9月10日
砂糖1杯ミルク少々
人生は迷路かな⑩ 砂糖1杯ミルク少々 恋は人を強くする
「人生は迷路かな」は、前回での話の端っこをつまんでみたり、取り上げた話題に関係するような話を次々とつなげていく、そんなつもりで始めたのだが、途中で脱線したら戻れなくなってしまった。おまけに、長い間書かなかったので、頭の配線すらつながらない。しかたがないので、一度ワープしてしまおう。そしてたまには色っぽい話題でも取り上げてみよう。
女優、石原さとみ。かわいくて、「男心をくすぐる演技」のうまい女優さんである。少し前にやっていたお酒のテレビコマーシャル。「ね、ね、ちょっと、これ飲んでみ」そう言って自分が飲んでいるグラスを差し出して押しつけてくる。たいていの男は、思わず顔がにやけてしまうだろう。このCMから、思い出した事がある。そんな話をいくつかしてみよう。
恋人同士なら、自分の食べているものを相手に勧めたり、おなじグラスの飲み物を飲み合ったりもするだろう。例え、石原さとみのように色っぽく迫られなくても。思い出したのは、そんなたわいもない小さな出来事である。
彼女は会社の同僚である。たまには二人で食事をする機会もあった。私の一方的な片思いということが社内での公認話になっていたので、そんな事も関係していたのかもしれない。あ、彼女には同棲相手もいたようです。で、あるとき彼女が自分の食べている皿を私の方にそのまま押しつけてきた。おいしいから食べてみなさいと言うことで。その際、彼女は自分のフォークをそのまま使っていいよと。私は自分のフォークを持って確認したから確かである。そこで彼女のフォークをそのまま使って食べ、そのまま彼女の前に返した。彼女は何事も無かったかのように、返されたフォークで食事を続けた。
何をたべたのか、どんな味だったのか、まるで覚えていない...。恋人でも無い彼女が、なぜ?成り行き?気まぐれ?からかったの?....んん~ん、わからない!あなたはどう思いますか?
そんな大げさな話では無いだろうって?小さな事は気にしない性格だったのだろって!そうかも。でも実は飛び上がるほど驚いたのには訳があるのだ。食事での出来事より以前の事である。乗り物の中で、私が持っていたチューンガムを彼女に勧めたことがあった。そのとき、彼女は露骨にいやな顔で拒否したのだ。そして、私に教えてくれた。
『ガムって周囲ににおいがするけど、あれってその人間が吐き出した息でしょ。においをかぐのは、その人間の排いた息を吸うことになるじゃない、だから嫌いなの』
ごもっとも!なるほど確かに、自分でも時々そう思うことがあったな。くちゃくちゃしてるのが男だと。ということで、反論など思いもしなかった。そんな神経質とも言える彼女が、同じフォーク?頭が混乱して当然だと思いませんか?
色っぽくは無いが、話のつながりで取箸(とりばし)と直箸(じかばし)の話を。大きな鍋などを複数の人間で食べるとき、男女だとさすがに取り箸を使って銘々の小皿に取り分けるが、男だけだとしばしば、直箸でいいよなと言うことになる。この事にも、やはり外資系と古手の純国産企業とでは違いが見られる。後者では、初対面なのに、いきなりものも言わずに直箸で鍋をつつく。それどころか、自分の箸でつまんで、私の皿に入れてきたりする。これって親切でも何でも無いと思うのだが、礼儀知らずとは誰も言わない不思議な世界観がそこにはある。皆さんの会社はどうですか?外資で無くてもあり得ないですか?
茶道では初対面でも回しのみをするぐらいだから、やはり日本人の本質はおおらかなのだろう。同時に、恐ろしい病気をお互いに持っていないとの暗黙の了解もあるのだろうが。
次々とワープしていこう。人生には誰にでもモテ期があるとか。全く実感は無かったのだが、いまにしておもえば、学生時代が私のモテ期だったのかもしれない。肉体関係はさておき、一緒に食事をしたり映画を見たり、夜明けのコーヒーを一緒に飲んだりしてくれる女性は確かにいた。当時の自分は、彼女たちを友達以上恋人未満の異性として、みていたのかもしれない。
調子に乗って、一日に複数の女性と会う約束をしたりもいた。そんな時、最初のデートが長引いて、夕方の彼女との約束時間を過ぎてしまった。まさかいないだろうと思いつつ、とりあえず約束場所に行ってみた。すると、なんと彼女がいた!すでに約束を2時間近くも過ぎているのに。謝るしか無い私に、彼女は言った。「きっと来てくれると思ったから」と。『もしかしたら』などと思った自分が恥ずかしかった。こんな三文小説のような話が、実際の世の中にはあふれている。私の人生にも。
むろん携帯電話などまだ無かった時代の話である。ばかばかしいとか、時間の無駄だとか、あるいはロマンだと思うのかは、あなたの勝手である。しかしこういう経験の機会が失われることは、必ずしも豊かな人生を意味するとは言えないのでは無いだろうか?それにしても、彼女はなぜ2時間も待っていてくれたのか?
いい加減な私も反省して、それ以後は同じ日に複数の人と会うことは慎むようになった。え、反省してないって?
小説のネタとは言わないまでも、ブログなどを書くには十分な内容の話が、やたらと多くある。いくつかは黙って墓場まで持って行くたぐいなのだが、そうで無くても、あまり他人には話したくないなという気持ちが強い。大切な宝物を心の奥底の箱にしまっておき、自分だけ時々のぞければよい、そんな感じなのだ。
せっかくここまで書いてきたのだから、ある人にまつわるエピソードだけ話をしてみようか。とっておきの女性の話を。なれそめやさまざまな出来事を書いていたら、これまたきりが無い。おまけに涙もでてしまうかもしれないので省略!
彼女(K)は私よりひとつ年上で、すでに働いていた。二人は、ビジネススクールの夜間教室で出会った。昼間働きながら夜は専門学校で学ぶ。仕事をしながらさらに勉強をする向学心、真面目に人生を生きている人ばかりの中で、学生は2名だけ。クラスは20数名ほどの少人数であったが、大半が若い女性だった。女性の活躍する社会などと今頃寝ぼけたことを言っているが、昭和の日本の女性達は、すでに自立して自分の意思、高い志をもっていたのだ。
仲良くなったクラスメートが集まって、お茶を飲んだりするようになっていたある日の事。クラスの女性の六本木の家に、4~5名でお邪魔した。だれかが飲み物を準備しているのを横目で見ながらも、特に気にもとめていなかった。そんな私の目の前にコーヒーが差し出された。受け取って飲んでみると、自分好みの味をしていた。
それから数日後、その時のメンバーの女性(T)の一人から、思いがけない話を聞かされたのだった。彼女(T)がみんなの飲み物を準備していたとき、私のためにコーヒーを入れていたが、私の味の好みがわからなかった。その時、彼女(K)が「私がやるから」と言って、だまってコーヒーを入れたそうである。砂糖は1杯で、ミルクはほんの少しだけにして。
彼女(T)は、私に問い詰めるように言った。「おどろいちゃった。どうしてKさんは、あんなことしたのかな(あなたの好みを知っていたのかな)?」「黙って(飲み物を)入れて、そのまま(黙ったまま)なんて」
驚いたのは聞かされた私の方である。そんなことまったく知らなかったのだから。でも彼女(K)が、どうして私のコーヒーの好みを知っていたのかはわかっていた。実はその少し前から、彼女(K)とは二人で会ってもらえる間柄に進んでいたのだ。初めて喫茶店に入った時、コーヒーに砂糖はいくつと聞きながら、お互いの好みの話をしたのだった。彼女はブラック、私は砂糖を軽く一杯とミルクはほんの少しだけ。そんなたわいのない会話を、覚えていてくれたのだろう。
Tさんを制止して、私のコーヒーを入れてくれた彼女。話を聞いて天にも昇るほどうれしかった。だが分からないことだらけ。自分で入れながらなぜそれと分かるように、私の手元にまで持っては来なかったのか?一方でTさんは、なぜこの話をわざわざ私にしたのだろうか?何が言いたかったのだろうか?
Kさんという素晴らしい女性の話は尽きることがない。ただそっと心の奥にしまっておきたいので、この話だけ付け加えて彼女の話を終わろう。
大学2年の時に出会い、ようやく就職が決まるころに、私の心の桜は散ってしまった。
「東京の人はみな冷たいから疲れちゃった。田舎に帰ります」
私もその一人なのかととまどいながらも、結局彼女に何も言うことが出来なかった。
「僕が社会人になったらまた会ってもらえますか?」
そんな未練がましい言葉でもよいから、語り掛けるべきだったのに。ただただ、さよならをしてしまった。このやりとりには、裏話がついている。
面食いと言われた私が、会った瞬間に一目惚れをした。普通にしていると美形タイプ、笑うとかわいいタイプの両方を兼ね備え、東北特有の透き通る白い肌。よく気が利いて、性格もすばらしい。まさに非の打ち所の無い女性だった。そんな彼女の職場は女性がとても多く、嫉妬から来る陰湿ないじめに泣かされていたのも無理からぬ事だったのだろう。おまけに当時の私は、クールを通り越してコールドな冷たい奴とよく言われていた。彼女もそう思っていたのかどうかはわからないが、私は言葉がでてこなかったのだ。
○○ハラと言う言葉が氾濫している。だが、みな昔からあったのだ。言葉を変えることで、かえって本質が見えなくなってしまうこともあるのだが...。
現在の日本では、面倒だから恋愛はしないという若者が増えているそうである。せっかくの友達付き合いを壊したくない、趣味の仲間との方が楽しい、ネット友達が100人もいるから忙しくてそれどころではない...色々と、理由を述べているそうな。他人の生き方にとやかく口を挟むつもりはない。年よりじみたお説教もしたくない。それでも私は、それが恋愛拒否症候群とでも呼ぶべき病に罹っているからではないかと想えて成らない。この病、精神の未発達な人格不全のひとつなのだとは言い過ぎであろうか。
男は2秒で恋に落ちるという。女は時間をかけて恋に落ちるようだ。いずれにせよ、恋をしたくても巡り合えないのは運命で致し方がない。だが人間だけの特権ともいえる恋愛を拒否するなんて、自ら人間であることを否定して何の意味があるのだろう。友達が100人だろうが1万人だろうが、そんなものたった一つの恋の炎の前にはいかなる価値もないことを知らないなんて、自分の思い通りになるスマホやネットの世界だけしか知らないなんて、恋する感受性がないなんて、深い複雑な感情のあることも知らないなんて、ただただ素直に哀れだと思う。
今回、男女の機微にかかわるいくつもの疑問を投げかけてきた。複雑な心を簡単に理解できるというのなら、ネット検索で何でもわかるというのなら、ぜひともこれらの答えを教えて欲しいものである。せめて考えてみて欲しい。
他人には言えないような思い出をたくさん抱えた人は、豊かな人生の持ち主だと思う。たとえ経験が、いやなことでも楽しいことでも、良いことでも悪いことでも。その意味で、私の人生は豊か過ぎたと思うのだが...。
知り合えた異性の何人かについては、そのイメージを詩にした人もいる。残照(書籍)やホームページには多くの恋に関わる詩を載せたが、そのいくつかは実在の女性のイメージ歌でもある。そのなかに彼女がいるかどうかは、墓場まで持って行く秘密だが。
平成27年(2015年)10月27日
黎明の日本2023
今年(令和五年)元旦のブログで「黎明の日本」を書いたところ、明るい話題にほっとした人も多かったようです。詳細は後日と言いながら1ヶ月以上も経過してしまいました。実のところ、どこまでをどのように取り上げれば良いのか少々悩んでいました。と言うのも、結論の部分の説明を詳細にすれば、すでに書いた本の内容をまた蒸し返すことになるからです。ま、約束でもあるので、できるだけ簡潔にまとめることにしましょう。
いわゆるバブル崩壊以降30年に及ぶ日本の劣化は、経済だけでは無く、罪悪感の希薄化、利己主義のいっそうの蔓延、公の意識の欠落等々、社会のあり方そのものが劣化した時期でもあります。ですが、経済的な劣化は特にひどく、貧困や格差の拡大によって落ちるところまで落ちました。国民一人当たりGDPで韓国に抜かれ、総額でも、日本より人口の少ないドイツに抜かれて世界4位に陥落するのが、早ければ今年中にもと言われています。そんなひどい状況のなかで、日本の黎明の証拠を出せと言われると、正直つらいものがあります。
一番大きなものは個人の感覚です。ここ数年、どん底から少し這い上がるような動きが見られるようになった気がします。人間の感覚というのは非常に繊細で良く出来ていると思います。金属加工など、未だに最後の超微細な細工は人間の手によると言います。またなんとなく場の空気のような物や相手の心情を感じ取るなど、人間の感覚には非常に鋭いものがあります。そんな感覚が、日本社会の黎明を感じているのです。
何を言いたいのかと言えば、ここ数年の日本の黎明は、なんとなく肌で感じられるのです。ネットのニュースを読みあさるだけの日々が何十年も続くなかで、そう感じているのです。具体的に言えば、日本初の新しい技術や発明の話題が出てきていること、ベンチャー企業の活躍のニュースが増えてきたことがあります。
例えば経済産業省の「令和3年度大学発ベンチャー実態等調査」によれば、2021年10月時点での大学発ベンチャー数は3,306社と、2020年度で確認された2,905社から401社増加し、過去最高の伸びを記録しています。また、特許出願は長年減少傾向でしたが、これも2021年度はようやく頭打ちとなって前年より728件増えました。
むろん同時に、日本の30年に及ぶ劣化は、止まるどころか、ますます崖っぷちに来ていることも肌で感じています。この矛盾した感覚は、完全なる破滅につきすすむか、それとも踏みとどまって社会の変革が始まるか、分かれ道に来ている証しなのかもしれません。
バブルそのものも含めて、それ以降の劣化の原因は、とことん突き詰めていくと、結局は日本人の気質そのものに行き着いてしまうというのが、著者の考えです。それを様々な具体例などで説明してきました。ここでは、その考え方に基づいて、逆に黎明の兆しが見えることを述べたいのです。
詳しくは、追々説明していきますが、結論から先に述べれば、こういうことです。
日本人を大まかに分けると、二種類の気質を持つ集団から成り立っているように見えます。大多数を占める日本人の気質を集団農耕型、そして非常に少ない気質の人を孤高武士型と呼びます。それぞれの気質型には、様々な特徴があり、それが長所にも短所にもなっているわけです。
集団農耕型気質の悪い特徴=欠点・弱点が蔓延して、社会全体の劣化を進めてしまったのです。改革や新しい事への挑戦が行われないのは、集団農耕型の気質に依ります。『私』を捨ててでも『公』につくしたり、当たらし殊に挑戦していくのは孤高武士型の気質です。ゆでガエル状態のまま、それでも改革などを行おうとしないのは、集団農耕型の人間が社会の実権を握っているからに他なりません。孤高武士型が活躍しない限り、社会は変わらないのです。
で、ようやくここ数年、孤高武士型の人達の活動が、目につくようになったと言うことなのです。さらに少し詳しく順を追って見ていきましょう。
気質と行動
最近の話題で言えば、中国が気象観測と称する気球をアメリカ本土の上空に侵入させ、アメリカはミサイルでこれを撃墜した事件があります。この同じ気球が三年も前(2020年)に日本上空を飛行していましたが、当時の日本政府も自衛隊も全く無視しました。まさに平和ぼけ、危機意識欠如、脳天気の面目躍如とネットでは批判されています。気球はレーダでの補足が難しく、また2万メートルの高度は、空気が薄いので戦闘機の活動も制限されがちで、最も対応が難しい空域でもあります。その為自衛隊では、今回の米軍のように気球を撃墜する能力は持っていないでしょう。
それでも、明らかに人間特に政治家や防衛関係者の意識の違いが大きいと言えます。これが、集団農耕型と呼ばれる日本人の気質のなせるわざなのです。同じ物を見ても、最新鋭の戦闘機のミサイルで撃墜を命じる大統領と、当時の防衛大臣(河野太郎)の的外れで脳天気な言動のなんと違うことか。防衛費をいくら増やしても、この気質の人間ばかりではまともな防衛などおぼつかない事でしょう。
わかりやすく少し極端な例を持ち出しましたが、ようは集団農耕型気質の性格傾向がもたらした、実に様々な誤った政策と自己中心的な行動に依って、日本はゆでガエルのごとく自壊の道を進んできたと言いたいのです。日本は何か問題があっても、すぐにそれを解決しようとはしない。行き着くとこまで行って、どうにもならないと追い詰められない限り変革や修正をしようとしないといわれます。今もまた、口先では改革とか維新とか言いますが、実際の行動は、何もしないか、これまでと同じものをごまかしているだけです。これらは皆集団農耕型気質の特徴が、悪い方向に出た結果なのです。
孤高武士型も集団農耕型も同じ日本人
孤高武士型気質と集団農耕型気質の違いやそれぞれの特徴などの詳細は、ここでは取り上げません。興味のある方は、著者(秋山鷹志)の日本人の気質に関する著作類(アマゾンの電子書籍)をご一読ください。
ここでは、二つの気質型の関係について述べることにします。
日本の歴史を見てみると、山有り谷有りと平坦な歴史だったわけではありません。穏やかに発展を続けた期間もあれば、問題山積や国難の時もありました。そうしたときに、孤高武士型の指導者や英雄が出現して世の中を大きく変えていきました。幕末の動乱期にも欧米列強の植民地にならないですんだばかりか、明治維新という類例のない社会変革を成し遂げられたのも、多くの孤高武士型の人達が、国のために活躍したからに他なりません。この孤高武士型の人達は数が少ないと言いましたが、それだけではないのです。
孤高武士型と集団農耕型とは一本の線の両端に位置すると考えることが出来るのです。性格傾向の要素の多くが、この両極端に分かれるのです。例えば常に新しいことに挑戦する性格要素の対極にあるのが、常に現状を維持しようとする性格要素です。つまり孤高武士型と集団農耕型を両極とする線のなかで、各個人はそのどこかに位置するわけです。高度成長期のような安定的な現状維持が望ましいときには、大方の日本人が、集団農耕型によるわけです。それが、社会を変えなくてはならないときには、集団農耕型のひとでも、多くがより孤高武士型によっていくわけです。けっか、少数の孤高武士型指導者のかkつどうでも、社会全体が変わっていけるわけです。
長期の日本社会の劣化とは、この変化が妨げられている状態なのです。その理由の詳細はここでは触れませんが、日本人全体の気質傾向は、この両極の間を揺れ動いているのです。
孤高武士型方向に動かす種々の出来事
日本列島は言うまでもなく、災害列島です。多くの自然災害は、遙か昔から多くの被害を与えてきました。しかし、それだけではなかったのです。人智を越えた自然の力を目の当たりにして、日本人は常に自己を顧みて謙虚さを取り戻していたのです。この人智を越えた力の存在を常に心にもっているのが孤高武士型です。しかし、集団農耕型も普段は意識しないで傲慢になりがちなのですが、なにかあればお天道様は見ているという気持ちが頭をもたげます。すなわち、人智を越える力の存在を信じる方向(孤高武士型)に意識全体が動くわけです。
こうして少数の孤高武士型の行動が受け入れられ、結果として社会が変革に向かうことになるのです。
このメカニズムは、今もなお変わっていません。バブルの崩壊そのものが大きな自然災害と同じショックを日本人に与えました。つまりその時から孤高武士型への変貌は見えないところで始まっているのです。そしてなんといっても、大きな自然災害が頻発しました。
北海道東方沖地震(平成6年)、阪神・淡路大震災(平成7年)、東日本大震災(平成23年)、熊本地震(平成28年)などの大地震と原発事故、他にも火山噴火や洪水、土砂崩れなど多くの災害が多発しています。特に東日本大震災は、多くの日本人の人生観が変わったと言われるほど大きな影響を及ぼしたのです。
さらに新型コロナウイルス感染症(COVID‑19)のパンデミックは、それまでの世界のあり方を大きく変えてしまうほどの影響がありました。行き過ぎたグローバリズムに溺れていた多くの日本人も、いやでも目が覚めたのです。さらに追い打ちを掛けたのがロシアによるウクライナへの軍事侵攻です。平和憲法神話に酔っていた日本人にも、現実の世界のありようが突きつけられたのです。これらを原因とする世界的なエネルギー危機などが異常な円安を招き、令和4年の日本はそれまで抜け出せなかったデフレを力で押しつぶすほどの物価高騰にみまわれ、それはまだ今年も続いています。
これだけの事があれば、さすがの集団農耕型思考の日本人も、変革の必要性を痛感し、意識は孤高武士型に大きく傾いていくのも当然でしょう。
今後の見通しと課題
バブル崩壊以降、様々な課題が噴出して混乱が増し、大きな改革が必要なことは明らかでしたが、小手先のその場しのぎばかりで、一向に変革はすすみません。その最も大きな理由は、社会を動かす実権を握っているのが、集団農耕型の人間だからです。本来的に集団農耕型気質は、現状維持で保守的、改革を自ら実行しようとする気概や意欲に欠けますが、さらに行き過ぎた個人主義(利己主義)の蔓延が加わったのです。自社さえ、自分達さえ、自分さえよければそれでよしとする、社会全体や公の事を考えようとしない傾向です。
すでに社会においてそれなりの地位や立場を獲得していた人達は、それを維持することに、より注力する自己保身に走ったわけです。年齢で強引で分けるならば、50代以上でしょうか。ネット世代が保守的だといわれますが、ネットが保守的なのではなく、若い世代に孤高武士型傾向が強くでているということなのです。保守派の代表である安倍元総理の政権が長く続いたのも、若い世代に人気があったのも、こういう背景によるのでしょう。
変革を邪魔する集団農耕型の指導者たち。なかで最大の問題は、政治家です。保守革新を問わず、また最近の訳のわからない議員達では、間違いなく悪い方向にさらに加速するでしょう。どうしても、孤高武士型の多くの議員が国会に行かなくてはならないのです。その為には若い世代が投票できる候補者の出現が望まれます。また、今は白票でもよいから、投票に行くという行動を既存の腐った政治家に見せつけることです。
世代間闘争のように言われますが違います。そうではなく、現状維持派の集団農耕型と社会改革派の孤高武士型との戦いなのです。いま私たちは、日本の将来が決まる分水嶺にいるのです。そして日本人が行動を起こしたときの力強さを知っています。皆さんが行動を起こすことによって、今年からより良い方向に加速していくことを信じています。
令和5年2月11日(土)
ChatGPTの光と陰 そして居候へ
ChatGPTの成功
ChatGPTが公開されたのは昨年(2022年)11月で、それからわずか2ヶ月で1億人を超えるユーザを獲得してしまったことで、メディアなどで大きく取り上げられることになりました。過去のSNS系プロダクトでもこれほど早く1億人を超えるユーザを獲得した物はありません。それだけ人々に好感を持って受け入れられたということです。一言で言えばChatGPTは、聞いたこと(質問)に人間のように答えてくれる、またお願いすると実に様々なもの、宣伝文句からラブレター、各種レポートさらにプログラムまで、生成してくれるのです。文学作品や音楽など芸術分野の作品など、およそ機械(AI)とは思えないものまでつくれるのですから驚きです。
このChatGPTが何者なのかという前に、どうしてこれほど大人気になったのか、そのあたりを見ていきたいと思います。それは、これからIT業界がユーザに対してこの種のサービスなどを提供する上で、参考になると思うからです。
①無料サービス自体は珍しくありませんが、うるさい広告は何もありません。
②ID登録だけで誰でも簡単に参加でき、うるさい各種設定などもありません。
③余計な情報を出さずに、答えだけを表示してくれます。
④およそどのような分野の質問にも回答します。つまり、ユーザを選ばないのです。
⑤質問に答えてくれるだけでなく、様々な創作物を生成してくれます。
企業で使う挨拶文から個人のラブレターさらに文学、音楽、プログラムまで、分野を問いません。
⑥人間と話しているような温かみを感じさせる対話型になっています。
⑦文脈を把握しており、前の質問の続きの形で聞くことが出来ます。全部説明し直す作業が不要なのです。
⑧少しくらいの入力文章の誤りなどはきちんと理解してくれます。驚異の文章読解力なのです。
広範・高度な質問への回答力の高さ、各種生成物の創作というサービスそのもののすごさに加えて、ユーザーインターフェースが、より人間味を感じさせるものになっているのです。実例をいくつかお示ししましょう。
①グーグルキラーと呼ばれる理由でもあります。これまでの広告ビジネスモデルが通用しなくなるのです。ちなみに、ChatGPTはプレミアムは有料サービスになっています。
②ID登録も、メールアドレスと電話番号が基本ですが、すでにマイクロソフトやグーグルのIDを使用しているならば、そのIDで使用可能です。私(秋山鷹志)はMSのアカウントでと言うボタンクリックだけです。さらに、基本ログアウトは不要で、毎回ログインする必要もありません。次回からURLクリックで、いきなり質問の画面に飛んでくれます。
③これまでの検索は、関係するHPの一覧が表示されるだけですから、そこからまたユーザが個々のHPの内容をチェックしなければなりませんでした。しかし、ChatGPTはズバリ答えだけ表示してくれます。
【質問】日本の人口 1900年を教えてください。
【回答】1900年には日本の人口は約4400万人でした。
④すでにアメリカの主要大学のMBA試験に合格し、医師の国家試験にも合格できる解答をしています。
⑤詩でも何でも作ってくれます。ただ、文化に基づく文芸作品の形式美をAIが学習するのは困難だと、自ら認めていました。
【解答】はい、現在のAI技術では、すべての文芸作品の形式美を正確に再現することは難しいかもしれません。しかし、訓練データに基づいて大量のテキストを生成することは可能ですので、近似することはできます。また、特定の形式に従った作品を生成するようにトレーニングすることも可能です。
⑥⑦人間くささの実例です。③の質問に続けて入力しました。
【質問】Good job
【回答】ありがとうございます! どのようにお手伝いできますか?
【質問】もう充分です。また来ます。
【回答】それは素晴らしいです! またお会いできることを楽しみにしています。
なにか必要なときは、遠慮なくお声がけください。
回答も決まり切った文言ではなく、入力で少し変化するのです。これでは、実は裏に人間が隠れていると思っても当然かもしれません。
AI人工知能が、ようやく人間に寄り添ってきたといえるのかもしれません。この対応はこれからのITサービスすべてに求められる事になります。
ChatGPTとは何者なのか
ChatGPTは、これまでのAI人工知能の長い研究成果、技術開発の一つの成果と言えるサービスです。
GPTは何の略か尋ねたときの回答がこれです。
『GPTは「Generative Pre-trained Transformer」の略です。GPTは、言語モデルの一種で、膨大なテキストコーパスを学習し、人間のように自然言語を生成することができます。GPTは事前学習を通じて、言語理解や生成タスクに必要な知識を獲得することができます。』
人間らしい受け答えの秘密がここにあるわけです。AIは誕生以来、実に様々な分野に応用され、技術開発が進められてきました。ChatGPTは、対話型AIとか、
生成系 AI とかいろいろ呼ばれますが、AI技術の一つの到達点といえるのでしょう。
ChatGPTとOpenAI
ChatGPTのサービスを提供しているのは、アメリカのOpenAIという企業です。しかし元は非営利の団体でした。かのイーロンマスクなどの投資家が集まり、2015年に設⽴された⼈⼯知能(AI)研究所がOpenAIです。それが2019年にそれまでの団体と企業OpenAIとに分かれたのです。2015年から2022年まで、実に7年かかってようやくChatGPTが一般に公開されたわけです。
それにしてもこの間のAI技術の発展はすさまじい物がありました。で、日本はこの間どうしていたのでしょうか?それなりに頑張っていたとは思いますが、世界をリードするプロダクトを生み出せてるとは言えません。昔ITの片隅にいた人間としては、情けなくて、悔しい思いでいっぱいです。
GPT研究の歴史などは、もはや古い人間の私では力不足なので、立ち入りません。
相変わらずだめな日本人の反応
日本人の気質として、集団農耕型の悪しき性癖として、新しい物を馬鹿にする傾向について何度も述べてきました。何か新しい物が出現したとき、その可能性や将来性に対する感性が鈍いというか、誤っているのです。
私がインターネットを初めて知ったとき、かなり衝撃を覚えて「これが普及したら世界が変わる」と、社内講習で力説したものです。ChatGPTも同じくらいのインパクトを感じています。その感性は、ITの専門家の一部とは共有できているのですが、TVなどのメディアの扱いを見ていると、相変わらず鈍感さばかりが目立ちます。なぜ、グーグルキラーなのか、なぜ世界にかくも素早く浸透したのか、どんなリスクがあるのか、およそ触れていません。それどころか、出演しているコメンテーターは、口々にまだたいしたことがないとか、弱点があるとか、ひたすら否定的な発言を繰り返しています。日本の大手企業が新しいことに挑戦できなくなった原因のひとつである、新しい物をばかにする、可能性を感性で感じられない、全く同じ状態なのです。
これでは、IT業界もAIの新しい技術開発や一般へのサービスプロダクト化など出来るわけがありません。世の中が変わるのを指をくわえて後追いするのも致し方ないのですが、ChatGPTの出現はそれだけではすまないのです。ことは、国の防衛にも直結するリスクを孕んでいるからです。
発展途上のChatGPT
もちろん、いまのChatGPTが完璧などとは全く言いません。回答そのものに誤りがあることもわかっていますし、何を言っているのかわからない回答もあります。日本語も、まるで一部の外国人がよく使うような変な日本語も見受けられます。ですから、100%信頼するのは誤りです。まずは答えを他の形で検証する必要もあるでしょう。
回答の途中で終わってしまったり、質問を完全に理解出来ていなかったり、日本語の質問に英語で答えたりと、まだまだ改善の余地はたくさんあります。
さらにChatGPTに限らず学習型のAIは、学習する元のデータに答えが左右されます。誤ったデータを学べば、間違った答えしか出てきません。そしてこれが次に述べる大きなリスクにつながるわけです。
ChatGPTのリスクとは
日本のメディアがかろうじてChatGPTの持つリスクとしてとり上げているのは、ChatGPTの悪用です。特殊詐欺の文面を作ることに利用したり、コンピュータウイルスのプログラムを生成させたりすることです。むろん、普通に入力してもそれらは作成されませんが、言葉を色々と変えることで、実現できることが明らかになっています。これらChatGPTそのものの悪用も重大な問題ですが、より深刻な事があります。
それが、ChatGPTのような対話型AIのプロダクトが、特定の国による認知戦のツールとして使われる恐れです。実際、ChatGPTの急激な普及に恐れを抱いた中国は、国を挙げてこの対抗ソフトの開発を号令し予算を投入しました。
SNSが認知戦に利用されていることはすでに周知のことですし、アメリカのリベラル系IT大手が、情報操作を行っていることも、ネットユーザなどには知られるようになりました。ですが、そのレベルではすまないのです。質問への答えがすべて特定の国の思うようなものばかりであるとき、自分達に都合の良い偽の情報も、多くのユーザには真実と受け取られてしまうのです。まさに特定の相手国の国民全部を対象としたマインドコントロールのツールになってしまうのです。このリスクにどう立ち向かうのか、深刻な問題です。
これはAI蛾誕生したときからAIそのものの悪用リスクとして言われてはいました。ですが、ここまで影響力のあるものがなかったので、関心はいまいちだったのです。AI技術が、敵国の国民の認知を直接操作してしまう危険性について、どう考えれば良いのでしょうか。実は、この事をChatGPTにも聞いてみました。中立的な一般論として答えてくれたのは、AIはあくまでも一つの技術にすぎず、それを使う人間が倫理感を持ち正しく使う必要がある。つまりすべては人間の問題だというのです。これでは、中国やロシアなどの認知戦には対抗できません。
そこでもう一つ突っ込んで聞きました。つまり悪用されたAIが出現したとき、対抗するAIは技術的に可能なのかどうかです。答えは、技術的には可能ですが、それには膨大なコストとコラボレーションが必要だというものでした。すでにAIの技術がここまで進歩してしまった現在、覇権国家や独裁国家によるAI技術の悪用にどう対処していくのか、真剣に考えなくてはならないのです。
防衛予算は、ハードだけでなく、このようなソフトにもっと振り向けられなくてはなりません。ソフトが苦手では澄まないのです。この危機感を是非とも共有して欲しいと考えています。
ユーザーインターフェースの将来は「居候」
人間により近づいたユーザインターフェースが出現したわけですが、ITやコンピュータに関わった多くの人は、実はかなり昔からこのようなものを夢見ていたのです。鉄腕アトムのような存在ですね。個人的には、それを「居候」と言う形で夢見ていました。聞いたことに何でも答えてくれる、頼んだことを代わりにやってくれる、いわば究極のアシスタント、召使いです。それを描いたのが、弊著の小説「居候の夢」です。書いたときには、10年先程度の実現を描いたつもりです。但し居候は、今のAIでもまだまだ実現不可能な、人間に変わる判断を行う、その時々の状況を正しく認識して行動を決める事が出来る、究極のインターフェースなのです。
スマホは、技術者達の頭の中では、もはや過去のものになっています。パソコンも同様でしょう。その究極の姿を記述したのが、居候の夢なのです。興味があれば、ご一読ください。ただし、基本はJK向けの恋愛小説です。そこに、AIが人間の感情を持ったときどうなるのか、作者の隠れた裏のテーマだったのです。全く理解されずに、期待外れだと☆一つの評価が付きましたが。ITましてやAIなどを理解するのは、まだまだ難しいのが現状のようです。居候の夢で触れた新しい技術についてはまた別途取り上げることにしましょう。
あなたも是非ChatGPTを使ってみてください。そして恐ろしい時代がくるのかもと思ってください。
令和5年2月12日(日)
AIの裏に文化有り
日々様々に生み出されている製品、商品、サービスいずれも、その生み出した文化集団が持つ文化の影響を少なからず持つことは、多くの人が小難しい説明がなくても自然に納得しています。アメリカを代表するのがハンバーガーだという言い方など、まさにそれでしょう。
そしてこの文化の影響は、ハードだけではなくソフトにおいても同じです。もちろんすべてのソフトやシステムが、目に見えるほど強く文化の影響を受けているとは言いませんが、最近ChatGPTを試しながら、AIは以外に文化の影響を受けているのではと思ったのです。
考えてみれば、AIにおける学習とは、元になる膨大なデータを元にしています。まずそのデータの選択自体が、すでに大きな影響を受けています。また元データ個々に、生み出された文化的背景は間違いなくあります。さらに、そのデータを処理するアルゴリズムやプロセスにも、それを作った技術者の文化的背景が間違いなく含まれます。
ChatGPTとの対話の中で具体的にそれを感じたのは、利己主義に対する質問と、狂歌の作成を依頼したときでした。日米において、「利己主義」に関して人々の受け取り方が少し異なるところがあるのは、皆さんもご存じかもしれません。日本においては、利己主義は「悪しきもの」として捉えるのが普通というか当たり前です。しかし、アメリカにおいては、利己主義をより肯定的にとらえる考え方が、むしろ受け入れられているのです。つまり『利己(えご)』が、新しいものを生み出す原動力として大きく貢献しているという考え方です。日本人の私からみれば、それは何も利己主義と結びつけて考える必要自体ないだろうと思うのですが。まさに文化(価値観、思考等)の違いなのでしょう。
もちろん、行き過ぎた利己主義が正しくないことはアメリカでも認識しており、決して全面的に肯定しているのではないとChatGPTも回答しています。ですが、最後に否定しないで、最初に否定しろよ、と私などは言いたくなります。
もう一つの『狂歌』は少し難しい事です。ChatGPTも認めているのは、それぞれの文化圏が持つ文芸作品の形式美を理解することは、AIにとってかなり困難であると言うことです。結果として、何度やっても和歌(短歌)形式の5-7-5-7-7のものは出てきませんでした。これがもし日本で作られたサービスならどうでしょうか。川柳や狂歌を形式だけでも整えてくることでしょう。アメリカ文化の基盤にある自由最優先、自由第一主義は文芸作品にも当てはまるようです。ひたすら、自由詩を出力してくるのです。最後にこちらかの助け船でようやく形式美を理解して作品を作ることが困難だと自ら認めたわけです。ここにも、間違いなくこのソフトを作る上での技術者達の文化的背景の影響を見て取れます。
少し酷かもしれませんが、ChatGPTの実際の出力の一部を載せてみます。
五・七・五・七・七の音で構成した諧謔形式の短歌(和歌)でお願いできますか?
はい、そのような形式の短歌(和歌)を作ります。
「雪だるまの短歌」
大雪に覆われた街
白い雪だるまがそこにあり
形は崩れかけたまま
思い出に刻まれたまま
今はもう戻せないけど
思い出は永遠に残る
私たちもまた崩れかけて
時間が過ぎ去っていく
だけど、笑い声を上げて
狂おしく踊りましょう
大雪の中で、思い出を生き返らせ
白い雪だるまと共に
ーーーーーーーーーー
はい、狂歌も作ります。
「大雪の狂歌」
白い雪が舞い降りて
果てしない世界を覆います
崩れかけた雪だるまが
今はもう形を戻すことはない
私たちもまた崩れかけて
時間が過ぎ去っていく
だけど、思い出は永遠に
心に刻まれています
さあ、今ここで狂おしく笑おう
大雪の中で踊りましょう
今ここで、思い出を生き返らせ
狂おしい笑い声を上げましょう!
これらはどう見ても単なる自由形式の詩にしか見えないのですが。ちなみに、歌の前提となる情報はこちらが渡しています。いきなりまっさらから作ったわけではありません。
いずれにせよ、AIと言うと、文化など関係ないと考えがちかもしれませんが、むしろこれまでのソフトよりもさらに影響を受けていると考えるべきだと思います。
実を言えばそんな事もあって、弊著小説「居候の夢」に登場する居候(サイバー空間上のAIロボット)の学習の元になったデータとして漫画を持ち出したのです。これによって、より人間の感情などを理解出来るようになっているという想定だったのです。
日本初のAIを使ったサービスや各種システムにおいては、是非とも日本独自の文化に基づくデータなどを最大限に活用したものをつくっていただきたいと思います。
国としても日本を紹介するシステムをAIでつくって欲しいですね。そこでは観光誘致の情報などだけではなく、政治的に反日国・反日勢力などの誤った情報を正す、正確な情報を含めておくのは当然です。
令和5年2月13日(月)
日本に貧困をもたらした、民間委託・企業本位の政策・ジョブ型賃金
これまでも日本の貧困や劣化を招いた大きな原因が、労働者の低賃金つまりは非正規化や男女共同参画、外国人の低賃金労働者の受け入れなどにあることは、度々指摘してきました。それらと重なる形で、さらなる低収入社会を構築してきたいくつかの政策などを取り上げてみます。それが、掲題に記した「民間委託」、「企業本位の各種政策」、「ジョブ型賃金の導入」の三つです。
これらを見ていると、まるでマルクスの言う「資本家が悪」という資本論の亡霊が甦ってきたかのようです。それが、共産主義を滅ぼして豊かさをもたらしたはずの資本主義の政策、具体的にはグローバリズム、新自由主義経済の考え方、金融経済重視などが大きな原因なのですから、まさに歴史の皮肉としか言いようがありません。
民間委託:非正規公務員
地方自治体や国が、仕事を民間に委託することで、貧困を生み出している現実があります。いわゆる「官製(ワーキング)プア」です。国や自治体が経費削減の名の下に、業務を民間に委託する。そこまでは良いのですが、それは結果として、公務員が貧しくならないように、民間で働く人に低賃金を押しつけていることなのです。そもそも人出が足りないから、人材の能力不足だから民間に委託するならわかりますが、経費節減の為に民間に委託というのは、そもそも筋の違う話です。
国や地方自治体が、経費節減の為に業務を民間に委託するようになってから、相当な年月が経っています。その委託業務先で働いている人達は、それまで公務員がやっていた仕事をしているのですから、いわば非正規の公務員です。この人達の給与は、委託料によって決まってくることになります。その結果、なんと何十年も勤続しているのに、給与が全く上がらないという恐るべき事態が発生しているのです。
例えば、NHKが放送した例では、政令指定都市の児童館の館長の女性は、勤務は1日9時間、週6日程度です。土日も開館していますし、こどもから夜電話があることもあります。こうした児童館は全国に4300余り(2021年)あり、地域の子育て支援の拠点として重要な役割を担っています。
その毎月の手取りが15万円、年収は250万にも届きません。この給与がなんと10年近く勤めていて、1円も上がっていないのです。理由は簡単で、市が予算を増やさないからです。
もう少し詳しくみれば、指定管理者制度という仕組みの弊害です。平成15年(2003年)に導入された制度で、民間企業が自治体の仕事に参入出来るようにした法律改正が元になっています。この時の総理大臣は小泉純一郎。
児童館は利用が無料ですから、施設は市からもらう指定管理料ですべてまかなわれます。これが安いために、給与が低賃金になるわけです。しかも、何十年も増やしていないのです。自治体も少子高齢などで財政が苦しいことはありますが、この問題はここでは脇に置いておきます。管理用が増えないどころか予算は削減されていきます。というのも、受け手の企業は安い予算でひきうければ、次回にも委託してもらえると言うことで、むしろ予算を削減しようとするわけです。そのしわ寄せはすべて働く人達に行きます。人員削減、低賃金です。
このような公共施設の管理・運営を自治体に代わって民間企業などが行う指定管理の公共施設は、公園や博物館などのほか、水道・港湾施設など様々あり、全国で7万7537(2021年)を超えています。この担い手として、「民間企業等」(株式会社、NPO法人、企業共同体など)が、43%を占めて年々増加しています。
自治体が色々な口実を設けて民間委託をしていますが、本音の所は予算の削減に他なりません。そしてきついことをいうならば、自分達は安泰なので、委託先の労働者賃金など、どうでも良いわけです。なぜなら、彼ら、彼女らの賃金を改善するために、自治体が何か策を講じたという話はおよそ聞かないからです。むろん、子供の養育のための予算を捻出するために、議員報酬や人数を削減したまともな自治体もあります。ですが、それがニュースになるほどわずかな例なのです。
そしてこの話は、次の企業優先の政策やジョブ型賃金制度の話とも、つながっていくのです。
企業本位の政策
前述の公共施設の民間委託事業で、受け手の企業が、そこで働く人の待遇よりも、自分達が引き続き受託できるように、むしろ予算を削減して役所のご機嫌を取るという話をしました。それを役所側もよしとしているわけです。まさに、行政と事業者の癒着といえる状況です。
東京五輪の運営組織と企業との癒着がようやく明るみに出て、騒がれましたが、この行政などの依頼側と企業などの受託側の癒着は、いわば公然の秘密でしょう。国のあらゆる政策実行においても、地方自治体の政策実行においても、実質的なこの種の癒着は日本中に蔓延しています。そしてこの事が、国民や一般の人々の暮らしをないがしろにして一部の利権者達が、金を儲ける構図になっているわけです。バブル崩壊後、これがさらにひどくなって、今のような日本全体の貧困かを招く原因にもなっているわけです。富の分配どころか、途中で横取りするのですから、当然でしょう。
たとえば、コロナ対策でも何でも、国民に直接支援することはせずに、必ず企業などを間に入れる形がほとんどです。また事業者に直接支援する補助金は、ひたすら不正受給のオンパレードです。
この政財官の癒着を基にした企業優先の政策や仕組みが、そこから先にも苑恩恵が届くのであればそれでもまだ良いのですが、企業経営者などの多くは、自分達だけが利益を独占するばかりか、そこで働く労働者の賃金を下げることに注力します。これでは、いくら上からお金を流しても、皆途中で吸い上げられてしまいます。そして、そういう企業間で過当競争を繰り広げることで、さらにしわ寄せが働く人に行ってしまったわけです。この愚かさに気がつかないまま、あるいは心中主義などの一部の考え方に引きずられて日本全体の衰退を招いたわけです。それにとどめを刺したのがコロナウイルスのパンデミックとロシアのウクライナ侵攻の世界的な悪影響です。
今年令和5年(2023年)の春闘では、さすがに大手企業などは、満額回答など大幅な賃金アップを行いました。しかし、それも自社の生存だけを考えての事がほとんどです。一国二経済制度で指摘したように、自社の正規社員だけいくら賃上げしても、非正規や下請け、仕入れ先などの賃金が上がらなければ、国全体の賃上げには結びつきません。政治によるここへの働きかけは、まだまだ不十分なのです。
ジョブ型賃金
男女共同参画、男女平等の裏に隠れた政財官の本音は、女性という低賃金労働者の確保だったわけです。今またそれと同じ事が起き始めています。それがいわゆるジョブ型賃金制度の導入です。この考え方自体は、必ずしも悪いものではありません。ですが、官製ワーキングプワーで見たように、ひとつのジョブの賃金を決めてしまうと、そのまま何十年も同じ賃金のまま労働者を使える仕組みとして悪用も出来るわけです。この問題を軽く考えるべきではありません。民間委託の膿が表に出るまで十年以上もかかっています。ジョブ型賃金の問題もそうならないとは言えないのです。
ジョブ型のもう一つの問題は、ジョブ内容による労働適齢期の問題です。たとえば、自衛隊員がある年齢以上は憎体的に難しい事はだれでも理解出来ます。おなじように、例えば、プログラマーとしての盛りも、普通の人は案外短い物です。とすれば、こういう人をできるだけやめさせようとします。定年がないというのは、実はこんな悪用も出来るのです。
このように、どのような仕組みも運用によってメリットとデメリットが出てきます。それぞれの仕組みにおける歯止めをどのように設けるのか、設けられるのか、はじめから考えておく必要があります。
このように、日本に貧困をもたらした実に様々な政策や仕組みがあります。これらの点検と改善がおこなわれないかぎり、日本が今の貧困から正しく抜け出すことは出来ません。他人事と思わず、結局は、社会全体の問題なのだと認識しなくてはなりません。
令和5年3月15日(水)
またも冤罪!?
逮捕から5年も経つ事件で、またも無罪判決(大阪地裁)が出ました。6年前に生後2ヶ月の子を揺らして、脳に障害を負わせたとして逮捕された父親に、無罪判決が出たのです。弁護側の調査で明らかになった、子供の先天性疾患が原因と認められたのでした。真実であれば、またも冤罪だったわけです。
無罪判決後の父親のコメントでは、次のように訴えているそうです。
『虐待の疑いをかけられ、生後4カ月の息子は児相に拉致されるように連れ去られ、1年5カ月も私たち家族から引き離されました。そのおよそ1年後に今度は私が逮捕、勾留されました。…勾留後も保釈はなかなか認められず、三度目の保釈請求がようやく認められたときには勾留から5カ月が経っていました。しかし、その後も確たる理由もなく妻に会うことを禁止するという接見禁止が2年も続きました。これは司法による人権侵害としか思えません。私たち家族はバラバラに引き裂かれたのです。それはとても長く辛い日々でした。・・・・』
虐待であった場合を考えれば、やむを得ない処置だったのだろうとも思えるのですが、無罪であることからすれば、あまりにもひどい、人権無視と言わざるを得ない経緯です。この問題自体が、非常に難しい事件だとはおもいますが、それでもこの国の抱える課題として言われ続けながら、一向に改善されない問題がここにはあります。ここでもう一度それをとりあげてみましょう。
警察・検察の無謬性
テレビドラマでも良く出てきます。「警察は国民の信頼を確保するために決して誤りがあってはならないのだ」という台詞。ようするに警察・検察の無謬性神話とでも呼ぶものです。しかしこれほど国民を馬鹿にした話はありません。すでにこれだけドラマにまで取り上げられるようになっているのは、警察や検察が完全無欠の正義だなどとは、もはや誰も思っていないということです。したがって、安全神話と同じで、これも警察や検察内部ではびこる自己保身の為の、身内の論理にすぎないのです。
むしろ、誤りをすぐに認めて、襟を正すことを繰り返すことの方が、よほど国民から信頼されるはずです。それをやらないのは、単なる役人の自己保身、組織内隠蔽体質にすぎません。
これを本気で改善するには、内部の監督部門の切り離しなども必要でしょう。原発事故で、規制委員会が経産省から消費者庁に移されたような形です。無論根本は、組織内の人間とくに上級官僚の意識改革でしょう。採用以前から、この分野での官僚への教育が成されるべきです。官僚機構の問題点は、世界共通の課題でもあるのですから、基から変えない限り変わりません。
筋書き行政から科学行政へ
無謬性とも関係しますが、警察・検察・裁判所は、決められた筋書きのまま突っ走る事を改めるべきでしょう。一度ある筋書きをたてると、そこに疑問をはさむことなく、その筋書きに合わせて物事をみてしまうのです。そこでは、科学的な分析や疑問が、口出しできなくなっているのでしょう。検察は自分で事件の内容を、再捜査することは人数的にも不可能ですし、司法もまた警察や検察に代わって再捜査することは事実上出来ません。そのために、与えられた証拠などからしか判断出来ません。ならば、なおさら筋書きではなく、科学的捜査の考え方をきちんと取り入れるべきです。
アメリカのFBI(連邦捜査局)が各地のずさんな事件捜査に代わって信頼されたのも、この科学的捜査をいち早く取り入れたからでした。犯人特定に役だったわけです。日本においても、今では科学捜査は、犯人検挙におおきく貢献しています。ならば、もう一歩すすめて、真実を見極めることにも活用すべきでしょう。
これは結局は、関係する人の意識の問題ですから、学校教育においておこなうべきです。特に法学関連では、授業の中にこの意識を育てるようなカリキュラムを必須とすべきです。
長すぎる裁判
日本の裁判の長さは先進国の中でも異常なようです。慎重にと言うのは無論重要なのですが、あまりにも長すぎます。仮に免罪の場合には、それ自体が無実の人への拷問とも言えます。この異常な裁判の遅さは、大きく二つの原因があるように思います。一つは裁判官の少なさ、もう一つが制度の構造的な問題です。
司法試験に受かっても、裁判官を希望する人は少ないようです。ですが、待遇改善などで、もう少し増やすことは可能なはずです。じつは、一部裁判官が増員に反対とも聞きます。
もう一つの構造上の問題は、あまりにお役所仕事にすぎる手続きの簡略化、迅速化の他に、簡易裁判所など役割の大幅な見直しなどが考えられます。世の中が変わっているのに、変わらない日本の行政や司法のやり方は、それ自体が関係者の怠慢と言えるのでしょう。
これまでにも何度も取り上げてきた事柄ですが、残念なことに社会での変化は、ほとんど見受けられません。もうこの手の話を取り上げないで済む社会が来ることを心から願っています。
令和5年3月17日(金)
統合失調症で心神喪失状態により無罪
大阪府吹田市の交番襲撃事件で、警察官を刺し拳銃を奪った36歳男性は逆転無罪(大阪高裁)になりました。統合失調症は昔分裂病と呼ばれていた精神疾患です。この問題は非常に難しくて、いくら議論しても結論は出ないし、誰も正解はわからないでしょう。何らかの理由により心神喪失の状態で犯した罪は、罪に問われない、つまり無罪だという現在の日本の法律のことです。
ネットでは、心神喪失なら無罪と言うが、「刃物を持って交番に行ってる事実から、心神喪失とは言えないのでは?」「(銃を奪うなどの)目的をもって行動しているのに?」などの意見があり、個人的にも同意する部分があります。
ですが、この問題そのものを論じ出すと、堂々巡りの議論に落ち、結局は個人の主観に基づく判断というか結論になる事が多い。したがって、ここでは本質的な話には立ち入らないでおきます。そのうえで、いくつか考えたいと思うのです。
加害者と被害者問題
まず第一が、少し前まで騒がれていた、加害者と被害者のどちらの人権を重んじるのかという問題です。これまでは、どちらかと言えば、加害者にも人権はあるという一部の過激な弁護士や特定の勢力によって、被害者の事が置き去りにされていました。いわば「死ぬもの貧乏」だった訳です。被害者関係者などの努力によって、ようやく様々な被害者支援や法律が作られました。
この心神喪失は無罪にも、実はこの考え方が色濃く残っているのではないかという、素朴な疑問があります。極端に言えば、加害者を無罪にするために、利用されていないかという疑問です。
それでなくても精神疾患は、目に見えてそうだとわかるものではありません。ましてや、過去のある特定の時期における加害者の精神状態が、そんなに正確にわかるものでしょうか?とても疑問です。
加害者の無罪後の処置
次の問題が、心神喪失で無罪となった加害者のその後の処置です。昭和の時代ぐらいまでは、仮に精神疾患による犯罪として無罪になっても、その加害者は、その後ほぼ一生を精神病院(今の精神科病院)で過ごすことが通例でした。いまでは、精神疾患者の人権重視の意味からも、長期・無用の拘束は許されていません。では、いま犯罪をおかしながら無罪となった人たちは、その後社会の中でどのように暮らしているのでしょうか。病院での治療は当然としても、完全治癒など非常に難しいのではと考えます。なぜなら、犯罪をおかしたときは心神喪失しているのですから、自覚も自我も正常ではありません。どうやって本人に、犯罪を犯したことを自覚させるのでしょうか?
言い方を変えれば、どうやって次の犯罪を犯させないようにするのか、と言うことでもあります。まだ議論が足りてないように思えるのです。
精神疾患以外に犯罪時心神喪失はないのか?
最後の疑問が、普通の犯罪者のすべてが、重大な犯罪を犯したとき、まともな状態、つまり心神喪失ではない状態と言えるのでしょうか。怒りにまかせて、相手を刺し殺したなどのばあい、その瞬間の犯人は、心身を喪失していないのでしょうか。つまり、精神疾患の患者だけが、心神喪失を認められる事への微妙な違和感があるのです。もちろん、普通の犯罪者を心神喪失で無罪にしろというのではありません。むしろ逆なのですが、このあたりの精神状態の量刑への配慮が今の裁判においてどこまで、考慮されているのでしょうか。
いわゆる情状酌量は、その犯罪者の置かれた立場や生い立ちなど大きなことが主です。犯罪実行時の精神状態がどこまで考慮されているのか、これまた疑問に思えるのです。無論今の科学でそれを明確にすることはほとんど不可能なのは承知していますが、意識だけでも裁判官などに持ってもらえたらと思うのです。
この稿の一部分を切り取って悪用される恐れがあるので、軽々に扱うべき問題ではないのかもしれません。ですが、昔、少しだけ心理学をかじっていた一人としては、おもわず筆をとってしまった事をご了承ください。
令和5年3月20日(月)
海外で性被害に遭わないために(女性への忠告)
グローバル化の進展と共に、多くの日本人が海外に出かけていくことも、ごく日常の事となりました。ですが、海外で犯罪に巻き込まれるなどの被害は、未だに後を絶たないようです。特に女性が性被害に遭うことも、未だに珍しく無いのです。
皆さんは、レイプの世界ランキングというのをご存じですか?ネット検索すると実にたくさん出てきます。出てきたランキングそのものをあまり信用しないでください。というのも、レイプという性犯罪の内容が国により異なりますし、しっかりと犯罪件数をとっていない国、全く犯罪数など不明の国も多いからです。さて、このランキングは、人口10万人あたりでのレイプ件数の数値を基にしています。日本は無論OECD最下位ですが、最近は数値そのものは上がっているような気がします。
それでも、このランキングから学べることがあります。まずはそれを見ていきましょう。それはそのまま女性の皆さんへの警告にもなっています。
欧米先進国は安全など大嘘
ワースト10に入る国で目立つのが、スウェーデン、フィンランド、カナダ、ニュージーランド、イギリス、アメリカなどでしょうか。つまり先進国が軒並みレイプ大国なのです。ここでは入っていませんが、フランスもまた性犯罪大国として有名です。
この背景は色々あって難しいのですが、ひとつは白人国家に人種差別感が歴然としてある事、大量に受け入れた移民による性犯罪も多発している事などが考えられます。
北欧の福祉国家として有名なスウェーデンは、レイプ大国としても有名です。常に五本の指に入ります。ですが、この国はレイプという性犯罪に非常に厳しいからだという擁護論も確かにあります。日本ではレイプには成らないようですが(違っていたらごめんなさい)、肛門(アナル)や口腔(イラマ)もレイプと見なされますし、被害者の性別、年齢での違いはなくカウントされます。さらに北欧では夫婦間のレイプも成立します。これでは夫婦がすぐ別れるはずですよね。
それにしても、これらがあるにしても、差が大きすぎます。少し古いですが2010年のデータでは、日本が1.02なのに対して、63.53です。60倍もの差は、法律の違いだけでは、説明しきれないと思いますが。
インドは世界有数のレイプ危険国家
アジア地域でのレイプ大国は、インドとオーストラリア、ニュージーランド、韓国です。特にインドはこれから相互の行き来も盛んになるでしょうからなおさら要注意の国です。
インドは国を挙げて性犯罪の撲滅に力を注いできましたが、強固な男尊女卑の考え方が残っており、女性を奴隷のように見なす古い思考も消えていないのです。レイプが悪質な犯罪だという認識が男性に希薄なのです。
日本人女性の被害も発生しています。インドでのレイプの特徴は、集団レイプと拉致監禁です。22才の日本人女性は、連れ去られて5人に乱暴されただけでなく、一ヶ月にわたり監禁レイプされ続けました。他の日本人女性の被害もほとんどが、集団によるものです。それでも、死にそうになったためにその辺に捨てられたのはまだましだったようです。レイプ後、面倒なので殺害するのは、珍しく無いのですから。これは世界共通です。
気を付けるべき事
性犯罪だけではなく、泥棒などの犯罪被害に日本人は会いやすいようです。観光旅行でも仕事でも、海外で気を付けることはたくさんあります。そのうち性犯罪に関する事をいくつか取り上げてみます。私自身も海外30ヵ国位には足を踏み入れていますので、その経験からも。
・日本と海外は別の生物(一応人間)が生息していると知る
話せばわかる、世界はひとつ、グローバルが当たり前、どこにでも犯罪者はいるなどとよく言われますが、だからといって、日本よりも治安が極端に悪いという現実は覆い隠せません。ですが、日本と全く同じ感覚のまま外国に出かける日本人が多すぎます。性犯罪だけでなく、独裁国家による無実の罪での刑務所行きなど、日本人は甘すぎます。
特に、何かあったら逃げればいいやという考え方は誤りです。はじめからおかしな場所や人には近づかないことです。
・外人の日本語に弱いのは致命的
海外でも日本でも、日本人は片言の日本語に非常に弱いのです。勝手に親近感や安心感を覚えてしまうのです。しかし日本女性を狙う犯人のほとんどはそれを悪用しています。特に最近は、日本に来たことのある性犯罪者も目立ちます。日本女性は、日本語で声を掛けるとすぐについてくる、おとなしくて抵抗しない、などと日本で学習しているのです。
なら通訳するほどの日本語なら良いのか、それもだめです。ガイドなどの中には、現地で有名になっている日本人専門の犯罪者がいます。この場合には、窃盗だけでなく詐欺や性犯罪が多いのです。極論すれば、日本語を話して近づいてくるのは、100%皆犯罪者です。
・観光地なら安心は大間違い そして国内でも
先のインドでもレイプが多い場所は皆観光地です。なぜって、カモが多いからです。観光客など人が多いところなら安全は、勘違いです。また、海外では助けてくれる人などおよそいませんから。たとえば高い料金をふっかけられるのがわかっていても、現地人は見て見ぬふりをします。だって、外貨を稼ぐのですから。またレイプ犯は人の目など気にしません。最近日本国内で、中国人観光客に声を掛けられて親切に道案内をかって出た女性が、トイレに連れ込まれて乱暴されました。また難民申請しているクルド系トルコ人が集団で、女性に乱暴しています。日本にきて、日本人を狙うのですから、この神経が他民族の気質です。
また、今年(2023年)6月には、ドイツの観光地で、アメリカ人観光客が、女性に暴行してさらに坂の上から突き落とし、もう一人にも性的暴行を加えたうえで、突き落としました。一人が死亡しています。もはや、世界中安全な所などないのです。
・タクシーなら安心は大間違い
最近は知れ渡ってきたようですが、昔日本人は海外で簡単にタクシーに乗って被害に遭う事が多くありました。特に女性が一人でタクシーに乗るなど、誘拐してくださいと言ってるようなものです。物や金を盗まれるだけならまだましです。海外では、奴隷制度の歴史があるためか、人間を誘拐して監禁する事に抵抗がないようです。日本でも最近まねした犯罪が多くなったようでいやですが。
タクシーを利用するなら、ホテルからとか、会社の受付に呼んでもらうなどして利用しましょう。原則一人乗り禁止です。
・複数人なら大丈夫も間違い
インドでは犯人が複数の事例も多いと述べましたが、逆もあります。こちらが複数なら安心、ではないのです。20年前にイタリアで起きた有名な事件では、日本人女子大学生6人が、のこのこついて行った犯人の部屋で全員乱暴されたのです。安全に対しては、行動の境界線を考えておくべきなのです。たとえ複数でも、ここから先は危険だなと常に考えておくことです。この犯人は、日本に来たこともあるイラン人です。欧米で、その国の人間に化ける犯罪者はたくさんいます。
・海外ではおしゃれしない
海外旅行になれた日本人女性が口をそろえて言うのが、服装や化粧です。日本と同じ感覚で、外出着を着たり化粧したりしていると、相手にはいいカモにか見えないのです。特にスカートやノースリーブなど、肌の露出した服は娼婦の服装だと思った方が良いでしょう。大学や会社に行く時でも同じです。
・知人や女性も信用しない
日本でもそうですが、性犯罪の加害者は以外と身近にいたりします。知人だからといって、完全に信用するのは考え物です。また、最近日本でも出てきましたが、男女の犯罪者も珍しくありません。女性がいれば性犯罪は大丈夫、というのは甘い考え方です。男の為に協力して、金銭をもらう女性は普通にいますから。
・留学・ホームステイでも性犯罪は多発している 犯人は日本人だ!
NHKが去年(2022年)Web特集で「日本人留学生の性被害 加害者は駐在員 見知らぬ土地で何が…」という記事を載せました。NHKは戦後日本人の自虐的思考の刷り込みに協力してきた団体ですが、今も続いているのかもしれませんね。それはさておき、女性の性被害そのものは問題なのですから、取り上げておきましょう。
ー海外留学で性被害に遭った女性は30%に上る。そのうち56%が日本人の現地駐在員が加害者。
ー現地の外国人にもアジア人はセックスワーカーと言われて性被害に。
ーホストファミリーが加害者の例もある。
ー被害は世界各地で起こっていて、ヨーロッパや中南米、アフリカでは、留学生の数に比べて被害件数が多い。
海外留学が当たり前のようになっていますが、その実態はかなり深刻な問題を内包しているのです。よく調べましょう。
・駐在員の家族も被害者に
駐在員の話が出たので、思い出しました。まだ昭和から平成にかけての話です。日本企業はアジアの各国に駐在員を派遣していました。単身赴任なら良いのですが、そのうち家族が行くようになりました。そこで、奥さんが現地の外国人から性的暴行される事件が多発して、企業側がその対策に頭を痛めたことがあります。有る企業では半数近くが被害に会い、帰国させる事例が相次いだのです。グローバル化などという言葉がまだ一般的で無かった時代です。多くの駐在員家族が精神を病む事態は、長く続きました。昔から、日本人の危機意識は希薄なのです。
長々と述べてきましたが、言えることは日本人の気質(性格)がここにも影響を与えていると言うことです。危機意識があまりにもないということに加えて、外国人に甘いという気質は「外来崇拝」が形を変えたものと言えるのでしょう。くれぐれもご用心を。
令和5年7月2日(日)